『易経』一日一言を買いました。
『易経(えききょう)』は、古代中国の君主が
こぞって学んだ帝王学の書だそうです。
占筮(せんせい)の書なので、昨今の変化を読み取り、
対応する術を見いだすための書とありましたので、
すぐ買ったのですが、眠たい時はすぐ眠れます。(笑い)
今日は6月22日。
その日の一言は、
「苦しみに習う」
水しきりに至るは習坎(しゅうかん)なり。
君子もって徳行(とくこう)を常にし、教事(きょうじ)を習う。
「水しきり」とは、
険難が次々に流れて押し寄せてくる様子を言う。
その度に自ら険難を受け容れ、
水に逆らわずに流れ進むように、
何度も繰り返し苦しみを習う。
これを習坎(しゅうかん)という。
君子とは、
度重なる苦しみの中にあっても逃げず、止まらず、
前に進み続けるのを常にし、
下の人に教え、習熟させる者である。
ここまでが、『易経』一日一言の内容です。
これを読んで、以前考えていたことがあります。
それは、「自信とは何か?」です。
自信のとらえ方が間違いではないか。
社会活動において各企業は自己の活動に対して
自信を持とうとしています。
また社員にはその企業活動に
自信を持たせようとしています。
若い人が
「自信がありますから、やらせてください」と言います。
また、
「健康には自信があります」と言ったりします。
これって、何だろう。
「根拠のない自信」とでもいいますか。
どうもぴんと来ません。
ある人に「自信とは何でしょう?」と質問したら、
どうも、自信という事柄は古来、
一人間が自ら持ってはならない
悪徳の一種らしいのです。
人間にとって自信とは
自ら持ってはならない感情らしいのです。
ここが完全にひっくり返ってしまったのです。
自信を持とうとして、
持てるはずもないものなので
自信喪失(じしんそうしつ)
におちいります。
じゃ、自信とは何か?
自信とは自ら持つものではなく、
何事かの結果論として他者が評価する一つの
評価基準を表す概念らしいのです。
何事かに一途に向かっている人、
または何事かを成し遂げている人に対して
他人があの人は自信があるという
思いをいだくものなのです。
この自信という概念を考える場合、
自分自身が持つ概念であるのか、
他人が持つ概念であるのかの
違いに気づくことが重要です。
だから、
ひたむきに今の現状に対して
どんどんぶつかっていく。
失敗したら次は失敗しまいと思って進む。
成功したら成功の中にある
不満足な点を見つけ出して
次々に改革していく。
何が起こっても自信など持たずに進んでいく。
自信などをもともと持たなければ、
決して自信喪失はありません。
いろんな不満があっても、その不満を改革し、
乗り越えればいいのです。
乗り越えられなければ、
次に乗りこへようと思うといいのです。
自信を持たなければ自信は失われません。
前進前進、挑戦挑戦、努力努力、
創意工夫創意工夫、改革改革
いつでも今がスタートです。
あとは天命を待つ。この繰り返しです。
この状態を他者が見て自己のことを
自信がある人であるというようになります。
ひたむきにコツコツと行くしかないのです。
死ぬまで勉強勉強です。
自信がないから
絶えず求め続けて成長しようとします。
自信ができたら、
そこで終わってしまいます。
ここで、ひたむきな生き方自体、
自信がなければできないのではないか
という疑問が残ります。
自信はもともと持てないもので、
持つ必要もないものなのです。
他者から見て自信のある生き方なのです。
自信など持とうとせずに、
目の前に置かれた現状に
全身全霊ぶつかっていくことで
あとは人生が解決してくれと思います。
だから、自信は自己が持つものではないのです。
「私は自分の仕事のやり方に自信があります」
「あの人は仕事のやり方に自信をもっている方なので、
ご推薦します」
さて、「自信とは何か?」ということが
何となく腑に落ちます。(*^_^*)
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