平成26年3月22日(土)、
スーパー歌舞伎『空ヲ刻ム者 ―若き仏師の物語―』(in新橋演舞場)を観に行く。

夫が仕事のつきあいでチケットを購入することになり、
スーパー歌舞伎っちゅーもんにあまり興味のない私だったが、
そういうことなら、と観に行くことになった。

せっかくの晴天3連休なので、歌舞伎観劇の前にランチ&お散歩。



2週間前に来た増上寺付近に再び。
 →参考記事『カジュアルに、そしてカジュアルに。

数年ぶりに着た、白のコート。
おひさしぶりー。

こんなこと(歌舞伎観劇)でもなければ絶対に着ないであろう。
なぜなら!
ズバリ、白は汚れが目立つから!
以上です。

ケチンボあもちゃん、日常時にうっかり汚したりなんかしたら失神する。



鴨肉、ウマウマ。
観劇中、惰眠を貪ってはならぬ、とワインは2杯に留める。

たらふく食べたあとは、腹ごなしも兼ね、歩いて新橋演舞場まで。
途中、浜離宮に立ち寄ってみた。



旧浜離宮庭園入口石碑とともに。

浜離宮庭園内の音声ガイドを、数量限定で無料貸出をしているというので、
ありがたく借りることに。

ラジオ的なものを渡されるかと思いきや、
まさかのタブレット端末。
時代だねえ。




なんだか落ち着く空間。
大都会のオアシス。





春いっぱい。
房総半島じゃないよ。



菜の花の向こうから手を振るオバチャン。



私「鳩でーす!くるっぽー!」
夫「こわー!」

鳥全般が苦手な夫、鳩を追いかける私の姿に眉をひそめる。

夫「鳩、きもちわるくない?」
私「別にー。鳥の中では好きな方じゃないけどさ。」

新沼謙治には敵わないが、←よい子のみんなは周りの大人に聞いてみようね。
鳩だって嫌いじゃないぞ。



『三百年の松』

枝振りがすばらしく、威厳ある佇まいにしばし見とれる。

この松だけじゃなく、庭園内の全ての植木の剪定が行き届いており、大変すばらしかった。
この庭園、気に入った!

夫「ココいいね。静かで落ち着くし。これからは仕事さぼる時はここに来よう。」

会社の皆さーん!
ココにズルしようとしてる人がいますよーーー!!

◇◆

開場時間も迫ってきたため、そろそろ新橋演舞場へ。



ぎょえー!すっごい行列!!
写真じゃわかりづらいが、行列が東銀座の駅の方まで連なっていた。



ソルマッーク!!!
あ、顔の向きが違った。
く~、一生の不覚。

猿之助と2ショットが撮れたところで、開演のお時間です。

◇◆



作・演出 前川 知大
スーパーバイザー 市川 猿翁

キャスト
十和 市川 猿之助
長邦 市川 門之助
双葉 市川 笑 也
菖蒲 市川 笑三郎
興隆 市川 寿 猿
喜市 市川 弘太郎
時子 市川 春 猿
吾平 市川 猿 弥
九龍 市川 右 近
   
伊吹 福士 誠 治
鳴子 浅野 和 之
一馬 佐々木蔵之介


(あらすじ)
●第1幕 御心の真意
 一場 奥泉郷 往来
 二場 藤泉寺 本堂前
 三場 菖蒲の部屋
 四場 藤泉寺 本堂前

舞台はいにしえの日本。
ある山間の村に、十和(市川猿之助)という才能に恵まれた若い仏師がいた。
しかし彼は、村人たちの暮らしも病床の母親も救えない仏教に苛立ちを募らせていた。
十和の幼なじみの一馬(佐々木蔵之介)も不作に苦しむ村人たちを憂い、
彼らの暮らしをよくするため、都に出て官吏の道を選ぶ。
一方、母の死と都から来た役人との争いから十和も村を出なければならなくなる。・・・


猿之助の声がすご~~~~ぉく通っており、大変聞きやすい。
台本も口語なので、もはや歌舞伎というより現代劇として見ている私であった。
役者にも金がかかっているが、セットや衣裳にお金がかかっているのが見てとれる。
さすが猿之助、潤沢な資金をお持ちの模様。
ただ、猿之助の手にした「ノミ」があまりに巨大で、お好み焼きのヘラにしか見えなかったが。
鉢巻きしたら、ヘイ、ラッシャイ!

