平成24年10月31日(水)、
『サントリーホールスペシャルステージ
ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ』(inサントリーホール)を聴きに行く。
針の穴の向こうに、無限に広がる宇宙が見える。
◆◇
ギドン・クレーメルといえば、私にとって、
映画「無伴奏「シャコンヌ」」(1994)のラストでヴァイオリンを弾いてた人、である。
無伴奏「シャコンヌ」 [VHS]/ポニーキャニオン
¥16,800
Amazon.co.jp
映画パンフレット 「無伴奏シャコンヌ」監督シャルリー・ヴァン・ダム 出演シャルリー・ベリ/フラ.../アットワンダー
¥価格不明
Amazon.co.jp
当時、つきあっていた恋人と布団の中でこの映画を見ていたのだが、
(え?布団の中で何してたかって?
そりゃもう、あーた、
田舎のカップルがすることっていったら、映画鑑賞かアレ、しかないわけで。→コラッ!)
まあ、とにかくこの映画、ストーリーがさっぱりわからんちんだったのです。
よくわかんないけどこれがエスプリの薫りなのね~と、
初めて飲んだ珈琲みたいな感想を持ちながら、背中越しに恋人に話しかけた。
私「・・・私、なんだかさっぱりわかんないんだけど・・・あれ?ねえねえ??」
恋「zzz」
私「寝てるしーーーーー!!!!!」
20分もしないうちに、恋人はグースカ寝ていた。
やだー。わ~ん。私も眠い~。私だって寝たいよ~。
でもせっかくTSUTAYAで(彼が)借りたんだし、最後まで観なきゃ~。
私のお金じゃないけど、もったいないし~。
とネムネムのお目目をこすりながら、私一人で頑張ってみていたら・・・
(でもやっぱり映画の意味がわからない・・・)
突然ラスト10分くらいで、目が覚めるような演奏が始まった。
バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ「シャコンヌ」である。
あもちゃん、パチクリ目が覚めた。
なんだ、この演奏は。
なんだ、この音は。
なんだ、このバッハは。
すげー。
と、ハタと気づいたら、ポロポロ泣いてた私。
裸で布団から這い出し、寝ている彼をガサゴソ乗り越え、→ムカデかw
ビデオのパッケージを読みますれば、
ヴァイオリニスト:ギドン・クレーメル
と書いてあるではありませんか。
しかも、この画面にぼんやり背中が映ってる人は、ギドン・クレーメルご本人らしい。
むはー!
すげー!
てなわけで、
このたび、私を感涙にむせび泣かせたご本人が来日する、ということで、
タオルハンケチをしっかりと握りしめ、喜び勇んで出かけたわけなのであります。
ご参考迄に、ギドン・クレーメルによるの無伴奏シャコンヌをどうぞ・・・↓
あれれ~?
映画じゃこんな個性的な出だしじゃなかったんだけどな。
(でも中盤から終盤にかけては、やっぱり味わい深い音を出している。
しかもバッハの無伴奏の構造をきっちり理解して壮大なスケールで演奏している。
さすが巨匠。低音部分なんて、バッハバッハとつぶやいているようであります。)
もっとスタンダードな演奏だったはずなんだけど。
さすがに10年経つと演奏スタイルも変わってくるよなあ。
ちょっと暗雲が立ちこめてまいりました。。
ギドン・クレーメルに関しては、当初より少々危険な予感がしないではなかった。
カラヤンとの印象深い話がありまして・・・
カラヤンは自分の作りたい音を奏でてくれるヴァイオリニストを探していた。
ギドン・クレーメルが最適、と彼を選び、一緒に演奏をしていたのだが、
ギドン・クレーメルの音楽の方向性と違いによりコンビは解散、
カラヤンはその後、アンネ・ゾフィー・ムターに目をつけ、育てて行く。
その関係はなが~くなが~く続いていく。
というお話。
私、アンネ・ゾフィー・ムターの音、結構好き。
つーことは、ギドン・クレーメルの音は・・・。。。
個性強そうだもんな~。
ついでに言うと、アクも強そうである。
いやいや、音楽性は違っても、一流の音楽家であることは違いない。
だって、アクの強いマルタ・アルゲリッチとの共演CDなんて最高だったし!!!
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、第9番「クロイツェル」/アルゲリッチ(マルタ) クレーメル(ギドン)
¥1,800
Amazon.co.jp
これは、すんばらしかった。
さあ!
