(あらすじ)※Amazonより
第165回直木賞受賞!
鬼才・佐藤究が放つ、クライムノベルの新究極、世界文学の新次元!
メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へと向かう。
川崎に生まれ育った天涯孤独の少年・土方コシモはバルミロと出会い、その才能を見出され、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく―。
海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国〈アステカ〉の恐るべき神の影がちらつく。
人間は暴力から逃れられるのか。心臓密売人の恐怖がやってくる。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。
第34回山本周五郎賞受賞。
◆◇
※内容に触れている箇所があります。ネタバレ注意。
半年前のイベント(あもる一人直木賞(第165回)選考会)で読んだ作品にも関わらずアップをしないまま今に至るも、次の第166回直木賞の候補作が来週にも発表されそうな勢いであることに気づき(はい、ノロマ)、選考会の引用多めでアップしていきます。
候補作全てアップした後、本物の選考委員たちの選評(オール讀物掲載)と比較して、いつもの「たたかい終えて」・・で締める予定。おっそ!急がねば〜。
というわけで、こちらは第165回直木賞候補作である。
『あもる一人直木賞(第165回)選考会」』の様子はこちら↓
お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。
今回第165回選考会の台風の目(あもちゃん的に)とも言える作品が登場した。
久しぶりにパンチの効いた、すんごい作品が出てきましたよ、と。
山本周五郎賞をとった作品は直木賞を逃す、というジンクスをこの作品が見事払拭してくれた。
ちなみに山本周五郎賞と直木賞の2冠は17年ぶりの2作目だそうで、もう1作は熊谷達也の「邂逅の森」とのこと。
読み始めて10頁くらいで
「あ〜、この作品で決まりだわ」
と私の中で受賞が確定した。
しかも途中で、あれ?とか全く思うことなく、むしろ終わりになればなるほど、間違いないこの作品で決まりだ。と最後までその確信は揺るがなかった。
そして私の確信どおり、見事!見事直木賞を受賞してくれた。ありがとう〜←何が笑?
冒頭から度肝を抜くスケール感。
メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラが対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、ジャカルタに潜伏。
という話の描写の密度がとにかく濃い。後半も面白いのだがまず冒頭から私の心を鷲掴み。
だいたい、対立組織との抗争なんてかわいいもんじゃない。ほぼ戦争、というか戦争。ドンパチの末、乗ってた車にロケットランチャーで打ち込まれる、とかどこの映画ですか!?スケールでかすぎて笑うしかなかった。
漫画のようなとか映画のような、とか割と批判的に小説を例えることがよくあるが、そこら辺の3流映画なんぞに例えては申し訳ないような、映像美を超えた、小説が出来うる可能性がまだまだあるんだ、という限界値を押し上げた作品じゃないかと思う。
この作品の帯で、直木賞の選考委員でもある宮部みゆきさんが
「一瞬のゆるみもない傑作だ。」
と書いてあるが、まさにそのとおり。一瞬のゆるみどころかスキすら見当たらない。
たけしの映画じゃないが、「登場人物、全員悪人」を描いたような作品であり、世界規模の暴力のエンターテインメント。
正直、どこの頁を開いてもめっちゃくちゃこわい。でもなんだろう目が離せないのだ。
目玉や心臓をえぐりだしたり、目を背けたくなるような残虐行為もたびたび行われる。でもどこか魅力的。いつもそこには理由がある(←もちろん正義なんかじゃなく各々勝手な理由。)。
世界規模、と申しましたが、メキシコからアフリカからインドネシアからそして日本から・・と、あらゆる場所から悪を描いている。
あまりに世界が広がり、事件が起こり、そのたびに登場人物が増えていくと収集つかなくなるんじゃないかとも思うのだが(主人公級の登場人物が何人かいて、その複雑な縦の糸と横の糸の絡み方1つ1つが計算され尽くしており、ものすごく考えられていることに感心する。)、登場人物の人物背景までいちいち描きながら登場させるからだろうか、いくら増えても、外国語だろうとも、すっくり飲み込めて理解できて、全員悪人なのになぜか心を寄せてしまう不思議さよ。
そんな登場人物みんな残虐で悪人なのに、読者の中には密かに推してる人とかいるんじゃないかしら?
