平成19年8月20日(月)
■ アンカラ→(昼食)→トゥズ湖(塩湖)→カッパドキア
トルコの国土は日本の約2倍。要するにデカイ。
鉄道よりもバスが発達している国である。
よって,私たちの移動もバス移動が主(長距離は飛行機で移動だが。)。
この日は,合計300㎞をバスで移動した。
現地ガイド :Ms.Fatma(ファティマ)
バス運転手 :Mr.オクタイ ←綴りがわからない。
(最終日までこの二人。)
◎アンカラ(トルコ共和国の首都で,人口は約320万人)
・アタテュルク廟

ここは,トルコ建国の父「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の墓である。
アタテュルクは1881年,ギリシャに生まれた人物で,1938年逝去。
トルコ語で「アタ」は父,「テュルク」はトルコ。
トルコの父=トルコ建国の父,という意味。
このアタテュルクの話は,後日まとめてしたい。
とにかく私はアタテュルクに洗脳された。単純なんで。
ただ一つここでどうしても言っておきたいことがある。
みんな大好きWikiで「アタテュルク」を調べると,写真も掲載されている。
是非ご覧になっていただきたい。
かなりのおっとこまえなのだよ,このアタテュルク。
それもあって,もう私,彼にメロメロ。←言い方,ふるっ。

軍人さんたちが隊列を組んでこちらにやってきた。
軍人さんの制服の色で所属が分かる。
日本と同じで,
緑=陸軍
青=空軍
白=海軍
である。
ちなみに軍人さんが通っているこの美しい通りは,
廟の前の広場につながる通りで,長さ272mの「ライオン通り」である。
通りの両端に,24棟のライオン像があるから。
そのライオン像はこちら↓

ニャー!
ねっこひ~ろしっ!
どう見てもライオンじゃない。むしろ化け猫。

アタテュルクの墓。
墓の17m下にアタテュルクが眠る。
廟内は涼しく,静かで,穏やかな雰囲気。きっと安らかに眠っていることだろう。


3人の男(軍人・学生・農夫)
と
3人の女(母・妻・娘) の像。
「国のもと」を象徴するもの,として作られている。
この日は,どこぞの要人がこのアタテュルク廟を訪問する,とのことで,
軍人さんも多く,警察もたくさんウロウロしていた。
このアタテュルク廟は,トルコに来たら先ず訪れるべきところであるらしく,
それは,トルコに敬意を払う,という意味がある,とのこと。
・アナトリア文明博物館

つくり自体はこじんまりした感じ。
ヒッタイト中心の博物館で,230万年前の展示物もあるというのだから驚き。
博物館として機能しているこの建物は,もともと隊宿宿として建てられた。
オスマントルコ帝国時代はショッピングセンターとして使用されていた。
しかし,アタテュルク政権時代(トルコ共和国)に,遺跡を大事にしよう,ということで
博物館として使われるようになった。

ヒッタイト文字でかかれたもの。
ヒッタイト文字の読み順はおもしろい。
→→→→→→
↓
←←←←←←
↓
→→→→→→
こういう順序だそうだ。
もっとも,読み順が分かったからと言って,文字が読めるわけではない。

↑当時の印鑑。
持つ人それぞれの印鑑の柄が違う。なんかかわいい。

↑当時の手紙。
粘土に文字を刻み,それを焼いている。
中が手紙で,外が封筒。
どちらも同じ素材の粘土で作ってあり,宛先人しか読めない。
中を読むためには封筒を壊さなくてはいけないから。
ヒッタイト族の国に,アシリア人が入ってきたことで今までの習慣に変化が生じる。
それがこの「手紙」という習慣。
アシリア人は貿易民族であるため手紙は欠かせなかったのであろうか?
また,もう一つの変化が「粘土」。
赤い粘土が主であったのに対し,南から物品が入るようになり
白い粘土でも作るようになる。

↑ミダス(王様の名前)の墓の副葬品
この墓は,300m×60mという巨大なものであったため(古墳のようなもの),
長い間,山と間違えられており,そのおかげで盗掘を免れた。
この墓,一応ミダスの墓,となっているが,
現在のところ,誰の墓かはっきりしない,というのが本当のところらしい。