そこはかとなく不安は一蹴して、元気だして行ってみよっっっ!!!!
夜のサントリーホールにやってきました~!
◆◇
曲目
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op. 129
(ルネ・ケーリングによるヴァイオリン、弦楽合奏とティンパニ編曲版)
モーツァルト:ピアノ協奏曲 イ長調 K488
(休憩)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op. 61
出演
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ
室内アンサンブル:クレメラータ・バルティカ
いきなりシューマンで寝てしまった。
しまったーーーーー><
2000円くらい損した~~~! →そこ~?
眠たい音だな~。
シャッキリハッキリ弾かんかい・・・ →ひでえ。巨匠に向かってこの言い草。
と思ってたら、気づいたら1楽章が終わってた・・・。
あんなに楽しみにしてたのに~。
寝ちゃったよ~~~。
だいたい、この曲、もともとチェロのための協奏曲なのだ。
それをわざわざヴァイオリン用に編曲しなおし、
しかもしかもシューマンが編曲したバージョンではなく、
ルネなんたらによる編曲版で、なんだかぼんやりした曲になってんな~。
と思ったら寝ちゃったのだ。
ええ、ええ、ただの言い訳です。
ここで少々言い訳ついでに、本日のアンサンブルについての説明をいたしましょう。
本日の室内アンサンブル「クレメラータ・バルティカ」は、
1997年にギドン・クレーメルによって結成された。
クレーメルは、自らの幅広い音楽経験をバルト三国の若手の演奏家たちに伝え、
それと同時にバルト諸国で新たに復興した独自の音楽の息吹をさらに促進し、
鼓舞して行くよう努力を続けている。
というわけで簡単に一言で言うと、
バルト三国の若手音楽家たちが勢揃い、というアンサンブルなのである。
1楽章で寝ちゃったシューマンはもうこの際、あきらめて、
そんな若手音楽家アンサンブルに若手ピアニストを加えた、
次のモーツァルトのピアノ協奏曲から真剣に聞こうじゃないか。
この曲、ギドン・クレーメルいないけどさ。
いや~、真剣に聞いた甲斐あって、
このアンサンブルによる、モーツァルトの演奏がすんばらしかったのだ。
セクシ~で、なおかつとってもモダン。
モーツァルトの音楽があんなにモダンだなんて感じたの、久しぶりだ。
個性的なモーツァルトってあまり好きではないのだが、彼らの演奏には全く嫌悪を感じなかった。
アクは強すぎず、ロマンチックすぎず、音がピンと張っていて、とにかくセクシー。
こんなモダンな演奏、モーツァルトが聞いたら、驚いちゃうんじゃないだろうか。
でもちょっと嬉しい、と思うかもしれない、そんな斬新で目が覚めるような演奏。
そしてピアニストのカティアさんが、これまたセクシー。
音だけでなく外見もさらにセクシーなのだ。
見目麗しいスレンダー美人。
背中がパックリ大きく開いたピッタリドレスをお召しになっていた。
ピアニストであんなに体のラインを強調したドレスを着る人、初めて見たぞ。
自分の外見の美しさをちゃんと分かっている。
しかも見せ方もちゃんとわかってる。
幼いころから美しい人は、自分の美しさを理解しているため、見せ方も自然で上手だ。
真っ赤な口紅を塗り、ふわふわのパーマのかかったセミロングの髪を掻きあげる様子は、
少しけだるく、これまたセクシー。
しかし15cmくらいのピンヒールを履いてのご登場には、さすがのあもちゃんも驚いた。
すげ~な、この人。
このピンヒールでピアノ弾いちゃうんだ。
ペダルにはさまったりしないのかしら?
あ、モーツァルトだからペダルはあまり使わないか。
それにしても背中も無駄な筋肉がなく、どの角度からみても美しい。
さて外見を絶賛しまくった一方で肝心な彼女の演奏だが、これが容貌どおりの色っぽさ。
技術はそこそこだが、音がとにかくつやっぽい。
1歩間違えたら、18禁ですよ。ってくらいのセクシーさ(笑)。
モーツァルトってそんなにエロかったかしら?
