選手の育成とはなんだろう?

政治力で選手をたくさん集めて勝つことが育成なのだろうか?

 

選手も親も、今は情報があふれ、その情報に振り回されているケースも多々あるように感じる。

強いチームにあこがれ、強いチームに行けば自分も上手くなれると思うのは、もちろん自然の感情だと思う。

そのようなチームに行って成功する選手もこれまでにたくさんいるのも事実。

 

ひと学年に40人や50人、3学年で100何十人以上の選手がいれば、誰かが成功する確率は高くなる。

でも、それが本当に育成と言えるのかは、賛否両論あるだろうし、私は疑問に思う。

 

親を筆頭に周りにいる大人の価値観は子どもに大きく影響する。

だから、その子の可能性を最大限に引き出すために、周りの大人が何を伝えられるのかがとても重要だ。

それによって、その子が周りから応援される選手にもなれるし、応援されなくなってしまう選手にもなる。

親や周りの大人が何に優先順位をおいて、子どもに伝えるか、大きな鍵になると思っている。

 

大成する子の親にはだいたい共通点がある。

子どもを預けたら指導者を信じて、子どもとはつかず離れず絶妙の距離感をとれる。

強い弱いで判断しない。

勝った負けたで一喜一憂しない。

常に感謝の気持ちを行動で示す。

自分の子どもだけでなく、他の家庭の子どもも自分の家族、ファミリーのように接して下さる。

 

幸いに我々のチームは、その様な保護者の方が多く、選手の数は決して多くはないが、クラブの趣旨に賛同していただき、お子さんを預けて下さっている。

 

小学生は、あえて4種には登録せずに、フットサルのバーモントカップをメインにして挑戦している。

他にもビーチサッカーの大会に出たり、合宿でビーチサッカーやフットサルをたくさん取り入れている。

その理由は、世界中に最も多くのプロ選手を送り出しているブラジルにおいて、その選手達の95%以上が、育成年代にフットサルを経験しており、なおかつロマーリオやロビーニョ、ネイマールなどブラジルを代表する名選手の多くが子どもの頃に遊びの中でビーチサッカーを経験しているからだ。

フットサルもビーチサッカーも、5人の少人数で行うため、1人ひとりのボールコンタクトの数や局面でのかけひきや決断の数が格段に多くなる。

またゴール前の攻防の数も、8人制や11人制の通常のサッカーよりも多い。

それを育成年代に体感することが、小学生年代のサッカーでの勝った負けたよりも、ずっと大切だと思っている。

だから優先順位は全日本の大会を目指したり、いろいろな大会で市や県で上位に入る事ではなく、ブラジルで面白い選手が湧いてくるのは何故なのかを追求して、その環境に近づけていくこと、にしている。

 

サッカーは教えられるものではないし、教わるものでもないとずっと思っている。

原理原則は伝えなくてはならないが、選手が育つ環境をいかに作り出すか。

 

そんな中で、幼稚園の年中から中学3年生まで、11年間携わらせていただいた選手達が、少しずつ成果を出してくれている。

 

昨年、高校選手権予選で千葉県3位になった高校で、登録メンバーに入れていただいたジュニアユース(中学生の部)1期生のあるOBは、小学生のときは自分の学年は最初は4名、中学生のときは6名。それでも本人も保護者の方も我々のクラブの育成理念を信じてアベーリャスを選んで下さった。

その高校には2期生~4期生のOBが現在5名もお世話になっている。

 

また3期生のある卒業生は、小学生のときは同じ学年が2名からスタート、中学生のときは13名。昨年、全国大会でベスト4に入ったチームで高校2年生ながら今年のトップチームの20名に入れていただいているらしい。

 

さらに5期生のある選手は、千葉県トレセンに招集していただいているが、関東トレセンリーグに参加させていただく中でいろいろな方々に見ていただく機会を得て、Jユースの数チームと千葉県で優勝したことのあるいくつかの高校から声をかけていただいた。

