平成19年8月24日(金)
■イスタンブル市内観光
バスに乗ると,なぜか昨日イズミール空港で別れた,運転手オクタイさんが運転席に。
なにゆえ?
と思ったら,オクタイさんの仕事スケジュールが急遽変更になり,
こちらにバスを回すことになったらしい。
それを聞いたツアー客一同,オクタイさんおかえり~♪と大歓迎だった。
彼はとっても紳士でいい人だったから,みんなの人気者だったのだ。
◎イスタンブル(人口1000万人)
トルコの首都アンカラを上回る、トルコ最大の都市。
・ヒポドローム(古代競馬場)

競馬以外に割礼式も行われていたという。
ローマ時代の203年に創設され、コンスタンティヌス帝によって拡張される。
ここはオベリスクだけではなく、スピナという壁があり、金・銅が施されていたが
1204年の十字軍(ローマ正教)が持ち去ってしまった。
(当時のトルコはギリシャ正教で、ローマ正教と敵対。)
ヒポロドームを背に、そのままブルーモスクへ徒歩で向かう。
・ブルーモスク(正式名:スルタン・マハメット・ジャミー)
スルタン=王様
マハメット=人名
ジャミー=モスク
なぜブルーモスクと言うかというと、中のタイルが美しいブルーで印象的であったから。
現在では、イスタンブルの人も、ブルーモスクと呼ぶほどの定着した愛称に。

ブルーモスクの入り口の門。
門の奥には少しだけブルーモスクの一部が見える。

どどーん。
突然現れる、巨像。
私はこの外見の美しさに圧倒された。写真じゃその美しさと大きさを全く表せない。
実際、直接目で見てほしい。それしか言えない。
いつも突然現れる巨像に私は魅せられる。
このブルーモスクも、入り口の門を超えるほどの大きさのはずなのに
入り口の小さな門の中からしか見えない。
その門をくぐった途端、その巨像が目に飛び込んでくるのだ。
その美しさと言ったら・・・ため息しかでない。
ブルーモスクの写真をどれだけ撮ったか。同じような写真が何十枚・・。
そして中身も外見に負けない美しさだ。

ブルーモスクの玄関。観光客でギューギュー。
モスク内は土足厳禁のため、入り口で靴を脱いであがる。

タオルを巻く男性。
タンクトップなど肩を出す格好や、短パンなど足を出す格好は厳禁。
入り口でショールやタオルを貸し出してくれる。


この細かさと美しさは一体なに。
写真じゃうまく写らないのがもどかしい。
イスラム教は偶像崇拝禁止なので、本当にドームの建物しかない。
私は、イスラム教徒ではなく、すなわち彼らからしたら異教徒なのだが
私は見えないイスラムの神にも、つい色々告白しちゃいました。
人の頭を自然と下げさせる、神々しき内装。

ステンドグラスから漏れる光一筋すらも、神々しい。

細工の施されすぎた天井。こまかいっ。


どのモスクにも必ず、このランプの輪がある。
これは世界のバランスを象徴するもの,らしい。
初めて観たとき、太陽系を表しているのだと思った私。
私の想像もあながち間違ってないかも、と一人納得。←どこが?

ブルーモスク全体像。6本のミナレが印象的。
【ブルーモスク豆知識】
・1617年建設。
・2500人程度は収容可能。
・6本のミナレがあるモスクは世界中でもここくらい。
なぜ6本になったか
→ミナレを金(トルコ語でアルトゥン)で作れ、と行った言葉を
建築家が 「6(アルトゥ)で作れ」と聞き間違えた。
・天井までの高さは49m。
・バルコニーのタイルはイズミックタイルと呼ばれ、日本・中国・トルコの融合型。
・200年前の地震でステンドグラスが一度壊れる。
・4本の柱は象の足、と呼ばれる。柱は直径7m、高さ30mで、大理石で作られる。
→大理石はトルコでよくとれるものなので、珍しいものではなかった。
・地下宮殿(バシリカ・シスタン (Basilica Cistern) )