1音1音が艶っぽいのだ。濡れた瞳で見つめられているような錯覚さえ覚える。
どうしたらああいう音が出るのだろう。
アンコールでは、
リストの「愛の夢」を演奏したが、
それ以上弾いたら、放送禁止になっちゃう~!ってくらいの色っぽさでした。
自由すぎる演奏なのだが、全然嫌じゃなかったなあ。
彼女の音は、全体的に音量が足りないのだが、それを補う、いやいやそれ以上の艶っぽさ。
不思議な気持ちになる、演奏であった。
あの音は麻薬だ。
そして本日のメインイベントがやってまいりました。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op. 61」である。
この曲は、ベートーヴェンが残した唯一のヴァイオリン協奏曲である。
すごくシンプルなのだが、ひじょーに美しい曲である。と私は思う。
プログラムによると、
「このヴァイオリン協奏曲におけるベートーヴェンは、
装飾や変奏の追加をふくめて、作品を独奏者の自発性に委ねるという、
当時の協奏曲の慣習にある程度は従っているように見える。」
とあり、すなわち、カデンツァ(独奏部分)をどのように演奏するか、は、
独奏ヴァイオリニストにまかされているのである。
おそろしや~。
あのクレーメルがどんなベートーヴェンのカデンツァを弾いてくれるのだろう。
わくわく、どきどきしながら、待ちわびた私。
キコ~とアンサンブルが演奏を始める。
相変わらずクレメラータ・バルティカのアンサンブルはいい音を出す。
耳に届いてくる、新鮮な音が心地よい。
心地よいアンサンブルの音にくるまれていると、ツルル~とクレーメルが弾き出した。
すんごい音、来ました!!!
こりゃまた随分新しいベートーヴェンが来たよ、と私、目が覚めた。
(寝てなかったけどね!!!)
古い核を丁寧に新しい糸でぐるぐる巻きにしたような、そんな音。
内にこめた古典への熱情を大事にしつつ、新しい音を求め続ける御年65歳のクレーメル。
おじいちゃん、今でもそんな音が出るなんて、すげえなあ。と感心しきり。
おじいちゃん・・・ってうちの父親より年下だが。
そしていよいよカデンツァへ。
うーん。
やはり想像どおりのものすごいカデンツァであった。
ベートーヴェンが、ボッサボサの髪の毛をバリカンで刈り上げ、モヒカンにして、
目をひんむいて現代に飛んできた!
くらいのインパクト。
ベートーヴェンの髪の毛1本くらいしか残ってないカデンツァっつーのもすごいですな。
それがまあ、楽しそうに弾いてんだ、これが。
よかったね、おじいちゃん。
やっぱりクレーメルって現代曲を、個性的に弾くのが好きなんだな~。
荒れた未開の地をワッサワッサと切り込んで行く根性と荒々しさが彼にはある。
そりゃ、カラヤンと早い段階で方向性も違ってくる。
ちなみに、
ギドン・クレーメルがカデンツァとして選択しているのは、
アルフレート・シュニトケ(ロシア生まれの作曲家)によるカデンツァである。
バルト三国にしろ、ロシアにしろ、自分の出生にしろ、
並々ならぬクレーメルの国へのこだわりを感じる。
みんな大好きwikiによると・・・
ギドン・マルクソヴィチ・クレーメル(1947年2月27日 - )は、
ラトビア(生誕時はソヴィエト連邦ラトビア・ソビエト社会主義共和国)のリガ出身の、
ドイツのヴァイオリニスト、指揮者。
父母ともに交響楽団のヴァイオリニストで、ドイツ系ユダヤ人の出自を持つ。
父親はホロコーストの生き残りで、リガの地下室に2年間隠れて生き延びた。
祖父ゲオルク・ブリュックナーはリガ歌劇場のコンサートマスターだった。
(略)
ソヴィエト連邦内のツアーを行った後、
1975年にドイツで初めてのコンサートを開き、
西側ヨーロッパでの鮮烈なデビューを飾った翌年、ザルツブルク音楽祭でさらに評判を得る。
1977年にはニューヨークへも進出し、アメリカでも名声を博した。
自身が注目を集めるにつれ、若い演奏家の育成・発掘にも尽力するようになる。
ドイツに亡命した翌年にあたる1981年には、ロッケンハウス音楽祭を自ら創設し・・・
(略)
・・・・
最初の10行くらいで、私の100人分くらいの一生を生きている気がする。
そういうものを感じながら聞くとまた違う音に聞こえてくるかも知れない。
が、そんな背景を知らずに聴いても、
クレーメルのヴァイオリンからはやはり複雑かつ美しい音が聞こえてくるのである。
