春にして君を離れ (クリスティー文庫)/アガサ・クリスティー
鈍いということの罪。
それを温かく見守るだけの罪。
(あらすじ)※amazonより引用。
優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。
が、娘の病気見舞いを終えて
バグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、
それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱き始める。
女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。
(ネタバレします。)
非常に面白かった。
ロマンチックではないと思うが、確かに心理サスペンス。
結婚している人は、いやいや結婚していなくても、
古今東西、老若男女ぜひぜひ読んでほしい本である。
今日も読みたい。
明日も読みたい。
ずっと毎日読んでいたい、そんな本。
(文章も簡単だし。訳文がものすごく変な箇所があるけど。)
探偵も出てこない。
殺人も起こらない。
一人の女性が旅先の天候不順により思わぬ足止めをくらい、
滞在先の簡易宿泊施設でやることもなく、
ひたすら一人で思考にふける物語。
なのに、なによこの面白さ。
とにかく面白い。
男の人はこの作品を、そしてこの登場人物たちをどう思うのかなあ。
特に知りたい。
主人公ジョーンはとにかくいや~な女である。
自分勝手で、自分の価値観を夫だけでなく子供達にまで押しつける。
過労で神経衰弱になった夫が「農場を経営したい」と弱音を吐いた時も、
家計はどうすんの!家庭の生活レベルが落ちる!と夫を叱咤激励。
娘が連れてくるお友達に文句をつけ、自分の選んだ友達と遊ばせようとする。
男を見る目がないために堕ちていく友人の姿に
「神様。私をあんな目に遭わせてくれなくてありがとう」
と全く悪気もなく祈る。
そういうわけで、
当然のように、夫も娘達も母親から距離をとろうとする。
でもジョーンは自分がいい母親であると信じて疑わない。
こちらもまた当然のように、親としてやるべきことをやっていると思っている。
息子が言う。
「お母さんって結局誰のこともわかってないんだなあ。」
そうなのだ。
家族のことだけでなく、自分のことですらわかってないのだ。
ただ・・・
これらは全部ジョーンの推測なのである。
友人の発した台詞、耳にしたうわさ、過去に見聞きした家族たちの言動などなど。
それらの小さなものからジョーンが推測しただけなのである。
ここで1つの例を紹介しよう。
これが名シーンなのである。
バグダッドに住む娘の見舞いのため、
ジョーンはロンドンの家を長く空けることになった。
そして出発の日。
ジョーンは夫の顔をふと見る。そして思う。
なんだかあなた・・老けたわね・・・。仕事も忙しいしね・・・。
私はいつまでも若いけど。
(↑ジョーンのこういう思考回路も読者をイラっとさせる。アガサってすごい。)
そして出発の時。
夫は電車が発車したと同時にスタスタ去っていってしまった。
妻ジョーンを最後まで見送ることなく。
そして去りゆく夫の後ろ姿は・・・
昔のように若々しく、生気みなぎり、輝いていたのであった。
その時はあれ?としか思わなかったのだが、
旅先の宿でふとその姿を思い出し、そして思う。
あれっていったいなんだったんだろう?
もしかして・・・
いえまさか・・・そんな・・・
「私がいなくなって、せいせいしているとか?ま・・まさかね・・?」
こんな感じで、禅問答(?)のように
ひたすら自分の記憶と自分の推測が見事に並べられていく。
前にも書いたがとにかくジョーンはいけすかない女なのである。
とにかく上から目線で人の人生を自分の定規ではかるし、
視野は狭いし、
許容というものが見当たらない。
かわいそう、と哀れんでは見ても、それはあくまでも自分じゃなくてよかった~、というもの。
それでも、ときどき、あ・・わかる・・・という場面もある。
夫に浮気疑惑があった。
浮気相手は若くて、尻軽で、美人な女の子。
男だったら遊びで相手をしたくなるような女の子。
ジョーンはそう思いこもうとした。
「男だもの。そういうこともあるわよね。」
でも違った。
違うことをジョーンも分かっていた。
本当に夫が好きだったのは、地味で何の取り柄もない女だった。
私が彼女よりどこが劣るというの?
それを直視したくなくて、浮気相手は尻軽女だ、と思いこもうとしていた。
現実世界でもよく聞く。
旦那の浮気相手が全くさえない女であることに、ショックは倍増する、と。
しかもこのジョーンの場合、身体の関係であればまだいいものの、
手も握らない。
多くを語らない。
ただ精神的に夫ロドニーとその地味な女性はつながっているだけだったのである。
身体の浮気もきついが、
心の浮気はもっときつい。
でも・・・
これもまたジョーンの推測でしかない。
全部がジョーンの思い過ごしかもしれない。
それにしては証拠(?)がそろい過ぎているけれど。
ああ、今日は考えすぎて寝られないかもしれないわ。
と思いながら、すやすやぐっすり寝ているジョーン。
・・・。
アガサってやっぱりすごい。
ジョーンがいかに鈍いか(よく言えば鷹揚?)があらゆるところに表現されている。
でも・・・
私・・・
今までひどいことしてきたのかもしれない。
そうだ。
夫に謝ろう。
そしてもう一度やり直してみよう。
と決意するジョーン。
そして迎える怒濤のラスト。
この作品のすごいところは、ラストにある。
ラストが二段階用意されているのだ。
帰りの電車で出会った一人のロシア人女性(貴婦人)の台詞・・・
「それもどうなのかな、って思ってしまいますの。」
↑正確ではありません。図書館に返却しちゃったから。
偽物(メッキ)のお嬢様は本物のお嬢様にはかなわない。
気後れしてしまう。
メッキがメッキなりに決意したものが揺らぐ。
そして・・
ジョーンは夫への第1声は!?
これが第1のラスト。
そしてエピローグ(第2のラスト)で吐露される夫の最後の台詞。
こわすぎる!!!!
この夫ロドニーは優しくて、寛容で、ひどくステキに描かれているが
実はそうでもない、どころか本当は一番ひどい人間なのかもしれないのだ。
どう感じるかは読者であるあなた次第。
人間結局、見たいものしか見ていない。