いずれも,キベレ像(女)。
(上) アナトリア(ヒッタイト人の入る前の原住民)の神の像。
子供が股から顔を出している=繁栄の神。
虎を両脇に抱えている=狩猟の神
(中央) ヒッタイト人のキベレ像。女性の性器がでかい=繁栄の神<
(下) B.C.7世紀のキベレ像(アルテミス像)=ハンティングの神
B.C.12世紀にギリシャ人が入ってきたため,ギリシャ彫刻に近くなる。
ギリシャのアルテミスと現地のキベレ像が融合し,ハンティングの神となる。

キャイーン。・・・ふるいっ。
・昼食(レストラン「KALE WASHINGTON」にて)
このレストラン,なんと!小泉前首相も食べに来たことがあるレストラン。

見づらいが,真ん中に純ちゃん。
(昼食メニューは,別エントリ「トルコ料理あれこれ
」をご参照ください。)
トルコに到着後,初めてのトルコ料理だったが,
私はおいしい!!と思った。
ブルーチーズとか,ハーブとか,くさいくさい系は結構平気な方なので。
ただ,私を除くツアーの人たちは,んー合わないなあ,と文句を言っていた。
だが,彼らは頑張って食べていた。
これが悪夢の序章であるとも知らずに・・・。
・トュズ(TUZ)湖(塩湖)

雪ではない。全部塩。
太陽は痛いわ,下からの反射光がすごいわ,ですぐ逃げ帰った私。
この湖の塩は持ち帰り禁止。
冬にはフラミンゴが飛来する場所でもある。
・カッパドキア地方(ウチヒサール村)

自然に出来た岩の穴蔵に住んでいる人もたくさんいる。
ガスも電気も通っており(どうやって通したんだ?),なかなか快適らしい。
・カッパドキア地方(三美人の岩)

きのこではない。もちろんち●こでもない。
自然の力は不思議だな~。
この写真を撮った直後,カメラの画像を気を取られ,
足を滑らせ,下に転落しかける。
そこは落ちたら間違いなく死ぬであろう高さの崖。
転落しかけている私に気付いたスペイン人のおばちゃん。
はっしと私の腕をつかみ,助けてくれる・・・・。
あやうくトルコで死ぬところだった。
どうせ死ぬなら,やっぱ畳の上で死にたいものである・・。
ありがとう,スペイン人のおばちゃん。
でもチョーおこられた。足もとをよく注視しろって。すんません。

本日の宿泊:ペリッシアホテル (PERISSIAホテル )
今日も爆睡( _ _ ).。o○
■ アンカラ→(昼食)→トゥズ湖(塩湖)→カッパドキア
トルコの国土は日本の約2倍。要するにデカイ。
鉄道よりもバスが発達している国である。
よって,私たちの移動もバス移動が主(長距離は飛行機で移動だが。)。
この日は,合計300㎞をバスで移動した。
現地ガイド :Ms.Fatma(ファティマ)
バス運転手 :Mr.オクタイ ←綴りがわからない。
(最終日までこの二人。)
◎アンカラ(トルコ共和国の首都で,人口は約320万人)
・アタテュルク廟

ここは,トルコ建国の父「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の墓である。
アタテュルクは1881年,ギリシャに生まれた人物で,1938年逝去。
トルコ語で「アタ」は父,「テュルク」はトルコ。
トルコの父=トルコ建国の父,という意味。
このアタテュルクの話は,後日まとめてしたい。
とにかく私はアタテュルクに洗脳された。単純なんで。
ただ一つここでどうしても言っておきたいことがある。
みんな大好きWikiで「アタテュルク」を調べると,写真も掲載されている。
是非ご覧になっていただきたい。
かなりのおっとこまえなのだよ,このアタテュルク。
それもあって,もう私,彼にメロメロ。←言い方,ふるっ。

軍人さんたちが隊列を組んでこちらにやってきた。
軍人さんの制服の色で所属が分かる。
日本と同じで,
緑=陸軍
青=空軍
白=海軍
である。
ちなみに軍人さんが通っているこの美しい通りは,
廟の前の広場につながる通りで,長さ272mの「ライオン通り」である。
通りの両端に,24棟のライオン像があるから。
そのライオン像はこちら↓

ニャー!
ねっこひ~ろしっ!
どう見てもライオンじゃない。むしろ化け猫。

アタテュルクの墓。
墓の17m下にアタテュルクが眠る。
廟内は涼しく,静かで,穏やかな雰囲気。きっと安らかに眠っていることだろう。


3人の男(軍人・学生・農夫)
と
3人の女(母・妻・娘) の像。
「国のもと」を象徴するもの,として作られている。
この日は,どこぞの要人がこのアタテュルク廟を訪問する,とのことで,
軍人さんも多く,警察もたくさんウロウロしていた。
このアタテュルク廟は,トルコに来たら先ず訪れるべきところであるらしく,
それは,トルコに敬意を払う,という意味がある,とのこと。
・アナトリア文明博物館