そんなモヒカンベートーヴェンの演奏が終わり、
拍手拍手、大拍手。
ブラボーおじさん(※演奏の良し悪しに関わらず、ブラボーと叫ぶおじさんのこと)が
会場のあちこちにいて、ブラボーブラボーの大合唱。
そんなブラボーおじさんたちに丁寧に答えるギドン・クレーメル。
そして今日一番の収穫であった、アンコール曲が始まった。
アンコール曲は、
カンチェリ「黄色いボタン」
である。
この演奏が大層すばらしく、あもちゃんの胸の奥にじんじん響いた。
行き先を失った感動が体中をかけめぐり、体がじんじんしてきた。
ヴィブラフォンを演奏していたのが、アンドレイ・プシュカレフさんであったのだが、
彼のヴィブラフォンの音とクレーメルの音がピタっと吸い寄せられるように
フィットしていた。
お互いの音をお互いが求めているような、そんな演奏。
すっと吸い寄せ合い、一つの音になる。
そしてクレーメルは、ツルル~と小さな小さな一筋の音を奏でて行く。
それはそれはとても細くて、1本の絹のようだ。
その絹の糸が向かう先は、細い細い針の穴だ。
その中にバイオリンの音の糸を通している。
1音1音丁寧に、クレーメルは針の穴に糸を通していく。
音の糸が通り抜けた針の穴をのぞくと、宇宙が無限に広がっているのだ。
私が、かつて聞いたギドン・クレーメルの音はこれだったのだ。
シャコンヌのような、熱くてほとばしる情熱のような音ではないけれど、
広い闇夜に散らばる無数の音の星を見せてくれた。
は~。今日もいい夜だった。
あもは東京に星が無いといふ
ほんとの星が見たいといふ
けれど今日のあもの心の空は、満天の星だった。
最後に余計な一言。
クレーメル、ちょっと痩せた方がいいような・・・健康のためにも。
ポッコリお腹が少々気になりました。
ポッコリ過ぎてベルトがしまらないのか、
シャツの裾をズボンの中に入れるのを最初からあきらめているようで、
シャツがビローン、と外に出ておりました。
燕尾服の中のシャツをそういう着方する人、初めてみたよ(笑)
『サントリーホールスペシャルステージ
ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ』(inサントリーホール)を聴きに行く。
針の穴の向こうに、無限に広がる宇宙が見える。
◆◇
ギドン・クレーメルといえば、私にとって、
映画「無伴奏「シャコンヌ」」(1994)のラストでヴァイオリンを弾いてた人、である。
無伴奏「シャコンヌ」 [VHS]/ポニーキャニオン
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当時、つきあっていた恋人と布団の中でこの映画を見ていたのだが、
(え?布団の中で何してたかって?
そりゃもう、あーた、
田舎のカップルがすることっていったら、映画鑑賞かアレ、しかないわけで。→コラッ!)
まあ、とにかくこの映画、ストーリーがさっぱりわからんちんだったのです。
よくわかんないけどこれがエスプリの薫りなのね~と、
初めて飲んだ珈琲みたいな感想を持ちながら、背中越しに恋人に話しかけた。
私「・・・私、なんだかさっぱりわかんないんだけど・・・あれ?ねえねえ??」
恋「zzz」
私「寝てるしーーーーー!!!!!」
20分もしないうちに、恋人はグースカ寝ていた。
やだー。わ~ん。私も眠い~。私だって寝たいよ~。
でもせっかくTSUTAYAで(彼が)借りたんだし、最後まで観なきゃ~。
私のお金じゃないけど、もったいないし~。
とネムネムのお目目をこすりながら、私一人で頑張ってみていたら・・・
(でもやっぱり映画の意味がわからない・・・)
突然ラスト10分くらいで、目が覚めるような演奏が始まった。
バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ「シャコンヌ」である。
あもちゃん、パチクリ目が覚めた。
なんだ、この演奏は。
なんだ、この音は。
なんだ、このバッハは。
すげー。
と、ハタと気づいたら、ポロポロ泣いてた私。
裸で布団から這い出し、寝ている彼をガサゴソ乗り越え、→ムカデかw
ビデオのパッケージを読みますれば、
ヴァイオリニスト:ギドン・クレーメル
と書いてあるではありませんか。
しかも、この画面にぼんやり背中が映ってる人は、ギドン・クレーメルご本人らしい。
むはー!