入口看板。

鳥目の私にはかなりつらい暗さ。
もーなにがなんだか。
柱は正確に立てられており,直線上にびしっと揃っている。
ここは6世紀に建設された地下貯水庫。
もともとは商業施設として利用されていたが,東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスにより
地下貯水池へと変わった(Wikiによる)。
ドイツの季節労働者により,偶然この地下貯水庫は発見される。
それまでずっと,ひっそり誰にも気付かれず地下で眠っていたのだ。
高さ9m,336本の柱に支えられた地下貯水庫。
柱のカタチは,コリント式やドーリア式が混ざっていることから,
あっちこっちの余った資材を寄せ集めて作ったもの,と言われている。
天井は煉瓦で作られており,雨水も貯めることができる。
貯水庫の底は石と石を並べ,玉子の黄身で埋めている。
水に触れると固まる,という性質を利用した。


ギャーーー!でたーー!
・・ってその照明,やめぃ。
メドゥーサの頭が逆さ,であることからも,上記に述べたとおり,
美観等は考えられておらず,余ったものを片っ端から使った,という感じ。

ぎゃーー!!ってほんと,この照明,やめてくれ。
こわいんだって。
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)博物館
アヤ(ハギア)=聖、という意味。

アヤソフィア博物館の外観。
この写真を撮った私の背に,ブルーモスクがある。
ブルーモスクとアヤソフィアはお互いがにらみ合っているような位置に立っている。
17世紀の建築競争により,
ブルーモスクがアヤソフィアに対抗すべく立てた。
【アヤソフィア豆知識】
・ギリシャ正教代表の建物であった。
・今までに2度,焼失している。
(1)405年,内戦により焼失。
(2)532年,ニカの内乱により焼失。
537年,再建。
15世紀までギリシャ正教の教会として使用され,その後オスマン帝国により,
イスラムのモスクとして使用される。
その間,4本のミナレが建設されるが,このミナレ,15世紀~17世紀に
それぞれ増設したため,各ミナレの大きさやカタチが違っている。
・・・・合わせようっていう考え方はないんかい??
そして1934年,男前の(余計な台詞)アタチュルクが世俗化し,
翌年,博物館へと変貌を遂げた。
・天井のドームは直径30mと32mの楕円形。
・高さは55m。ブルーモスクよりも少し高いだけなのに,なぜかもっと高く感じる。

博物館内マップ。

モザイクづくりのキリスト。
どこからみても,目が合うようになっている・・・コワイ。
オスマン帝国がモスクと変えた際,十字架等ははずしたものの,
内装はあまりいじくらなかったようだ。

1階から見たアヤソフィア。

2階からみた,アヤソフィア。でかいっ。
・昼食(トプカプ宮殿内レストラン「KONYALI」にて)
(昼食メニューは,別エントリ「トルコ料理あれこれ
」をご参照ください。)
ここは宮廷料理を出すレストランで,大変景色の美しいところだった。

レストラン上にある展望バルコニー。
なんと美しい海の色。
・トプカプ宮殿
1470年頃完成。ハーレム誕生。16世紀中頃には政治介入するようになり、
17世紀にはハーレム全盛時代。
君主の母后が政治を自由に動かす「女人の天下」と呼ばれる時代を迎える。
1653年、宮殿はオスマン帝国の最高政務機関としての実質を失った。
1853年に宮廷が西洋風のドルマバフチェ宮殿(新市街)に移ってからは放置され、荒廃。

挨拶の門

ハーレム入り口(●´ω`●)