つくり自体はこじんまりした感じ。
ヒッタイト中心の博物館で,230万年前の展示物もあるというのだから驚き。
博物館として機能しているこの建物は,もともと隊宿宿として建てられた。
オスマントルコ帝国時代はショッピングセンターとして使用されていた。
しかし,アタテュルク政権時代(トルコ共和国)に,遺跡を大事にしよう,ということで
博物館として使われるようになった。

ヒッタイト文字でかかれたもの。
ヒッタイト文字の読み順はおもしろい。
→→→→→→
↓
←←←←←←
↓
→→→→→→
こういう順序だそうだ。
もっとも,読み順が分かったからと言って,文字が読めるわけではない。

↑当時の印鑑。
持つ人それぞれの印鑑の柄が違う。なんかかわいい。

↑当時の手紙。
粘土に文字を刻み,それを焼いている。
中が手紙で,外が封筒。
どちらも同じ素材の粘土で作ってあり,宛先人しか読めない。
中を読むためには封筒を壊さなくてはいけないから。
ヒッタイト族の国に,アシリア人が入ってきたことで今までの習慣に変化が生じる。
それがこの「手紙」という習慣。
アシリア人は貿易民族であるため手紙は欠かせなかったのであろうか?
また,もう一つの変化が「粘土」。
赤い粘土が主であったのに対し,南から物品が入るようになり
白い粘土でも作るようになる。

↑ミダス(王様の名前)の墓の副葬品
この墓は,300m×60mという巨大なものであったため(古墳のようなもの),
長い間,山と間違えられており,そのおかげで盗掘を免れた。
この墓,一応ミダスの墓,となっているが,
現在のところ,誰の墓かはっきりしない,というのが本当のところらしい。



いずれも,キベレ像(女)。
(上) アナトリア(ヒッタイト人の入る前の原住民)の神の像。
子供が股から顔を出している=繁栄の神。
虎を両脇に抱えている=狩猟の神
(中央) ヒッタイト人のキベレ像。女性の性器がでかい=繁栄の神<
(下) B.C.7世紀のキベレ像(アルテミス像)=ハンティングの神
B.C.12世紀にギリシャ人が入ってきたため,ギリシャ彫刻に近くなる。
ギリシャのアルテミスと現地のキベレ像が融合し,ハンティングの神となる。

キャイーン。・・・ふるいっ。
・昼食(レストラン「KALE WASHINGTON」にて)
このレストラン,なんと!小泉前首相も食べに来たことがあるレストラン。

見づらいが,真ん中に純ちゃん。
(昼食メニューは,別エントリ「トルコ料理あれこれ
」をご参照ください。)
トルコに到着後,初めてのトルコ料理だったが,
私はおいしい!!と思った。
ブルーチーズとか,ハーブとか,くさいくさい系は結構平気な方なので。
ただ,私を除くツアーの人たちは,んー合わないなあ,と文句を言っていた。
だが,彼らは頑張って食べていた。
これが悪夢の序章であるとも知らずに・・・。
・トュズ(TUZ)湖(塩湖)

雪ではない。全部塩。
太陽は痛いわ,下からの反射光がすごいわ,ですぐ逃げ帰った私。
この湖の塩は持ち帰り禁止。
冬にはフラミンゴが飛来する場所でもある。
・カッパドキア地方(ウチヒサール村)

自然に出来た岩の穴蔵に住んでいる人もたくさんいる。
ガスも電気も通っており(どうやって通したんだ?),なかなか快適らしい。
・カッパドキア地方(三美人の岩)

きのこではない。もちろんち●こでもない。
自然の力は不思議だな~。
この写真を撮った直後,カメラの画像を気を取られ,
足を滑らせ,下に転落しかける。
そこは落ちたら間違いなく死ぬであろう高さの崖。
転落しかけている私に気付いたスペイン人のおばちゃん。
はっしと私の腕をつかみ,助けてくれる・・・・。
あやうくトルコで死ぬところだった。
どうせ死ぬなら,やっぱ畳の上で死にたいものである・・。
ありがとう,スペイン人のおばちゃん。
でもチョーおこられた。足もとをよく注視しろって。すんません。

本日の宿泊:ペリッシアホテル (PERISSIAホテル )
今日も爆睡( _ _ ).。o○