『大人のけんかが終わるまで』(プレビュー公演)(in シアター1010)を観に行く。
(あらすじ)※公式HPより
不倫関係にあるアンドレア(鈴木京香)とボリス(北村有起哉)は、ある夜、レストランの駐車場で車を止めたまま、揉めていた。ボリスが妻から推薦されたレストランに連れてきたことを、アンドレアが「デリカシーがない」と非難したのだ。ボリスはそんなことで文句を言うアンドレアに嫌気がさし、帰ろうと切り出す。
ところが車を発進させようとしたその時、誤って駐車場にいた一人の老女を轢いてしまう。幸い怪我はなかったが、その老女イヴォンヌ(麻実れい)は、息子のエリック(藤井隆)夫妻と一緒に、誕生日を祝うためにこのレストランに来ていた。そして偶然にも、エリックの妻フランソワーズ(板谷由夏)は、ボリスの妻パトリシアの長年の親友であった。エリックは「折角だから一杯」と言って、ボリスとアンドレアをレストランに誘うが、それは悪夢の夜の始まりに過ぎなかった―。
次第に暴かれていくイヴォンヌの認知症、世話をするフランソワーズのストレス、そんな苦労に無頓着なエリックのマザコンぶり。そして不倫関係を隠そうとするボリスと、だんだん情緒不安定になるアンドレア―。
「なんて夜だ、訳が分からない・・・」
果たして5人の夜は、一体どんな終焉を迎えるのか―?
※原題 Bella figura(ベラ フィギュラ)の意味
元々はイタリア語の表現で、「表向きに良い顔をする」という意。全てうまく行っていないときに、全てうまく行っていると言い張ること、また、何も顔に出さないこと、「毅然としている」こと。
出 演:鈴木京香 北村有起哉 板谷由夏 藤井隆 麻実れい
作 :ヤスミナ・レザ(原題 Bella Figura)
翻 訳:岩切正一郎
上演台本:岩松了
演 出:上村聡史
◇◆
ヤスミナ・レザといえば『スペインの芝居』で受けた衝撃が忘れられず、あれから約10年経った今も、ヤスミナ・レザの本と聞けばなるべく観るようにしてきた私。
それから数年後に観た『大人は、かく戦えり』はイマイチだったが、それでもヤスミナ・レザの輝きは私の中で失われることはなかった。
そしてこのたび「大人のけんかが終わるまで」で再び衝撃を受けることになった。
どこからどう切り取ってみてもすばらしかったのである。
一緒に観に行った汗かき夫も「面白かった」の連発で、帰り道に思い出し笑いをしていて気持ち悪かった〜笑
まずまるで映画のワンシーンのようなオープニングに、私のまんまるお目目が惹き付けられた。
京香ちゃんがサングラスをかけ、タバコをぷかぷか吸いながら(←イライラしてる)、捻挫しちゃうんじゃないかってくらい高いハイヒールで車の周りとツカツカ歩いているのだが、それがもう、100%西洋人にしか見えないのだ!!!
破格のスタイルの良さ(変な日本語笑)に、あもちゃん度肝を抜かれたね〜。
そんな京香ちゃん演じるアンドレアと不倫相手であるボリス(北村有起哉)の二人がギャーギャー、延々と大げんかしている様子が、なんとも破滅的で退廃的で荒んだ二人の関係をよく表していた。
妻がいるボリスの煮え切らない様子にイライラするアンドレア、のイライラしてキーキー言う様子にイライラが止まらないボリス。もう悪循環!!