かわいらしいステンドグラス。
これはほんと,かわいかった。
・グランドバザール


迷いに迷ったグランドバザール。
皆との待ち合わせ場所をメモっててよかった。
グランドバザールの色々な人に、メモを見せて、ここに行きたいの!と
身振り手振りで聞くと、みんな私の肩を抱き、教えてくれる。
そしてチュー。
・・・・熱いチューをありがとう・・・
みんな親切だったな~。
品物、買わなかったのに。
・夕食(高級ナイトクラブ「KERVANSARAY」でベリーダンスなど鑑賞)
ガイドのファティマさんが、少しドレスアップしたほうがいい、と言ったので
私は空いた時間に「イスティクラール通り」(一番のおしゃれ繁華街)に出かけ、
あわててワンピを買った。
靴も合わせて買いました。あわただしい買い物だったな~。
でも、なかなか楽しめたショッピングだった。
ツアー客のうち、8人でナイトクラブへゴーゴー!!というわけで
おでかけしました♪

店の入り口。

ナイトクラブの私たちの席。


黒海に伝わる踊り。

どこの踊りだったか忘れたけど、私が一番感動した踊り。
感動したくせに、すっかり忘れてる私っていったい・・・。

おなかがひきしまってて、踊りも迫力があって感動したよ、わたしゃ。
すてきなベリーダンスでした。
さすが本場はちゃんとしてます。
日本で観たベリーダンスとは格段の差。

このおっちゃん、すごいのだ。
当日、これまでにない、というくらいの国籍のお客さんが来ていたのだが
(インドやらマケドニアやら聞いたことのない国々の名前があちこちで叫ばれた。)
すべての国の言葉でその国の歌を歌ってくれた。
日本の歌は「上を向いて歩こう」で、
私たちも一緒に歌った♪
と思ったら、しばらく時間が経ち、突然また日本の歌を歌ってくれた。
「ソーラン節」
・・・。しぶすぎ。
みなさん、ソーラン節って最後まで歌えます?
歌詞って結構あやふやじゃないですか?
私も実はあやふやだった。
けど、周りのツアー客の方々もなかなかあやふやだったみたいで、
ここはジャパニーズ代表として(誰も代表として選んでないけど)
恥をさらしちゃいけねえ、とばかりに頑張ってうたった!!
間違えつつも最後までがんばって私、うたった!!
そして、ダンスタイム。
私も呼ばれ、ここもやはりジャパニーズ代表として、もじもじしてる場合じゃない!と
飛び出して踊った!私、頑張った。
で、どこぞの国のおにいさんが私を誘ってくれ、社交ダンス・・・。
いや~、ああいうときさくっと踊れるとかっこいいのだが、
私、社交ダンスしたことない。
よって、彼の足を踏みまくってた。ほんともうしわけない(;´▽`A``
でも彼のリードはすばらしく、なんとか頑張って踊ったよ・・・もうへとへと。
みんなでダンスを最後していたら、ガイドのファティマさんもダンシング!
なんてすてきな夜なの!
ツアー客の女性二人もダンシング!
私、すごく感動した!←すぐ感動するのね、私。
そして帰り道、ファティマさんは言った。
「日本の方はシャイな方が多いから、なかなか踊りましょう、といっても
踊れないことが多いのだけど、今日は本当に積極的に参加して、
日本代表として頑張ってくれて心からお礼を言います。」
トルコ人のファティマさんに日本代表として頑張ったことに謝意を示された。
うふふ、不思議な感じ。
興奮冷めやらぬまま、ホテルへ帰る。
本日の宿泊:ザ・リッツ・カールトンホテル (The Ritz-Carlton,Istanbul
)