そんな錚々たる役者の面々の中、ひときわ目をひいたのが、伊吹役の福士誠治さん。
大変うまかった。
「福士誠治」という彼本来の色を消し去り、伊吹本人が舞台に立っているようにすら感じた。
福士誠治を初めて観たのは、
ロック☆オペラ『サイケデリック・ペイン』雪之丞一座~参上公演』である。
あの時はとにかく、歌がうまいー!!!と感心しきりだったのだが、
演技もあれからさらに磨きがかかっていた。
これからさらに注目していきたい役者さんである。

※ちなみに、あまちゃんの福士蒼汰さんとは別人です~。
 え?わかってるって?
 だって~、私がわからなかったんです~!
 オバチャン、最近の若い人がみんな同じ人に見えちゃってねえ。
 苗字が一緒なだけでもはや同一人物にしか見えない。
 違いのわからない女。ダバダ~。

その福士さん演じる伊吹は、ほんの少し知的障害を患っている。
それでも仏像が大好きで、造仏所の皆に助けられながら、修行をしていた。
生まれながらの才能を持つ十和にずーーーーっと憧れながら・・・

十和は目には見えない自分の才能や、
造仏所の家に生まれてきたという生まれながらの恵まれた家柄に困惑していた。
好きでもないのに、仏像を彫るのがうまいと褒められる。
その褒められる自分がどこか自分ではない気がしてならなかった。
しかもその仏像を崇める仏教は、病に伏せる母親を救ってはくれないではないか。
あんなに母が一心に祈っているのに。

そんな自分の恵まれた境遇に悩み、環境に慢心し、
仏像を受け取りに来た役人に悪態をつき、仏像を傷つける、という最悪の事件を引き起こす。

怒った役人は、その罰を受けろ、と迫り、十和は自分の腕を差し出し、
この腕を切り落としてくれ、と言う。
どうせ、私は好きで仏像を彫っていた訳ではないのだ、と。

すると!伊吹が!あのかわいくて優しい伊吹が!!

「十和さまあー。だめですー。十和さまはこれから大事な仏像をたくさん彫るんですー。
 私はあなたの彫った仏像が見たいんですー。
 だから!だからー、私の腕を切り落としてください。どうせ私は仏像ほれないしー。」

と役人に懇願したのである。

わーーーーん。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

いぶきーーーーぃぃぃぃ。
この作品で、唯一泣けたところであります。
いや~、何度も言うが、福士くんの演技がすばらしい。

結局、役人は伊吹の腕を切り落とす。←ただし、落ちなかった。がかなりの深手を負う。
それが十和にとって一番つらいことだったからだ。
さすが役人、よくわかってるねえ。
あ、褒め言葉じゃないです。

伊吹の負傷した姿に怒った十和は、役人2人を殺害してしまう。
 ←そもそもお前の短慮が引き起こしたことだろ、と
  あもちゃん、一人フンガフンガ怒り心頭であります。
そして故郷を捨て、都に逃げるのであった。

・・・十和のワガママのせいで、2人死んで、伊吹が命にかかわるケガをしましたよ、と。

ストーリーを語って進めて行くのは、我らが浅野和之さんであります。
観客席には浅野さんファンが多くいるらしく、浅野さんが登場すると、
キャー!という声がチラホラ。
確かに安定したすばらしい婆さまの演技であった。

あ、佐々木蔵之介さんもよかったです~。
別についでじゃないです。
ただ、浅野さんと福士くんに目を奪われたもんで・・・

(幕間30分)



歌舞伎観劇恒例、かべすのべ~。
(かし、べんとう、すし、で歌舞伎の楽しみ「かべす」)

さっきまで飲んでいた赤ワインと、貪り食っていた鴨肉が胃袋にまだ残ってる~。
でも食べる~。
歌舞伎のかべすは必須じゃけえ~~~~。

●第2幕 二つの道
 一場 長邦の屋敷
 二場 都の外れにある牢獄
 三場 盗賊団のアジト
 四場 都の往来
 五場 貴族の屋敷
 六場 街中 夜
 七場 盗賊団のアジト
 八場 長邦の屋敷
 九場 九龍の工房
 十場 盗賊団のアジト