彼も小学生のときは同じ学年は10名、現在ジュニアユース5期生(中学3年生)の仲間は15名。

セレクションをしていない3部のチームからでも、そんな選手が育ってきている。

 

先に述べたように、我々が育てたなんておこがましくて言えない。

そこには、彼らの人としての成長に大きな影響を与えている、我々よりも常に彼らと接しているご両親や親族、出会った仲間や学校の先生等の存在がある。

日頃練習試合や大会でお世話になっている、様々なチームから学ばせていただいていることもある。

でも、数パーセントは、我々のクラブの育成理念も影響しているという思いもある。

 

「育成」とは奥が深い。

何が正しいかなんて軽々に言うことはできない。

どんな選手がそのクラブから育っているか、そこで証明するしかない。

だから時間もかかる。

 

Jリーグの名前や指導者のネームバリューやこれまでの実績でたくさん集まるクラブには、今は太刀打ちできない。

でも、地道にコツコツと積み上げることで、いつか今よりもアベーリャスを信用してくれる人が増えると信じてチャレンジしていきたい。

 

セレクションをしていなくても少人数でも、その中から有望な選手が育つ。

そんな「育成率」を高めていけたらいい。

 

育成はマニュアルでもドリルでもない。

いかに1人ひとりの個を見て、その子の長所を見抜きそれを伸ばす手助けができるか。

正解のない試行錯誤。

時間のかかる作業だけど、だからこそ常に楽しみが残っているし、やりがいも大きいのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生き方には二通りしかありません。

奇跡はどこにもないという生き方と、

すべてが奇跡だという生き方です。」

 

20世紀最大の天才とも言われた科学者、アルバート アインシュタインの言葉である。

 

地球を含む太陽系は銀河系の中にあるが、その銀河系には2,000億~4,000億の恒星があり、さらに宇宙には2兆個の銀河がある言われている。

また近年、パラレルワールド(パラレル宇宙)という理論も出て来て、それがもし事実だとすると星の数は、ほぼ無限に近い。

宇宙が一つだとしても、2兆×4,000億分の1の恒星である太陽を周回する宇宙にたった一つの地球に生まれ、しかも200以上の国と地域の中でも日本という恵まれた国に産んでもらい、今生きていること自体が奇跡に間違いない。

 

アインシュタインは生き方について、他にも述べていることがある。

そのうちのいくつかの言葉を抜粋する。

 

「特殊な知識を身につけることより、主体的に考えて判断する能力を養う方がはるかに重要だと思います。」

「人生で大切なものはお金では手に入りません。」

「人の真の価値は、受け取ることではなく、与えることにあります。」

「人々のために生きることだけが、価値のある生き方です。」

 

逆に現代は知識獲得に安易に走ったり、なんでも受け身的に与えてもらえる傾向があり、主体的に判断できない人間を多く作り出す世の中になっていないかと考えさせられる。

サッカーの指導や育成現場においてもしかり。

小学生の低学年から型にはめて、同じポジションばかりやらせて、勝ち方を教えている場面をときどき見たり聞いたりすることがある。

ピンチにならないように、失点しないように、キーパーやディフェンスにはとにかく大きく蹴らせているチーム、今勝てばすべてOKというようなチームは小学生に限らず中学生にもときどきある。チームのやり方や価値観はそれぞれだから一概に否定はできない。

ただ、選手の判断を奪い、主体性を育てないまま小学生や中学生でいくらチームで勝っても、その後の個の大きな成長は望めないのではないか。

子どもたちの可能性は本来は無限大だけど、大人が与えすぎたり規制しすぎてはペレやマラドーナ、ジーコやメッシやクリスチアーノロナウドのような突出した個性のある選手が日本から生まれる奇跡は起こらないと思う。

それはサッカーだけでなく、他のスポーツや学業にも当てはまることだ。

 