興奮したままじゃ寝られない。
今日もバーで1人飲み,最後の夜を堪能する。
ああ,もう明日はトルコを去るんだな~と思うと,悲しくなってきた。
さっきまで楽しかった興奮&感動が、ますます寂しさを助長させる。
私はそもそも旅行向きでないと思う。
訪れる度に,悲しくなるから。
別れを経験する度に、泣いちゃうから。
今夜はバーでちょっとしたショウがあり,ギター演奏をずっと聴いていた。
ああ~,なんてすてきな最後の夜。
さようなら、トルコの夜。
■イスタンブル市内観光
バスに乗ると,なぜか昨日イズミール空港で別れた,運転手オクタイさんが運転席に。
なにゆえ?
と思ったら,オクタイさんの仕事スケジュールが急遽変更になり,
こちらにバスを回すことになったらしい。
それを聞いたツアー客一同,オクタイさんおかえり~♪と大歓迎だった。
彼はとっても紳士でいい人だったから,みんなの人気者だったのだ。
◎イスタンブル(人口1000万人)
トルコの首都アンカラを上回る、トルコ最大の都市。
・ヒポドローム(古代競馬場)

競馬以外に割礼式も行われていたという。
ローマ時代の203年に創設され、コンスタンティヌス帝によって拡張される。
ここはオベリスクだけではなく、スピナという壁があり、金・銅が施されていたが
1204年の十字軍(ローマ正教)が持ち去ってしまった。
(当時のトルコはギリシャ正教で、ローマ正教と敵対。)
ヒポロドームを背に、そのままブルーモスクへ徒歩で向かう。
・ブルーモスク(正式名:スルタン・マハメット・ジャミー)
スルタン=王様
マハメット=人名
ジャミー=モスク
なぜブルーモスクと言うかというと、中のタイルが美しいブルーで印象的であったから。
現在では、イスタンブルの人も、ブルーモスクと呼ぶほどの定着した愛称に。

ブルーモスクの入り口の門。
門の奥には少しだけブルーモスクの一部が見える。

どどーん。
突然現れる、巨像。
私はこの外見の美しさに圧倒された。写真じゃその美しさと大きさを全く表せない。
実際、直接目で見てほしい。それしか言えない。
いつも突然現れる巨像に私は魅せられる。
このブルーモスクも、入り口の門を超えるほどの大きさのはずなのに
入り口の小さな門の中からしか見えない。
その門をくぐった途端、その巨像が目に飛び込んでくるのだ。
その美しさと言ったら・・・ため息しかでない。
ブルーモスクの写真をどれだけ撮ったか。同じような写真が何十枚・・。
そして中身も外見に負けない美しさだ。

ブルーモスクの玄関。観光客でギューギュー。
モスク内は土足厳禁のため、入り口で靴を脱いであがる。

タオルを巻く男性。
タンクトップなど肩を出す格好や、短パンなど足を出す格好は厳禁。
入り口でショールやタオルを貸し出してくれる。


この細かさと美しさは一体なに。
写真じゃうまく写らないのがもどかしい。
イスラム教は偶像崇拝禁止なので、本当にドームの建物しかない。
私は、イスラム教徒ではなく、すなわち彼らからしたら異教徒なのだが
私は見えないイスラムの神にも、つい色々告白しちゃいました。
人の頭を自然と下げさせる、神々しき内装。

ステンドグラスから漏れる光一筋すらも、神々しい。

細工の施されすぎた天井。こまかいっ。


どのモスクにも必ず、このランプの輪がある。
これは世界のバランスを象徴するもの,らしい。
初めて観たとき、太陽系を表しているのだと思った私。
私の想像もあながち間違ってないかも、と一人納得。←どこが?

ブルーモスク全体像。6本のミナレが印象的。
【ブルーモスク豆知識】
・1617年建設。
・2500人程度は収容可能。
・6本のミナレがあるモスクは世界中でもここくらい。
なぜ6本になったか
→ミナレを金(トルコ語でアルトゥン)で作れ、と行った言葉を
建築家が 「6(アルトゥ)で作れ」と聞き間違えた。
・天井までの高さは49m。
・バルコニーのタイルはイズミックタイルと呼ばれ、日本・中国・トルコの融合型。
・200年前の地震でステンドグラスが一度壊れる。
・4本の柱は象の足、と呼ばれる。柱は直径7m、高さ30mで、大理石で作られる。
→大理石はトルコでよくとれるものなので、珍しいものではなかった。
・地下宮殿(バシリカ・シスタン (Basilica Cistern) )

