百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))/ガブリエル ガルシア=マルケス
ノーベル文学賞受賞作品。
リアリズムの上に構築されるファンタジー。
ガルシアマルケスという人は、こういう話をかかせると天下一品、というか
誰にも真似できない技術。
登場人物の心情など深く追わず、出来事や事件を縷々書き続け、
昔々の物語、のような雰囲気を味わせようとしている作品である。
一体どういう思考の持ち主なのか、本当に頭の中を覗いてみたい。
それにしても前半アウレリャノ大佐の幼少時代の氷というものを初めて見た話まで
たどり着くまでにえらく時間がかかりました・・・。
とにかく、読みづらい!
ほんと、私、よく頑張った!
アルカディオという人物が何十人とでてきて、
アウレリャノ大佐の息子17人がみんなアウレリャノ!
違いが、わかるかっっての!
なんど、最初の頁の家系図を見直したことか・・・。
この話は、
ウルスラというおお・おお・おお・おお・おばあちゃんから始まる
ブエンディア一家の栄枯盛衰のお話。
といえば、とりあえず説明は合ってるかと思う。
そんな単純な話でもないのだが。
あらすじ、をどうかけばいいのかねえ、と
参考にすべくアマゾンの頁を開いてみると・・・・(;´Д`)
思いっきり最後ラストシーンまで書かれてる・・・。
「愛の欠如のなかに生きる孤独な人間の生と死、
相つぐ奇想天外な事件、奇態な人々の神話的物語世界―マコンド村の創設から百年、
はじめて愛によって生を授かった者が出現したとき、
メルキアデスの羊皮紙の謎が解読され、ブエンディア一族の波瀾に満ちた歴史が終る。
世界的ベストセラーとなった傑作長篇の改訳。ノーベル文学賞受賞。」
うん。間違っていない。
こんな話である。
でもラストシーンだけピックアップしすぎのような・・・。
ま、キモチはわかるけど。
それに至るまでがとにかく、ダイナミックかつ飄々と流れる世界で
あらすじなんて書きようがない。
感じたことをとりとめもなく、メモ書きにしていきたい。
ウルスラは、一家の大黒柱として強く生きてきた。そしてとにかく長生き。
それに反して男どもはみな、情けなく、短命。
生きているものは、
突然失踪したり、
自分のプライドを守るためだけに政治的思想にまみれ戦う。
そして虚無の世界にこもって、一切の現実世界とかけ離れた生活をしてみたり。
死んでいる男は亡霊になって、家の中をうろついていたり。
その男どもに嫁いできたり、関係をもった女たちは、
強く、美しく、それよりなにより、そこにいる、という実感がある。
やればやるほど(18禁よ(*゜v゜*))、家畜が増えていったり、
(本人たちのセックスと家畜増加は無関係のはずだが、豊饒の女神の表れ、だろうか。)
永く婚約していた相手とあっさり婚約解消し、義理の兄と結婚して、
毎晩毎晩死人を起こしてしまうのでは?というほどのセックスをして近所の人を不安にさせたり、
(・・・どんなセックスだ!)