あれから半年、
消息不明の十和の後を追い、鳴子(浅野和之)と伊吹は都へ向かう。
一方、一馬は都で役人として勤め始めたが、無位無官の下級役人。
華やかな都になじめず、浮いた存在となり、無力感を募らせる一方であった、
また故郷を出た十和は、仏像を壊した罪で牢に入れられていた。
生きることや未来についてヤケになっていた十和であったが、
その牢で出会った盗賊と交わりながら少しずつ心を開き、成長していくのであった。
その後、自分の生涯の師とも言える九龍(右近)に出会い、成長していく十和とは反対に、
農民の安定した暮らしのために権力が必要である、ということから役人を目指したが、
少しずつ目的がズレ、権力を手に入れることが目標になりつつあった一馬は、
その純粋まっすぐな思いを権力者たちに利用されていった。
それぞれの思いを胸に別々の道を歩んだ十和と一馬。
一度は分かれた二人の道は、やがてまた交わる日を迎えるのだが・・・。


ベタな展開すぎるー。
一馬の思いを利用する権力者である長邦の奥さま時子(春猿)が、
うっふんあっはんの色仕掛けで一馬を陥落するところなど、
んもー、しむらーうしろうしろー!みたいな。

だが、わかりやすさが一番の歌舞伎ですから、
第2幕で楽しむべきはやっぱり所作や殺陣でありましょう。

盗賊と十和が脱獄を謀るところは、胸のすくようなアクションであった。
ちゃんとした形がありながらも、ドタンバタンと大暴れ。

仏師は自由だ。
仏教からも権力からも自由。
でも作るのはやっぱり形式の決まった仏像。

第3幕でも、あ~~~~~、とつい声が漏れてしまうような殺陣があるのだが、
その自由さを体現したような本作での殺陣であった。
決まりごとの中にも自由さがある。
枠のない自由さなんてつまらないじゃん?
枠があるからこその、楽しさ、というか奥深さ、というか。
決まり事ギリギリを攻める感触が、私は好き。

ここで伊吹の傷が悪化し、命を落とす。
これで十和のせいで命を落としたのが3人ですぞ。
これだけ死ねば、もはや立派な殺人鬼。
なのにのんきに仏像彫ってる場合か。

九龍役の右近さんが相変わらずお上手でした。

(幕間20分)



おやつ休憩。


●第3幕 人の似姿
 一場 貴族の屋敷
 二場 九龍の工房
 三場 長邦の屋敷
 四場 九龍の工房
 五場 都近くの農村
 六場 九龍の工房
 七場 朱雀門

九龍という新しい師を得た十和は、仏師として再出発し、
飢饉や疫病に苦しむ農村に仏像を寄贈し、貴族からの依頼は断っていた。
一方、一馬は百姓一揆を興させるべく、百姓の村を焼き払う。
農民に「怒り」を感じさせ、自発的に暴動を起こさせ、
自分たちの苦しい生活をお上に知ってもらおう、としたのだ。
そのためには農民の多少の犠牲は仕方ない。
との上司である長邦の命令どうり、百姓の村を焼き払った一馬だった。
と同時に、何かがおかしい、こんなのおかしい、と感じている一馬ではあった。
しかしもう自分を止めることはできず、
権力を手に入れるために多少の犠牲は厭わない、ただその一心で進んで行くのであった。


この対照的な2人が「仏像」をとおして、再び再会する。
そこでちょっとした手違いで、師匠である九龍が斬り殺されてしまう。
あ~あ~、十和に関わったせいで4人目の犠牲者が~。
(まあ、これは十和のせい、というより、一馬のせいなのだが・・・)

十和に再会をし、十和の彫った「空(クウ)」の仏像を見て、
今まで犯してきた過ちに気づいた一馬。
あとは2人で百姓一揆をとめるべく、いざ、朱雀門へ、ワイヤーでフライング~。

空を飛ぶ、それがスーパー歌舞伎であります。
 ※しかしながら、wikiを見ると・・・
  スーパー歌舞伎とは、3代目市川猿之助が1986年に始めた、
  古典芸能化した歌舞伎とは異なる演出による現代風歌舞伎。
  
あれあれ?ワイヤーで吊られるのがスーパー歌舞伎の定義だと勝手に思っていたのだが、
そうでもないらしい。

とりあえず今作ではワイヤーで吊られて(不動明王の力を借りて)
朱雀門まで空を駆け抜けて行ったのだが、
飛ぶ必要があるのか、と問われれば、答えに詰まるあもちゃん。

しかしながら走って間に合う距離じゃないそうです。
浅野和之さんが舞台上で御丁寧に説明しておりました。
飛ぶしかないから飛ぶ。
まるでワイヤーで飛びたいがための理由作りのようであります。

そして朱雀門へ到着した2人に盗賊団が合流する。
そこで、長邦の軍勢と十和たちのハラハラドキドキの立ち回りが始まった!!!