すげー!
てなわけで、
このたび、私を感涙にむせび泣かせたご本人が来日する、ということで、
タオルハンケチをしっかりと握りしめ、喜び勇んで出かけたわけなのであります。
ご参考迄に、ギドン・クレーメルによるの無伴奏シャコンヌをどうぞ・・・↓
あれれ~?
映画じゃこんな個性的な出だしじゃなかったんだけどな。
(でも中盤から終盤にかけては、やっぱり味わい深い音を出している。
しかもバッハの無伴奏の構造をきっちり理解して壮大なスケールで演奏している。
さすが巨匠。低音部分なんて、バッハバッハとつぶやいているようであります。)
もっとスタンダードな演奏だったはずなんだけど。
さすがに10年経つと演奏スタイルも変わってくるよなあ。
ちょっと暗雲が立ちこめてまいりました。。
ギドン・クレーメルに関しては、当初より少々危険な予感がしないではなかった。
カラヤンとの印象深い話がありまして・・・
カラヤンは自分の作りたい音を奏でてくれるヴァイオリニストを探していた。
ギドン・クレーメルが最適、と彼を選び、一緒に演奏をしていたのだが、
ギドン・クレーメルの音楽の方向性と違いによりコンビは解散、
カラヤンはその後、アンネ・ゾフィー・ムターに目をつけ、育てて行く。
その関係はなが~くなが~く続いていく。
というお話。
私、アンネ・ゾフィー・ムターの音、結構好き。
つーことは、ギドン・クレーメルの音は・・・。。。
個性強そうだもんな~。
ついでに言うと、アクも強そうである。
いやいや、音楽性は違っても、一流の音楽家であることは違いない。
だって、アクの強いマルタ・アルゲリッチとの共演CDなんて最高だったし!!!
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、第9番「クロイツェル」/アルゲリッチ(マルタ) クレーメル(ギドン)
¥1,800
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これは、すんばらしかった。
さあ!
そこはかとなく不安は一蹴して、元気だして行ってみよっっっ!!!!
夜のサントリーホールにやってきました~!
◆◇
曲目
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op. 129
(ルネ・ケーリングによるヴァイオリン、弦楽合奏とティンパニ編曲版)
モーツァルト:ピアノ協奏曲 イ長調 K488
(休憩)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op. 61
出演
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ
室内アンサンブル:クレメラータ・バルティカ
いきなりシューマンで寝てしまった。
しまったーーーーー><
2000円くらい損した~~~! →そこ~?
眠たい音だな~。
シャッキリハッキリ弾かんかい・・・ →ひでえ。巨匠に向かってこの言い草。
と思ってたら、気づいたら1楽章が終わってた・・・。
あんなに楽しみにしてたのに~。
寝ちゃったよ~~~。
だいたい、この曲、もともとチェロのための協奏曲なのだ。
それをわざわざヴァイオリン用に編曲しなおし、
しかもしかもシューマンが編曲したバージョンではなく、
ルネなんたらによる編曲版で、なんだかぼんやりした曲になってんな~。
と思ったら寝ちゃったのだ。
ええ、ええ、ただの言い訳です。
ここで少々言い訳ついでに、本日のアンサンブルについての説明をいたしましょう。
本日の室内アンサンブル「クレメラータ・バルティカ」は、
1997年にギドン・クレーメルによって結成された。
クレーメルは、自らの幅広い音楽経験をバルト三国の若手の演奏家たちに伝え、
それと同時にバルト諸国で新たに復興した独自の音楽の息吹をさらに促進し、
鼓舞して行くよう努力を続けている。
というわけで簡単に一言で言うと、
バルト三国の若手音楽家たちが勢揃い、というアンサンブルなのである。
1楽章で寝ちゃったシューマンはもうこの際、あきらめて、
そんな若手音楽家アンサンブルに若手ピアニストを加えた、
次のモーツァルトのピアノ協奏曲から真剣に聞こうじゃないか。