入口看板。

鳥目の私にはかなりつらい暗さ。
もーなにがなんだか。
柱は正確に立てられており,直線上にびしっと揃っている。
ここは6世紀に建設された地下貯水庫。
もともとは商業施設として利用されていたが,東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスにより
地下貯水池へと変わった(Wikiによる)。
ドイツの季節労働者により,偶然この地下貯水庫は発見される。
それまでずっと,ひっそり誰にも気付かれず地下で眠っていたのだ。
高さ9m,336本の柱に支えられた地下貯水庫。
柱のカタチは,コリント式やドーリア式が混ざっていることから,
あっちこっちの余った資材を寄せ集めて作ったもの,と言われている。
天井は煉瓦で作られており,雨水も貯めることができる。
貯水庫の底は石と石を並べ,玉子の黄身で埋めている。
水に触れると固まる,という性質を利用した。


ギャーーー!でたーー!
・・ってその照明,やめぃ。
メドゥーサの頭が逆さ,であることからも,上記に述べたとおり,
美観等は考えられておらず,余ったものを片っ端から使った,という感じ。

ぎゃーー!!ってほんと,この照明,やめてくれ。
こわいんだって。
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)博物館
アヤ(ハギア)=聖、という意味。

アヤソフィア博物館の外観。
この写真を撮った私の背に,ブルーモスクがある。
ブルーモスクとアヤソフィアはお互いがにらみ合っているような位置に立っている。
17世紀の建築競争により,
ブルーモスクがアヤソフィアに対抗すべく立てた。
【アヤソフィア豆知識】
・ギリシャ正教代表の建物であった。
・今までに2度,焼失している。
(1)405年,内戦により焼失。
(2)532年,ニカの内乱により焼失。
537年,再建。
15世紀までギリシャ正教の教会として使用され,その後オスマン帝国により,
イスラムのモスクとして使用される。
その間,4本のミナレが建設されるが,このミナレ,15世紀~17世紀に
それぞれ増設したため,各ミナレの大きさやカタチが違っている。
・・・・合わせようっていう考え方はないんかい??
そして1934年,男前の(余計な台詞)アタチュルクが世俗化し,
翌年,博物館へと変貌を遂げた。
・天井のドームは直径30mと32mの楕円形。
・高さは55m。ブルーモスクよりも少し高いだけなのに,なぜかもっと高く感じる。

博物館内マップ。

モザイクづくりのキリスト。
どこからみても,目が合うようになっている・・・コワイ。
オスマン帝国がモスクと変えた際,十字架等ははずしたものの,
内装はあまりいじくらなかったようだ。

1階から見たアヤソフィア。

2階からみた,アヤソフィア。でかいっ。
・昼食(トプカプ宮殿内レストラン「KONYALI」にて)
(昼食メニューは,別エントリ「トルコ料理あれこれ
」をご参照ください。)
ここは宮廷料理を出すレストランで,大変景色の美しいところだった。

レストラン上にある展望バルコニー。
なんと美しい海の色。
・トプカプ宮殿
1470年頃完成。ハーレム誕生。16世紀中頃には政治介入するようになり、
17世紀にはハーレム全盛時代。
君主の母后が政治を自由に動かす「女人の天下」と呼ばれる時代を迎える。
1653年、宮殿はオスマン帝国の最高政務機関としての実質を失った。
1853年に宮廷が西洋風のドルマバフチェ宮殿(新市街)に移ってからは放置され、荒廃。

挨拶の門

ハーレム入り口(●´ω`●)

