幼年時代 (新潮文庫)/トルストイ

¥380
Amazon.co.jp

幼年時代 (岩波文庫)/トルストイ

¥588
Amazon.co.jp

いつのことだか思い出してごらん。
あんなこと、こんなこと、あったでしょう。


(あらすじ)※新潮文庫裏表紙より
10歳になったわたしは、父の領地で何不自由のない生活をしていたが、
勉強のために、兄と一緒にモスクワで暮らすこととなった。
最後の狩り、母との別れ、都会での貴族的な生活、
そして母の死。
・・・みずみずしさ、屈託のなさ、愛への渇望、純粋な信仰心に満ちた、
人生の最も美しい時代を描きながら、
のちのトルストイ文学の特質をあますところなく備えた、
自伝的処女中編である。


「世界の名作に触れてみよう」第6弾には、「幼年時代」を選んだ。
(理由:トルストイにハマったから。短いから。)

トルストイはやっぱりおもしろい。
はまるわ~

この「幼年時代」は、僕ニコーレニカの幼き眼で見た、
小さな世界を描いたものである。
家族や侍従たちのこと、
なんと言うことのない日常生活、
小さなままごとのような冒険、
自身の容貌や才能についてのコンプレックス、
胸を焦がすような初恋、
そして母の死・・・

まるで自分の心のアルバムを見せられているような気分になる。
ロシアの広大な草原を馬で駆け抜けて、狩りをするシーンなどは
さすがに私のちっぽけなアルバムにはないが。
(ちなみに私のアルバムには、
 家の中をヤモリやムカデが闊歩して歩くシーンはある。)

トルストイの描く風景描写は相変わらずすばらしい、の一言につきる。
草原をわたる風が私の髪を揺らす。
草木や古い屋敷の匂いが私の鼻をくすぐる。
私の眼前には常にニコーレニカを取り巻く小さな世界が広がっていた。

さらに、
トルストイは風景描写の魔術師であると同時に、
心を写しとる技術にも長けている。

小さな男の子の揺れる心情を、くまなく写し取っているのである。
正確に全てを緻密に写しとる、というのではなく、
大胆に輪郭をつかんで、大胆に一部を抜き出し丁寧に描いている。
その描き方が私の心をぐっとわしづかみにするのである。

たとえば。
姉妹のロビンソンごっこ(妄想ごっこ)に喜んでつきあうニコーレニカ。
それに無理矢理つきあわされる兄ウォロージャ。
「漁に行く」
という設定なのに、兄はめんどくさそうな態度でちっとも参加してくれない。
そのものぐさそうな退屈げな様子が、遊びの魅力をぶちこわす。
兄の態度や言葉が、遊びに対するニコーレニカたちの熱を冷まし、
きわめて不愉快にさせた。
しかも、兄の振る舞いが賢明であることを内心では認めざるをえないだけに、
よけいに不愉快だったニコーレニカ。
もし本気に考えたらどんな遊びもできなくなってしまうじゃないか!


わかる!
わかるわ~!
妄想ごっこができなくなったとき、子どもは大人になる。
ニコーレニカは最後の子ども時代を過ごしていた。
そして兄はすでに大人になっていたのだ。

ちなみに子ども時代の私は、ゴレンジャーごっこが好きだった。
(宇宙刑事ギャバンでもいい。)
もちろんピンク役。
いとこの男の子たちは敵役で。←単なるいじめ?
妹は・・・
あれ?うーちゃん、どこにいたんだろ?なにしてたんだ?

一人遊びのときは、魔女ごっこ。
タオルケットを体に巻き付けて、
全世界の人間の心を把握できる能力を備えた万能の魔女になりきっていた。
そして、時に現実世界と妄想世界がゴチャゴチャに。。。
危険!一人遊び!


また、ニコーレニカは美しい友人セリョージャに憧れ、畏怖していた。
憧れのセリョージャに好かれようとする、そのビクビクさがいい。

「何一つ望まず、何一つ求めず、彼のためなら
 すべてを犠牲にしてもいい気持ちだった。
 わたしの心に吹き込んだ熱烈な愛慕の情のほかに、
 彼の存在はそれにも劣らぬ程度のもう一つの感情をひき起こした。
 ほかでもない、彼を何かで悲しませたり、侮辱したりせぬか、
 きらわれはせぬかという不安である。」
「彼の顔が傲慢な表情をうかべていたためか、それとも、
 わたしが自分の容貌を見下げるあまり、
 他人の美しさという優越点を高く評価しすぎたためか、あるいは、
 これがいちばん確かなところだろうが、
 それがまぎれもない愛の兆候であったせいか、
 とにかく彼に対してわたしは、愛と同じ程度に恐怖を感じていた。」

この「畏れ」についての描写は二頁にわたって、丁寧に描かれている。
しかも単に丁寧であるだけではなく、その描写はとても大胆で鋭い。

また、あまりにセリョージャを慕いすぎたニコーレニカに、
セリョージャの癖がうつる、というところがすばらしい。
憧れの人になりたい小さな男の子の心を大胆に切り出している。

そして母親の死。
母の死を前に、ぼんやりとしてしまい、自己の存在意識を失い、
崇高な、口に尽くせぬほどこころよい、
それでいうら哀しい喜びを味わったニコーレニカ。
この自己忘却の一瞬だけが、ほんとうの悲しみであったことに気づく。

それ以降は、
泣きもせずにぼんやりしていたら薄情だと思われるだろうか、とか
自分が不幸だ、と思うことで一種の快感を覚えたり、
不幸の意識をかきたてようと努め、
この利己的な感情がますます自分の内部の真の悲しみをかき消したり・・・。
また葬儀中も、侍従の帽子が気になったり、
あれやこれやが目に入り、常に好奇心が悲しみを邪魔をした。


子どもであれ大人であれ、
哀しいと認知することで、心の本当の悲しみは遠ざかっていくのである。
自分の感情を言葉に表すと、冷静になることができるのと同様であろう。

そしてニコーレニカは子ども時代を終え、大人になる。
さようなら、愛しい幼年時代。


国や習慣や時代が違えども、誰しもこんなキラキラと輝く時代があった。
そういうことを再認識させられるよい作品であった。

トルストイじいちゃん、最高。