この曲、ギドン・クレーメルいないけどさ。
いや~、真剣に聞いた甲斐あって、
このアンサンブルによる、モーツァルトの演奏がすんばらしかったのだ。
セクシ~で、なおかつとってもモダン。
モーツァルトの音楽があんなにモダンだなんて感じたの、久しぶりだ。
個性的なモーツァルトってあまり好きではないのだが、彼らの演奏には全く嫌悪を感じなかった。
アクは強すぎず、ロマンチックすぎず、音がピンと張っていて、とにかくセクシー。
こんなモダンな演奏、モーツァルトが聞いたら、驚いちゃうんじゃないだろうか。
でもちょっと嬉しい、と思うかもしれない、そんな斬新で目が覚めるような演奏。
そしてピアニストのカティアさんが、これまたセクシー。
音だけでなく外見もさらにセクシーなのだ。
見目麗しいスレンダー美人。
背中がパックリ大きく開いたピッタリドレスをお召しになっていた。
ピアニストであんなに体のラインを強調したドレスを着る人、初めて見たぞ。
自分の外見の美しさをちゃんと分かっている。
しかも見せ方もちゃんとわかってる。
幼いころから美しい人は、自分の美しさを理解しているため、見せ方も自然で上手だ。
真っ赤な口紅を塗り、ふわふわのパーマのかかったセミロングの髪を掻きあげる様子は、
少しけだるく、これまたセクシー。
しかし15cmくらいのピンヒールを履いてのご登場には、さすがのあもちゃんも驚いた。
すげ~な、この人。
このピンヒールでピアノ弾いちゃうんだ。
ペダルにはさまったりしないのかしら?
あ、モーツァルトだからペダルはあまり使わないか。
それにしても背中も無駄な筋肉がなく、どの角度からみても美しい。
さて外見を絶賛しまくった一方で肝心な彼女の演奏だが、これが容貌どおりの色っぽさ。
技術はそこそこだが、音がとにかくつやっぽい。
1歩間違えたら、18禁ですよ。ってくらいのセクシーさ(笑)。
モーツァルトってそんなにエロかったかしら?
1音1音が艶っぽいのだ。濡れた瞳で見つめられているような錯覚さえ覚える。
どうしたらああいう音が出るのだろう。
アンコールでは、
リストの「愛の夢」を演奏したが、
それ以上弾いたら、放送禁止になっちゃう~!ってくらいの色っぽさでした。
自由すぎる演奏なのだが、全然嫌じゃなかったなあ。
彼女の音は、全体的に音量が足りないのだが、それを補う、いやいやそれ以上の艶っぽさ。
不思議な気持ちになる、演奏であった。
あの音は麻薬だ。
そして本日のメインイベントがやってまいりました。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op. 61」である。
この曲は、ベートーヴェンが残した唯一のヴァイオリン協奏曲である。
すごくシンプルなのだが、ひじょーに美しい曲である。と私は思う。
プログラムによると、
「このヴァイオリン協奏曲におけるベートーヴェンは、
装飾や変奏の追加をふくめて、作品を独奏者の自発性に委ねるという、
当時の協奏曲の慣習にある程度は従っているように見える。」
とあり、すなわち、カデンツァ(独奏部分)をどのように演奏するか、は、
独奏ヴァイオリニストにまかされているのである。
おそろしや~。
あのクレーメルがどんなベートーヴェンのカデンツァを弾いてくれるのだろう。
わくわく、どきどきしながら、待ちわびた私。
キコ~とアンサンブルが演奏を始める。
相変わらずクレメラータ・バルティカのアンサンブルはいい音を出す。
耳に届いてくる、新鮮な音が心地よい。
心地よいアンサンブルの音にくるまれていると、ツルル~とクレーメルが弾き出した。
すんごい音、来ました!!!
こりゃまた随分新しいベートーヴェンが来たよ、と私、目が覚めた。
(寝てなかったけどね!!!)
古い核を丁寧に新しい糸でぐるぐる巻きにしたような、そんな音。
内にこめた古典への熱情を大事にしつつ、新しい音を求め続ける御年65歳のクレーメル。
おじいちゃん、今でもそんな音が出るなんて、すげえなあ。と感心しきり。
おじいちゃん・・・ってうちの父親より年下だが。
そしていよいよカデンツァへ。
うーん。
やはり想像どおりのものすごいカデンツァであった。
ベートーヴェンが、ボッサボサの髪の毛をバリカンで刈り上げ、モヒカンにして、
目をひんむいて現代に飛んできた!