かわいらしいステンドグラス。
これはほんと,かわいかった。
・グランドバザール


迷いに迷ったグランドバザール。
皆との待ち合わせ場所をメモっててよかった。
グランドバザールの色々な人に、メモを見せて、ここに行きたいの!と
身振り手振りで聞くと、みんな私の肩を抱き、教えてくれる。
そしてチュー。
・・・・熱いチューをありがとう・・・
みんな親切だったな~。
品物、買わなかったのに。
・夕食(高級ナイトクラブ「KERVANSARAY」でベリーダンスなど鑑賞)
ガイドのファティマさんが、少しドレスアップしたほうがいい、と言ったので
私は空いた時間に「イスティクラール通り」(一番のおしゃれ繁華街)に出かけ、
あわててワンピを買った。
靴も合わせて買いました。あわただしい買い物だったな~。
でも、なかなか楽しめたショッピングだった。
ツアー客のうち、8人でナイトクラブへゴーゴー!!というわけで
おでかけしました♪

店の入り口。

ナイトクラブの私たちの席。


黒海に伝わる踊り。

どこの踊りだったか忘れたけど、私が一番感動した踊り。
感動したくせに、すっかり忘れてる私っていったい・・・。

おなかがひきしまってて、踊りも迫力があって感動したよ、わたしゃ。
すてきなベリーダンスでした。
さすが本場はちゃんとしてます。
日本で観たベリーダンスとは格段の差。

このおっちゃん、すごいのだ。
当日、これまでにない、というくらいの国籍のお客さんが来ていたのだが
(インドやらマケドニアやら聞いたことのない国々の名前があちこちで叫ばれた。)
すべての国の言葉でその国の歌を歌ってくれた。
日本の歌は「上を向いて歩こう」で、
私たちも一緒に歌った♪
と思ったら、しばらく時間が経ち、突然また日本の歌を歌ってくれた。
「ソーラン節」
・・・。しぶすぎ。
みなさん、ソーラン節って最後まで歌えます?
歌詞って結構あやふやじゃないですか?
私も実はあやふやだった。
けど、周りのツアー客の方々もなかなかあやふやだったみたいで、
ここはジャパニーズ代表として(誰も代表として選んでないけど)
恥をさらしちゃいけねえ、とばかりに頑張ってうたった!!
間違えつつも最後までがんばって私、うたった!!
そして、ダンスタイム。
私も呼ばれ、ここもやはりジャパニーズ代表として、もじもじしてる場合じゃない!と
飛び出して踊った!私、頑張った。
で、どこぞの国のおにいさんが私を誘ってくれ、社交ダンス・・・。
いや~、ああいうときさくっと踊れるとかっこいいのだが、
私、社交ダンスしたことない。
よって、彼の足を踏みまくってた。ほんともうしわけない(;´▽`A``
でも彼のリードはすばらしく、なんとか頑張って踊ったよ・・・もうへとへと。
みんなでダンスを最後していたら、ガイドのファティマさんもダンシング!
なんてすてきな夜なの!
ツアー客の女性二人もダンシング!
私、すごく感動した!←すぐ感動するのね、私。
そして帰り道、ファティマさんは言った。
「日本の方はシャイな方が多いから、なかなか踊りましょう、といっても
踊れないことが多いのだけど、今日は本当に積極的に参加して、
日本代表として頑張ってくれて心からお礼を言います。」
トルコ人のファティマさんに日本代表として頑張ったことに謝意を示された。
うふふ、不思議な感じ。
興奮冷めやらぬまま、ホテルへ帰る。
本日の宿泊:ザ・リッツ・カールトンホテル (The Ritz-Carlton,Istanbul
)

興奮したままじゃ寝られない。
今日もバーで1人飲み,最後の夜を堪能する。
ああ,もう明日はトルコを去るんだな~と思うと,悲しくなってきた。
さっきまで楽しかった興奮&感動が、ますます寂しさを助長させる。
私はそもそも旅行向きでないと思う。
訪れる度に,悲しくなるから。
別れを経験する度に、泣いちゃうから。
今夜はバーでちょっとしたショウがあり,ギター演奏をずっと聴いていた。
ああ~,なんてすてきな最後の夜。
さようなら、トルコの夜。