蜉蝣峠 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

平成21年3月21日(金・祝)、『蜉蝣峠 』(赤坂ACTシアター)を見る。



赤坂ACTシアターといえば、藤原竜也の「かもめ」を見たところ。

まさにあそこは鬼門。

でかすぎるし、よく聞こえないし、演劇にはむいてないんだよねー。


という不安をかかえていったのだが・・・


そんな不安要素ありましたっけ?とばかりの大迫力の演劇パフォーマンスで、

私、感動感動また感動の嵐であった。

私一人で泣いてましたよ。

どうでもいいけど最近よく泣くなあ・・・。おばちゃん?


本当に驚いたのだが、周りで泣いているのはただ一人、私だけという状態。

えーー。

どうしてーー?




(あらすじ)

※HPのあらすじを参考にしますが、後に続く私のレビューで

多少あらすじに触れるため、ネタバレします。


◇◆◇◆


荒涼とした街道、ここは蜉蝣峠。

この峠で闇太郎(古田新太)はたまたま通りかかった銀之介(勝地涼)と出会い、

二人は連れだって峠を下り、街へとおりていく。

そこはならず者が集まる無法地帯のろまん街。

そんなろまん街で出会った盲目のおやじがめ吉(梶原善)が二人に言う。

「このろまん街は立派(橋本じゅん)組率いる立派組と、

 天晴(堤真一)率いる天晴組による縄張り争いがひどいんだ」と。

そんな会話をしているところに、お泪(おるい・高岡早紀)という女が現れる。

お泪は闇太郎の幼なじみで、結婚も約束した仲だというのだが、

闇太郎には過去の記憶がなかったのであった。


がめ吉はろまん街で起きたある事件を語り出し、

きっと闇太郎に記憶がないのは、その事件のせいに違いない・・・

と言う。


彼らの住むろまん街に一体なにがあったのか・・。


◇◆◇◆



いやーすばらしいの一言であった。

クドカン脚本の演劇、これが初めてなのだが(演劇初心者なの・・(;´∀`))

やっぱり有名になる人というのは、なにか持ってますね←WBCのイチローの真似。


笑いの混ぜ方もいい。

ずっと緊張感のある舞台にもできるのに、それをあえて少し崩す。

でも崩しきらない。

この強くひかれたラインは最後まで揺れることなく、その周辺を上手に崩してある。

だから私たち観客は不安にならないのかもしれない。


脚本がとにかくよくできていて、人物関係とその心情、それゆえ起こる現象にブレがない。

わかりやすく、かつ緻密。

どうしてもついていけなかったのは、勝地涼と木村了(サルキジ)の恋愛模様だけ。


えー最後、そんな感じになっちゃうのー?


と、この演劇のスピードについていけなかったのがもったいなかった、私。

ぼやっとしていたつもりはなかったのだが・・・。


脚本ですごいなあ、と思うところはたくさんあったのだが、特に挙げるとしたら2点。


(1)もう一人の闇太郎のキャラ設定

(2)闇太郎の母親と恋人を一人二役にした意味


ううーん、今思い出してもうならされる。


第1点目のもう一人の闇太郎のキャラであるが、

このキャラが普通の人であったら、お泪も最初の闇太郎に固執しなかったかもしれない。

ただ後から現れたこの闇太郎が、

本当に底抜けに明るく、おバカで、いい人&善人だった。

だから最初の闇太郎のまとう「闇」がさらに黒さを増す。

黒と白。

女は果たして過去に闇をまとう黒い人とアッパラパーな白い人。

どちらに惚れてしまうのか。


このもう一人の闇太郎が現れた時点で、事件の全容がだいたい想像できるのだが、

そうとわかっていてもグイっと見入ってしまう魅力がある。



(2)高岡早紀が演じた母と恋人について


すごくすごくわかりやすい配役。

過去をなくした闇太郎が蜉蝣峠で待ち続けたのは、恋人であり母であったのだ。

男はいつまでもマザコン。

私、こういうマザコン話、好きなのよ。


母のように温かな恋人。


やみちゃん。

忘れていたっていいよ。

私が覚えていてあげる。


・・・あれ?どこかで聞いたような・・・

ああ。

昔、つきあってた人(忘れっぽい)に同じようなことを言った記憶が・・・

まあそんなこんながかぶって、私、泣いちゃうよ、いや、泣いてます。



と、ここまでクドカンの脚本を絶賛しておきながら、

また意見を翻すようなことを言って申し訳ないのだが、

その絶賛内容の脚本の上をいっていたのが、いのうえひでのりの演出。

(あの演出はどこまでクドカンが関わっているのだろうか?誰か教えてください。)


あのスケールのでかさは一体なにもの!?とずっと驚きっぱなしであった。

赤坂ACTをフルに使いこなしており、しかも全く遠く感じさせない。

(チケットがとれず、一番悪い席であったにも関わらず、である)


途中、回想シーンがあり、時間軸がゆがむ場面において

(そこは脚本も本当に優れており、ずっと感心しどおしだった)

舞台がグルリと回るのだが、

回想する人によって、舞台の角度が変わっていることに気づく。

同じ事件も角度が違えば見方が違う、ということを舞台を通して見せている。


時間を重複させてインパクトを強め、

そして無駄な部分は早回し(本当に早回しをする。笑った。)をし、

見せ方がうまいなあ(これは脚本がうまいのか。)・・・



いのうえひでのり氏の演出は今後も見ていきたい。

あのスケールのでかさは偶然なのか、←なわけない。あれは天才のやること。

それともいつもああいう感じ(お家芸みたいな?)の演出をしているのか。


あんなに空間をフルに使っている演出は、過去に見たことがないと思う。

蜷川幸雄の「エレンディラ」(ガルシアマルケス原作)も空間こそ大きかったが

平面的な演出だったし(脚本がおとぎ話風なので当然。)・・・



こういう演劇を見ちゃうと、演劇鑑賞がやめられなくなっちゃうんだろうな。



あ、最後にキャスティングについて少々。


堤真一さんがとにかくステキでした。

殺陣も美しい。

演劇鑑賞にハマル前は、テレビで堤真一さんを見てもなんとも思わなかったのだが

生で見ると、いやーあれははまるわ。

共演者キラーって、そりゃーキルされちゃうね、あれは。

私もキルされたい。←?


その他の出演者の方々も本当にすばらしかった。


高岡早紀ちゃん、かわいい。


古田新太さんはああいう役が一番いいなあ。

薮原検校みたいな。

ちょっと悪くて、ちょっとヒーロー。


これは仕方ないのだけど、実は私はあまり耳が良くなくて

古田新太さんのような方の声質・声域が一番聞こえにくい。

彼の声や台詞に慣れるまで、少し時間がかかってしまった・・・