鬼滅の刃で「好きな鬼ランキング」みたいな感じで・・。
ちなみに私は、悪の枢軸バルミロもまあいいのだが、天才外科医の末永推しです。
(あとで汗かき夫もこの作品を読んだので、私が「誰が好きだった?」と聞くと、
「怖くて好きな人なんていないよ。でもあもさんはどうせ末永でしょ?」と言われた。
なぜわかるのだーーー!!)
あとパブロもいい。バルミロも末永も完全に悪人なのだがパブロは違った。パブロとその弟子のコシモの温かい関係性だけはいつまでも続いてくれれば・・と思ったのにな。しゅん。ムグムグ、これ以上何も言いますまい。
とか話が逸れてしんみりしちゃったが、作品の内容は、心臓をえぐりだしたり、猟犬に人を襲わせたり、メキシコマフィアとか中国マフィアとか暴力の限りを尽くし、そらもう、おっとろしいんだからーーーー!!!!
(この本を読んでいるときに、ダッコマン(甥っ子8歳)と会う機会があったのだがこの本の表紙を見て、『あもおばちゃん・・・その本こわい!?』と聞いてきて、なかなか勘がよろしい、と笑ってしまった。内容だけじゃなく表紙すら怖い笑)
本当にこの作品で描かれているような闇の世界があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
ただ、世界で起きている事件の裏って私たちが思っている以上に深くて、想定以上にもっともっと深いところでこういうことが起きているのかもしれない。
と思うと、SNSやらヤフコメやらがいちいち荒れているのも浅いし、こんなん見てたら病気がうつりそう・・とテレビもSNSもネットも必要以上に見なくなった私なんて何も分かってないんだろうな〜とか思いました。
この作品は1つ1つの事件の奥行きがいちいち深いし、そして横とのつながりがいちいち広い。
作品の要ともなるのが「アステカ」帝国の宗教観。
お時間があったときにでもwikiなどで確認していただくといいのだが、アステカ帝国はスペインに滅ぼされた、くらいしか世界史で習った記憶がないが、実際はなかなかの軍国国家で、特筆すべきは「人身御供」制度。生きた人から心臓をえぐりだし、アステカの神に捧げるのです〜。
日本にも他の国にも人身御供という制度自体は見られたとは思うのだが、生きた人間からえぐりだす、ってなかなかない。とにかくアステカの神は人身御供と心臓がお好き。
そういう宗教観のお持ちの人が日本に来たら、正直怖くないですか・・?
それを考えただけでも怖いのに、そんな人が闇の世界の人だとしたら。軍事力を持っていたとしたら。
そんなアステカ帝国の宗教観でバルミロ・カサソラを中心とした「家族(ファミリア)」のもと集結する悪人たち。ヤクザでいうところの組織ですわな。親とか兄弟で盃をかわす的な。
あ〜あまり言いたくないけど、でも言うけど、アステカ帝国のもとに繋がったファミリアの縁にくさびを打ち込むのが、なんとイエス・キリスト。
壮大すぎてついていけない・・と思うどころか振り落とされてはならない、と無我夢中で読んだ。
マタイ福音書9章13節
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
宗教を生かすも殺すも、結局はそれを受け取る人間次第なのだ。
ちなみに作品内でそのイエス・キリストの言葉『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』をコシモに伝えたのが、私の推しの1人であるパブロ。
ええ、ええ、スペイン語読みのパブロは、キリスト教聖人の1人であるパウロであります。
(上記のマタイ福音書含む新約聖書の著者の1人)
作品内のアステカ帝国の描写でも多くのシンボル(象徴)が登場したが、ここでもシンボリック的な存在が登場。私の気付いていないあらゆるところに散らしてあるんだろうなあ。
そして最終章では新型コロナも出て来る。
表の世界と裏の世界。全く相容れないものではない。表で受けるダメージは裏にも響く。闇の仕事がしづらい状況に。動く金もビジネスも予想できなくなってくる。
単なる暴力エンターテインメントに終わらないところがこの作品の大変すばらしいところ。
政治あり、暴力あり、経済あり。光あるところに必ず影あり。表と裏、そして光と闇。
壮大でありつつも、細やかで。しかも人物描写もしっかりとしていて、非の打ち所のない完璧すぎるエンターテインメント。
しかもとにかく美しい。
血で血を洗うようなの戦いを祭りのように歌いあげている。
祖母が幼きバルミロに語ったアステカの物語はまるで叙事詩。
全然関係ないのに、なぜかガルシア・マルケスの『百年の孤独』を彷彿とさせる作品であった。・・というのは私の勝手な妄想ではあるが、とにかくああいういにしえの世界と現在の世界が入り混じっている民俗的な空気感が出ていた。
おばあちゃんのおはなし、とか、ものがたり、とかいうちょっと不思議な世界。
ただ、汗かき夫はこのアステカの叙事詩のあたりがダメだったみたいで、ほとんど読み飛ばした〜と言っていた。コラッッッ!・・でもそういう読み方もありだと思う。
そんな読み方をしてでも、よくわかんなくてもいいから、とにかく読んでほしい作品。
こりゃもう選考委員全員納得の1度きりの投票で決まっちゃうんじゃないの?
