山本時嗣講演会×斎名智子アワーが下関の赤間神宮で開催されることになった8月11日。
大雨警報が出る中、前日は新幹線、JR在来線、全ての公共交通機関が運休。
当日、下関のサンデン交通バスやJR在来線は変わらず運休だったが、奇跡にも新幹線は運行再開し新下関までたどり着くことが出来た。
ツイテル!!たまたまキティちゃん号
しかも新下関駅に着いた時にたった一台しかいなかったタクシーに乗り込むことが出来た。
交通機関が麻痺してるため、道が混んでて途中から動かなくなってしまったが運転手さんが機転を利かせてくれて無事に遅れることなく会場の赤間神宮に到着。
「私、とってもツイテル!!」
雨も小降りに
講演会のテーマは「死を力に。」
その後、斎名智子アワーで智ちゃんと紙芝居師なっちゃんのトーク。
平家と源氏 先祖と前世のカルマ解消|赤間神宮での斎名智子アワー初公開ライブ! ゲスト 紙芝居師 なっちゃん スピリチュアル
素敵なご高話とライブ。とても充実した一日だった。
帰りの新幹線は指定席ガラ空き
建礼門院「平徳子」にとても惹かれる。
お盆明けに京都に行くので、晩年の徳子が過ごした寂光院に足を運ぼうと思っている。
安徳天皇を祀る赤間神宮
寿永4年(1185)3月24日、源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いがこの海峡で行われ、栄華を誇った平家も遂に敗北し、武将や女官達は海に身を投じ、二位尼時子(平徳子の母)は三種の神器を身に着け、幼い帝、安徳天皇を抱いて、「波の下にも都の候」と入水されました。
後を追うように身投げした徳子は、心ならずも鎌倉軍の武士に引き上げられて、義経の乗る船に乗せられました。
京へと帰って来た徳子は、東山の山麓にひっそりと暮らしていましたが、文治元(1185)年5月1日に出家。
そして徳子は人目のない山奥に籠ろうと、9月末に大原の寂光院へと移りました。
赤間神宮は平家一門と共に海底深く、御歳わずか8歳で入水崩御された安徳天皇が祀られています。