くらいのインパクト。
ベートーヴェンの髪の毛1本くらいしか残ってないカデンツァっつーのもすごいですな。
それがまあ、楽しそうに弾いてんだ、これが。
よかったね、おじいちゃん。
やっぱりクレーメルって現代曲を、個性的に弾くのが好きなんだな~。
荒れた未開の地をワッサワッサと切り込んで行く根性と荒々しさが彼にはある。
そりゃ、カラヤンと早い段階で方向性も違ってくる。
ちなみに、
ギドン・クレーメルがカデンツァとして選択しているのは、
アルフレート・シュニトケ(ロシア生まれの作曲家)によるカデンツァである。
バルト三国にしろ、ロシアにしろ、自分の出生にしろ、
並々ならぬクレーメルの国へのこだわりを感じる。
みんな大好きwikiによると・・・
ギドン・マルクソヴィチ・クレーメル(1947年2月27日 - )は、
ラトビア(生誕時はソヴィエト連邦ラトビア・ソビエト社会主義共和国)のリガ出身の、
ドイツのヴァイオリニスト、指揮者。
父母ともに交響楽団のヴァイオリニストで、ドイツ系ユダヤ人の出自を持つ。
父親はホロコーストの生き残りで、リガの地下室に2年間隠れて生き延びた。
祖父ゲオルク・ブリュックナーはリガ歌劇場のコンサートマスターだった。
(略)
ソヴィエト連邦内のツアーを行った後、
1975年にドイツで初めてのコンサートを開き、
西側ヨーロッパでの鮮烈なデビューを飾った翌年、ザルツブルク音楽祭でさらに評判を得る。
1977年にはニューヨークへも進出し、アメリカでも名声を博した。
自身が注目を集めるにつれ、若い演奏家の育成・発掘にも尽力するようになる。
ドイツに亡命した翌年にあたる1981年には、ロッケンハウス音楽祭を自ら創設し・・・
(略)
・・・・
最初の10行くらいで、私の100人分くらいの一生を生きている気がする。
そういうものを感じながら聞くとまた違う音に聞こえてくるかも知れない。
が、そんな背景を知らずに聴いても、
クレーメルのヴァイオリンからはやはり複雑かつ美しい音が聞こえてくるのである。
そんなモヒカンベートーヴェンの演奏が終わり、
拍手拍手、大拍手。
ブラボーおじさん(※演奏の良し悪しに関わらず、ブラボーと叫ぶおじさんのこと)が
会場のあちこちにいて、ブラボーブラボーの大合唱。
そんなブラボーおじさんたちに丁寧に答えるギドン・クレーメル。
そして今日一番の収穫であった、アンコール曲が始まった。
アンコール曲は、
カンチェリ「黄色いボタン」
である。
この演奏が大層すばらしく、あもちゃんの胸の奥にじんじん響いた。
行き先を失った感動が体中をかけめぐり、体がじんじんしてきた。
ヴィブラフォンを演奏していたのが、アンドレイ・プシュカレフさんであったのだが、
彼のヴィブラフォンの音とクレーメルの音がピタっと吸い寄せられるように
フィットしていた。
お互いの音をお互いが求めているような、そんな演奏。
すっと吸い寄せ合い、一つの音になる。
そしてクレーメルは、ツルル~と小さな小さな一筋の音を奏でて行く。
それはそれはとても細くて、1本の絹のようだ。
その絹の糸が向かう先は、細い細い針の穴だ。
その中にバイオリンの音の糸を通している。
1音1音丁寧に、クレーメルは針の穴に糸を通していく。
音の糸が通り抜けた針の穴をのぞくと、宇宙が無限に広がっているのだ。
私が、かつて聞いたギドン・クレーメルの音はこれだったのだ。
シャコンヌのような、熱くてほとばしる情熱のような音ではないけれど、
広い闇夜に散らばる無数の音の星を見せてくれた。
は~。今日もいい夜だった。
あもは東京に星が無いといふ
ほんとの星が見たいといふ
けれど今日のあもの心の空は、満天の星だった。
最後に余計な一言。
クレーメル、ちょっと痩せた方がいいような・・・健康のためにも。
ポッコリお腹が少々気になりました。
ポッコリ過ぎてベルトがしまらないのか、
シャツの裾をズボンの中に入れるのを最初からあきらめているようで、
シャツがビローン、と外に出ておりました。
燕尾服の中のシャツをそういう着方する人、初めてみたよ(笑)