と受賞作の発表を待っていたのだが、相当大もめしたらしく、なんと3時間の大激論が交わされたとか。3時間も何を激論してたんだっつーの!
選考委員の林のおばちゃん(林真理子嬢)がいうには
「皆さんご想像の通り、佐藤さんの「テスカトリポカ」を受賞作とするかどうかで大激論となり、時間がかかりました。あまりにも暴力シーンが多く、子どもの臓器売買という読む人にとっては嫌悪感をもたらすような内容で、直木賞という賞を与えて世に送り出してもよいものか。その是非についてさまざまな意見があがりました。 」
とのこと。
こんな講評を出されるとは全く想像してなかったなあ。
私なんて
女性も絶対におもしろく読めるはず。
あんな暴力的な作品なのに、男女問わずワクワク楽しめる作品ってなかなかない。
佐藤さんの代表作と言えるものになるだろうし、直木賞にふさわしい。
とか言っちゃってて、直木賞の選考委員たちと真逆の感想だし(笑)!!!
嫌悪感を覚える人がいるのは仕方ないにしても、受賞させるさせないはまた別の話なのではないだろうか。そんな清廉潔白な作品しか受賞させないっていうなら、最初っからそういう条件を提示しとけばええんや。
そんな逆風?の中、それでも見事受賞した『テスカポリトカ』。
やるときはやる子だったのね、直木賞。見直した。
そんなやるときはやる子になった原因は、私が当初から
「一方の女性陣から絶大な支持を受けそうな『テスカトリポカ』」
と予想していたとおり、女性委員に支持する声が大きく、希望の物語であるという見方も少なくなかった、とのこと。
女神降臨。キラキラ〜。
しかし嫌悪感かあ。確かに忌むべきことではあるが、私は嫌悪感はなかったなあ。
むしろまっすぐにそういう犯罪に真摯に向き合って描き、私たち読者にこういう世界があるのだ、と暴力や犯罪をエンタメとして描きながら問題提起をしているのだ、と思ったが。
いずれにせよ、希望の物語であるという見方に私は全面支持したい。
読んだところで腹のタシにもならないが、背中を押してくれる何かがあるかもしれない。
混沌とした今を生きる私たちの清涼剤となってくれるかもしれない。いや、それがたとえ劇薬だとしても私たちの心に問いかける作品であると私は信じる。
今回の受賞で著者である佐藤究さんのお顔を初めて拝見したのだが、佐藤蛾次郎さんかと思いました。同じ佐藤だし(笑)
アステカのジャガー戦士の格好もよく似合いそうな風貌でありながら、文学に真面目に向き合う優しいお人柄が出ていて大変好感が持てた。
後日、色々な媒体で佐藤さんの言葉や文章を目にする機会があったが、とにかく佐藤さんの読んできた本のジャンルが私とあまりに違いすぎて、そりゃああいう作品を描けるわけだ、と妙に納得した。
しかもそういうアングラな世界の作品だけじゃなく、広く哲学書まで網羅しているのだ。
・・哲学書だ?ほぼ読んだことないぞ笑
そして直木賞について問われてが佐藤さんの回答。
「直木賞という社会的にも大きな賞の中で、これは是か非かといえば、僕だったら「非」ですよね。それは正しいと思います。ただ、文学かどうかということに関してだと、ちょっと議論できるところはあるとは思います。」
ま、これに尽きると思います。
お前は蝋人形にしてやろうか〜とか言い出しそうな見た目と受賞会見内容のギャップがスゴイ!
1つ1つの言葉がとても誠実で、すごく丁寧で、ものすごく好印象であった。
風貌は佐藤蛾次郎のくせに〜ぃ笑