この前実家に帰省して、
私の生まれた町についてぼんやり思ったので
今日は書いてみます
自分の親の生まれやその親の生まれについて
母親理解のために深掘ったのですが
私は、the A視点なのもあって
まあまあみんな同じでしょ!と思ってたけど
やっぱり違うかもしれない?ということで
勝手にシェアしまーす!
私の生まれは、岩手県の釜石市
太平洋側に面した、かつて鉄の町とよばれていたところです
なぜ鉄の町か?と言うと、
山側に鉱山があり、古くから鉄鋼業が盛んで
明治時代の産業革命にも一躍買った町でした
橋野鉄高炉は日本初の洋式高炉だとかで、
数年前に世界遺産にも登録されていました
新日本製鉄所があった町だったので、
街は賑わい、工業も外国との交流も盛んだったそうです
新日鉄釜石というラグビーのチームはめちゃ強で、7連覇を達成したりと
とにかく勢いのある町だったそうです
ただ、製鉄所があるがために
太平洋戦争で2回艦砲射撃の被害を受けた町でもあります(2回目は長崎の原爆と同じ8月9日)
その新日鉄釜石も、1989年に高炉休止
そこからは過疎化がガンガン進み、
私が物心ついたころには、普段外を歩いている人をほぼ見かけない町でした
どんどん大通りのシャッターは閉まっていきました
釜石市の場所?位置もまた曲者で、
四方八方を高い山に囲まれていて、隣町に行くために峠を越える必要があり
陸の孤島と呼ばれていました
ほんと、これが不便極まりない
廃れた町だから、新しいお店はやってこなくて
私が18歳まで地元にいた時にあったコンビニは
ホットスパーのみ
その後スパーはローソンに代わり
今ではファミマとセブンもあるけれど、
私が住んでいた時には本当になーんにもない町でした
位置的な問題としてはもう一つ、
やたら津波に襲われている町です
私が生まれてからは、東日本大震災のみですが
明治から私が生まれる前までに4回津波被害を受けています
もうね、何度被害に遭ったんだかわからない町
この中でダイヤに育った人ってどれくらいいたんだろう?
私の実家は、この町の中では山側にあったのだけど
理由は両親が津波が来ない場所に住みたかったから
山側は、山あいの町という表現がぴったり
山と山が迫っていて、川に沿って民家が建てられている感じです
空を見ると、すっごく空が狭いです
だって両方に山があって、細長い空
これも、中学の時に赴任してきた先生が「釜石は空が狭いね」と話していたのを聞いて気付いたこと
この町には高校以上の進学先がないので、
地元で就職する人を除くと、大半が市外へ出て行きます
18歳になると、友達はみんなあちこちに出ちゃいました
高校からそのまま地元に残った私の友達は1人でした(同じ高校からは10人くらい残っていた)
私は東京に出たし、同じく東京に出た人はたーくさん
私の高校の主な進学先は
盛岡、仙台、東京、神奈川でした
みーんな市外へ出ちゃう
うちの弟も千葉に進学しました
トータル的に見て、失礼とは思うけど私は「鬱屈した町だなあ」と常々思っていました
でもまあ、鬱屈しちゃいますよね
現在は、東日本大震災の復興事業で
念願のイオンができて、これまでどこにいたのか?
と言うくらいの人で大賑わいです
いつでも駐車場はいっぱい!
みんなどこに潜んでいたの!?
あとは、三陸自動車道と、釜石自動車の開通で
かなーり交通面はよくなりました
そんな町です
盛者必衰
ちなみに我が親族の歴史としては
母方の祖母
隣町生まれ、3姉妹の長女
頭が良かったらしく市役所に就職できそうだったが
家庭の事情で就職できず悔しい思いをする
戦死第一号のお父さんと、体の弱いお母さんという家庭で
妹たちの面倒をひたすら見る
一番下の妹は父が違うだったか何だったか、複雑な関係
釜石に会社を経営している親戚がいたため、祖母だけ釜石に(祖母の母は亡くなって、妹たちは別の土地へ)
珍しい苗字で、家系を守るため祖父は婿養子へ
母はそんな祖母の長女
兄弟は弟が1人
祖母は弟を溺愛、めっちゃ差をつけて育てられる
祖母の怨念を一身に受けた母
怨念の中の一つに「公務員になれ」もある
東京の学校に進学し、奨学金返済中の残り1ヶ月のところで
祖母が地元に就職先を決めてしまい、強制帰還
未だに恨んでる
父方
祖父も祖母も生まれは宮城県
祖母が本家で祖父がその分家での結婚だそうだ
祖父が新日鉄釜石に就職のため、釜石にやってくる
父は、2つ違いの姉と妹がいる
祖父と父はとにかく中が悪く、父は祖父が大嫌い
理由は色々で、典型的な昭和の頑固ジジイで家のことは何もせず
唯一の息子である父をバイクに乗せてあちこち出かけるのが好きだったらしいが、
父はそれが物凄く嫌だったらしい
父は勉強が得意で、希望の就職先があって受かる見込みがあったものの
祖父が勝手に就職を決めてきてしまい、仲は更に悪くなる
ちなみに父と母の結婚は、お見合いである
そんな生まれ育った町と、うちの両親という環境で育ったのが私です
なるべくしてなったよなあと、思う
そんな、私の生まれた町と親族の歴史でした!