これがほんとにカッコよかったす~。
ゴレンジャー的な、それぞれ一人ずつの立ち回りがありーの、
戸板を使って、バッタンくるくる回転しーの、
戸板を階段がわりに使ってかけあがりーの、
戸板を台にして、 _  ←この上に立ちーの。
        | |
この時、観客席から、きゃ~~~~!とかああああああ!とか嘆声が洩れた。
私も思わず、ああああああ、と言いました。
アクロバティックすぎる~。
歌舞伎役者ってもしかして、運動神経もよくないといけないんじゃないかしら?

十和と一馬、そして盗賊団の大立ち回りのおかげで、見事無駄な一揆は防ぐことができ、
再び平和な時がもどってきたのであった・・・・
そして旅立ち。
十和は日本全国を回って、仏像を彫って行くよ!さらば!!!

おしまい。

えー。コホン。
それはもう大変わかりやすい物語で、隣でときどきグゴーグゴー言っていた夫も、
「わかりやすかった~」
とご満悦であった。
寝てても分かる物語。

全体の物語を簡単に説明すると、
生まれながらの仏師である自分の、自分探しの物語
である。

とにかく歌舞伎はわかりやすさ、が命。
本当にわかりやすい作品であった。

が~

どんな理由であれ、人を殺めて(しかも2人も!)、
そして自分の短慮から大事な友達の腕を傷つけ、そして死に至りしめているにも関わらず、
とくに罰を受けるでもなく、そりゃ自分の人生について思い詰めたりはしておりましたが、
最終的に、
日本全国を回って、ホトケをひたすら彫り続ける人生を歩んで行きます!ちゃんちゃん!
でいいのかー!
とも思うのであります。

だいたい、お前が自分勝手に自暴自棄になって暴れたせいで、
友人の伊吹の腕が失われることになり、
そのケガが原因で伊吹が死ぬことになる。
なのに、お前の分まで生きるぞー!って!!!

腕一本くらい無くした方が、罪と罰、のバランスがとれてていいと思うんですが~。
伊吹、死にゾン。

おもしろければそれでも全然かまわない、とは思うのだが、
笑いを挟みながらも、思想的で哲学的な趣を前面に押し出していた作品だったので、
そこがひっじょーに気になった。

仏教の教えを説いたり、色即是空の「空」について持論を述べたり、
仏像の意味とは、など考えたりもしているの。
なのに!2人も殺しているのに、そのことが全くなかったことに~。

この作品を見て、古典の歌舞伎を見てみたい!とはならない気がするなあ。
歌舞伎とは完全に別個のもの、という感じである。
しかし、またスーパー歌舞伎を見てみたい、とは思うかもしれない。
そういう意味で、最初の一歩、としては入りやすい作品と言えよう。

そして最後にどうしても言いたいことが。
音楽が~~~~~。
三流。
あ~あ、言っちゃった。

でもでも、だって~~~~~。
ほんとに音楽が三流なんだもん。
どこぞで聞いたような・・・あ、岡田准一くんのSP?を彷彿とさせるようなメロディ。
そして作品の盛り上がりに水を浴びせかけるような、つまらないBGM。
もう少しなんとかならなかったか!!
本当に普通の三味線と尺八と歌、だけでよかったのに~。
それだけで充分、雰囲気が出たと思う。
シンセサイザーとか無駄にテキトーに使っちゃうから、
現代劇としても歌舞伎としてもどっちつかずの中途半端に・・・

音楽がもう少しよければ、作品ももう少し盛り上がってみることができたと思う。
残念~。

だが、新しいものの始まりというのは常にこうしたもの。
少しずつ改良していき、よい作品になっていくものと期待したい。