私からすると、どっちもどっちやわ、そんなんだったら別れればええやん、と思うのだが、なんだかんだで二人は別れられないのである。だがそれが愛情からくるものかどうかと言われると、もはやなんとも言えないし、むしろ愛と言うには怪しい。依存という方がよりピッタリくる。
アンドレアはシングルマザーでとにかく孤独で、誰かと一緒にいたい人。
ボリスは会社のことでうまくいってなくて、そのことを誰にも言えなくてただただ誰かと一緒にいたい、そういう人。
肌のぬくもりをお互いに求めていた。それがお互いの存在でいいのかどうかはともかく・・
そんなビッミョーな関係の二人が偶然出会った、ボリスの妻の親友であるフランソワーズ一家。
板谷さん演じるフランソワーズは最初、ボリスの妻の親友として常識人としての態度をとる。
ボリスを問いつめ、不倫相手を糾弾し、ボリスの妻にはこのことを言わざるを得ない、と言う。
しかし話の流れから、なぜかこの一家とアンドレア&ボリスは食事をすることとなり、食事中にもごちゃごちゃ揉めたり、軽口叩いたり、ケンカしたりしているうちに、お互いのそれぞれの関係の脆さが次々と発覚、常識人だったアンドレアも彼女を縛っていた「常識」の枠がなくなっちゃって、いい意味で破壊的になっていく様子がとてもすばらしかった。
この話のキーマンはもちろん・・・認知症のおばあちゃんイヴォンヌを演じた麻実れいである。
認知症のばあさん(あもちゃん手厚い介護を経て、現在施設入居の義母)を間近で見ている私たち、もぞもぞしちゃうほどすばらしい麻実れいの認知症っぷりであった。
認知症の状態と正常な状態がぬるっと交互に変化していく様子がすばらしかった。
認知症のイヴォンヌ、基本的にはすっごくかわいいのだが、突然アグレッシブになり攻撃的になり、破天荒な行動を起こしたりもする。
わかる〜〜〜〜。
義母もそうだったもの・・
認知症だから、とわかっていても、意味不明なことを延々やり始めたり、延々キーキー言い出したりするとこちらもむかつくし、さらには1日中認知症なわけではなく、正常な時間も多々あったりするるのだ(ちなみに認知症が進行している今は、そういう正常な時はほぼなくなった)。
突然攻撃的になる義母に対し、体格差が合ったことも幸いしさすがに命の危険を感じることはなかったが、グーではったおしてやろうかと思ったことは何度もあった。いやはや傷害で捕まらなくてよかったっす笑
まさにフランソワーズがその状態で、優しくしよう言い聞かせてもごねるわ、暴れるわ、でこちらの思うようにはならないし、生活パターンも乱れ、思い通りにならない人生、そして理解のない夫・・全てに嫌気がさしていた。
そりゃ時々しかそういう母の様子を見てない息子のエリックは認知症の母親に優しくできるさ。それが毎日続くんやで。母に優しくするエリックを見つめるフランソワーズの気持ちがよくわかる。
それくらいやってあげたらいいじゃない、とか認知症を知らない人に限って平気でそういうこと言うんだ。フランソワーズも周りからもそういう感じに追い込まれていて、もうギリギリの限界まできていたようであった。
そんな認知症のイヴォンヌが、なぜかドラッグ依存のアンドレアと意気投合する様子がおかしかった。1つのことにずーっとこだわって(手帳がないと言い出しずっと探す)いるイヴォンヌに寄り添うアンドレア。そんなアンドレアの話をうんうんと聞くイヴォンヌ。
アンドレアは優しくされ、毛羽立っていた心がひどく癒されていくのを感じていた。
そんな中、再びアンドレアとボリスがつかみ合いの大げんかを始める。
アンドレアはテーブルのナイフを手にする。
ボリスは「おいやめろ!」と青ざめるも、手にしたナイフは魚用で刺せるものではないことに気付く。
魚用だから大丈夫だけど・・と皆が言う中、
イヴォンヌおばあちゃん
「はい、肉用のナイフはここよ!!!」
とアンドレアに嬉しそうに差し出すところが、この作品の爆笑ポイントNo.1であった。
さすがに息子のエリックは藤井隆100%で止めてましたよ、と。
ラスト、イヴォンヌを連れて帰るエリック夫妻はなんだか晴れ晴れしていた。3人ともものすごく大爆笑しながら店を出て行った。
アンドレアとボリスはそんな3人を見ながら、あ〜あ・・って感じであった。二人ともそれぞれ思うところはあるんだろうし、そして結局このままこんな感じで引き続き不倫関係は続いてくんだろうなあ・・とは思わせるものの、序盤のイライラしたトーンは消え去り、新たなステップへと踏み出す瞬間を見たような気がした。
二人がいい別れができるといいなあ・・と二人とは全く無関係でありながら、観客である私は親身に心配し、希望をこめて思いましたな。
5人の役者の間合いといい、独特の空気感といい、ほんとによく仕上がっていて、このすばらしい配役と演出に感激した1日であった。
最後にプログラムにあった翻訳の岩切正一郎先生の、作者であるヤスミナ・レザについての話を引用したい。
「ヤスミナ・レザは父親がイラン系ロシア人、母親がユダヤ系ハンガリー人亡命者で、ふたりの間で使われていたのがフランス語だった。彼女自身は、あなたの国はどこなのかと問われて、言葉の国に住んでいる、と答えたという(ちなみに、ヤスミナという名はアラビア語源、そのもとは終えるシャ後からの借用で、ジャスミンを意味する)。」
ヤスミナ・レザの作品に出てくる登場人物は本当によく語る。言葉の国の住民のようだ。そしてそんな爆発的に語られる言葉の中に、何とも切なく孤独な言葉が差しこまれる瞬間がある。
そんな言葉と言葉の間にふと生まれる空白にも、言葉にしない言葉があることも私たちは読むことができる。言葉の国に住んでいるというヤスミナ・レザはきっと多分、言葉の国の女王なのだ。私はその国の国民になりたいなあ、と思うのであった。そして女王陛下に傅くのだ。
ヤスミナ・レザの作品たち・・・
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