エレンディラ | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。


エレンディラ (ちくま文庫)/ガブリエル ガルシア・マルケス


平成19年8月11日、蜷川幸雄演出の『エレンディラ』を観て、いたく感激した私。

(→H19.8.12「エレンディラ」 参照)

早速原作を読んでみた。

これは「大人のための残酷な童話」としてかかれたと言われる6つの短編と

1つの中編からなっている。

演劇『エレンディラ』の原作は、この1つの中編小説、

「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」である。


演劇にあった、幻のようなエンディング、は原作にはない。

エレンディラが金塊を抱えて逃げていく。

人をあやめたショックで呆然とするウリセス。

で終わる。


また、演劇のオープニングも違っている。

原作では、祖母の世話から始まるのだが、

演劇では、羽の生えたウリセスが海辺に打ち上げられているところから始まる。

これは原作にはない。

が。

この「エレンディラ」におさめられた6つの短編のうちの

「大きな翼のある、ひどく年取った男」

の一部とよく似ている。


また、演劇にも原作にも出てくる上院議員は、

「愛の彼方の変わることなき死」

では、主人公である。


演劇ではこの「エレンディラ」という作品が、メルヘンかつ幻想的に描かれていた。

だが私がこの原作を読んだ感想は、実にリアリティあふれる作品だと感じた。


確かに、緑色の血が流れたり、オレンジからダイヤモンドが出てきたり、

クモ女や家を闊歩するダチョウなど、おかしな情景が描かれているのだが

心理描写はどこまでもリアル。


演劇では、エレンディラもウリセスも無垢であると同時に、

妖精のような、天使のような(羽もはえてたし)、そういうキャラクタであった。


それが非常におもしろい、と思った。


想像力かきたてることのできる原作がリアリティを突き詰め、

舞台上にその世界を「実」として誕生させ、モノとして置く演劇でメルヘンを描く。


やりすぎではないか、という声もあるが、

私はそれはそれでいいのではないか、と思う。


やはり演劇は、わーーーー!というものがほしいもの。

原作どおり、エレンディラが裸足で逃亡するシーンで終わったとしたら、

この物語が胸にするっと入っていかないと思う。

あと、マイケル・ナイマンに音楽を頼んだ以上、最後は、わーっと終わらせないとね。


原作もやはりすばらしかった。

泣く泣かない以前に、非常にこわかった。