とにかくどの女性も、ぼんやりとした輪郭ではなく、血が通う人間として描かれている。
セックスの描写が多い。
愛ではなく、セックスです。
精力的な男が色々と登場してくるが、そこに愛がない。
そして死んでいく。
孤独の淵からどうすれば救われるのか。
ブエンディア家に流れる孤独は消えることがない。
中盤、ブエンディア一家の人数はとてつもなく増える。
一番、人の出入りが激しく、まさしく栄枯盛衰の栄と盛である。
であるのに、人物たちはあまり幸福ではない。
皆、それぞれに孤独をかかえて生きているのであった。
明けぬ夜はない。
止まぬ雨はない。
と同時に、
明けた夜は必ず暮れる。
止んだ雨はまた必ず降る。
のである。
ウルスラがおそれた「豚のしっぽ」誕生(一族間での婚姻)を
ひたすら回避しつづけ繁栄したブエンディア家。
しかしその危惧が末裔にまで浸透せず、
ウルスラの玄孫である伯母アマランタと甥アウレリャノが
ガルシアマルケス曰く、「ブエンディア家始まって以来の初めての愛」によって結ばれ、
とうとう「豚のしっぽ」(豚のしっぽが生えた子供。要するに奇形児)が誕生する。
「豚のしっぽ」の誕生とともに、確実に衰退していくブエンディア家。
そして伯母アマランタがこの世から去り、
豚のしっぽも死体となって蟻の大群に運ばれていった。
ブエンディア家最後の一人、この「豚のしっぽ」の父親アウレリャノ。
自分の出生の秘密や、このブエンディア家の栄枯盛衰の歴史を
孤独のうちに知る。
未来などなく、朽ちていくだけの時間であるのに、ラストシーンはなぜかきらめいている。
「アウレリャノ」という名前をついだものは、なぜか孤独を瞳にたたえている。
という。
ブエンディア家最後のアウレリャノは、まさに孤独の人であった。
しかし、最後に伯母アマランタとの「愛」を手に入れた。
「愛が孤独の虚無を救ったのである。」
それがラストシーンのきらめいた印象を与えるのではないだろうか。
最後まで孤独であっても、そのアウレリャノの胸のうちは幸福に満ちていた。
そして安堵である。
読み終わった後、
私の胸の中から
「私を愛して!」
と孤独が叫んでいた。孤独が涙していた。
ダイナミックな波で迫り来る世界に、息も絶え絶えの私。
はあはあ。
さて・・・。
私はこの作品にかなりハマったのだが、
長い!つまらん!
と言う人がいても、それはそれで理解できるの・・・。
万人受けする作品ではナイ!断言!キッパリ!
とにかく、クセモノ。
中盤まで我慢すれば、だんだんとこの世界にも慣れ、
突然風邪に舞い上がるシーツとともに、女が消えていく、という不可思議にも
ついて行けるかなあ、という感じ。
しかし、完全ファンタジーではけしてなく、政治闘争などはかなりリアル。
なのに、砂漠に置き去りの帆船。
家に巣くう蟻の大群。
3年降り続ける雨。
など、幻想的な世界がそのリアルの上に描かれる。
あらすじはともかく、ラストシーンは圧巻。
あのラストシーンは、私のベストシーンの3本の指に入るね。
(ほかの2作品は聞かないで。適当に言ってるだけだから。)
さらに表現もステキなのだ。
「屋敷のなかが恋であふれた」
とか。
あと、登場人物が呆れるほど大量に存在するが、
その中でも、ウルスラとピラル・テルネラの二人の存在がいとおしく、
かつ、ものすごく力強い存在感である。
ウルスラはブエンディア家の創始者的女神。
ピラル・テルネラは、ブエンディア家の子孫を産み、ブエンディア家の吉凶を占い、
その最期までブエンディア家に関わり続けた女神。
・・・・。
そうなのだ。
あの話に似ているのである。
桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」。→参考記事:2008.07.07「赤朽葉家の伝説
」
というか,桜庭一樹はきっとこの百年の孤独」を骨格にして書いた、と思う。
なんか断言できる。
一族、という世界観といい、登場人物の関係といい、とにかく同じ空気をまとっている。
そもそもこの作品は、赤朽葉家一族の栄枯盛衰を描いた物語であるし、
人物だって対比できる。
ウルスラは万葉(タツでもいいけど)、
ピラルは黒菱みどり。
二人の女神の関係はまさに万葉とみどり、と同じなのである。
きっと桜庭一樹はこの作品を読んでいる。
(ま、これほど有名な作品を読んでいない、とは思えないが。)
(おまけ)
登場人物といえば、この作品に、「エレンディラ」が登場してくる。
→参考記事:2007.09.1「 エレンディラ 」
私はガルシアマルケスの作品をあまり読んでいないのだが、
きっとエレンディラ以外にも登場してきた人物がいたのかもしれない。