自分自身はこれまでの、またこれからのすべての奇跡に感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

何もない状態からアベーリャスというチームを始められたこと自体が奇跡。

設立当初8人しかいなかったチームがこの少子化の時代に10倍にまでなったことも奇跡。

10年間クラブが消滅しないで継続できていることが奇跡。

まだまだ脆弱ではあるけど、奇跡の様な出会いのおかげで、クラブは今も少しずつ成長させていただいている。

キッズも小学生も中学生も楽しみな選手がたくさんいる。

保護者の方も協力的なお父さん、お母さんが多くて様々な点で助けていただいている。

現在、キッズ、小学生、中学生の他に2010年から存続しているトップチームもある。僅か3名からスタートしたこのトップチームに10年前は小学生だったアベーリャスのOBが戻って来るようになった。

またお父さんチームも人数が年々増えて輪が広がっている。

10年経ってみて、いくらお金を払ってもこの様なクラブは簡単には手に入らないと思う。

 

アベーリャス最初の10年がもうすぐ終わる。

決して楽な道のりではなかったけど、過去10年の軌跡を大事にしながら、これからの10年、さらにたくさんの奇跡を感じることができるように努力し、これまで以上に楽しんでいきたい。

 

「奇跡を望むなら、泣いてばかりいないで・・・ 幸せにはふさわしい笑顔があるはず」 JUJU

 

ある本で師匠と弟子の、こんなやり取りを知った。

 

鎌倉時代に曹洞宗を開祖した禅僧の道元は、修行僧に次の様な疑問を尋ねられた。

「なぜ、社会で成功する人もいれば、しない人もいるのだろう」

 

道元の答えは、

「成功する人は努力する。成功しない人は努力しない。その差である」

 

でもその修行僧には、新たな疑問が。

「なぜ、努力する人と、しない人が出てくるのだろう」

 

道元はさらに答えた。

「努力する人間には志がある。しない人間には志がない。その差である」

 

修行僧は納得するも、また新たな疑問が湧いてきて、道元にこう尋ねたそうだ。

「どうして志のある人とない人がいるのだろう」

 

道元の答えはこうだったらしい。

「志のある人は『人は必ず死ぬ』ということを知っている。志のない人は『人が必ず死ぬ』ということを本当の意味で知らない。その差である。

 

なるほど!

「志」 は武士の「士」に「心」と書く。

サムライ(士)の心とは、「いつでも自ら命を差し出す覚悟を持った潔さ」といったところか。

常に「いつか必ず死ぬ」ということを意識しながら、自分の命(死ぬまでの時間)を何にどのように使うか、自分の人生のミッションは何かを真剣に考えて退路を断って行動する、それが「志す」ということではないかと考える。

 

さて、「志のある人は『人は必ず死ぬ』ということを知っている」という道元の言葉と関連して、

ブラジルのサッカー界には、

 

「1日1頭のライオンを倒す」

 

ということわざがある。

 

想像してほしい。

ライオンと遭遇し1対1の状況ならどうなるか?

「ライオンを倒せなければ、自分は必ず死ぬ。」

 

ブラジルでは、毎日それくらいの気持ちでサッカーしないとクラブで生き残ってはいけないという意味だ。

だから練習でも試合でも死ぬ気で戦う。

日々、「今日が最後かもしれない」 「明日はこのクラブにいられないかもしれない」 と自覚して全力を尽くす。

 

10代半ばでこれを続けることは容易ではなく、中学生や高校生でも毎日の様に神様にお祈りしている選手をブラジルでたくさん見た。

その選手の多くが親元を離れ、クラブの寮で生活していた。

自分の力だけではどうにもならないことを悟っているからこそ生まれる気持ちなのだろう。

 

それぞれの国の社会環境もサッカー界の状況も異なるため、日本の中高生に、それらを全く同じようには求められない。

でもアベーリャスの選手達には、自分の志すものは何だったのかをしっかりと見つめ、「初心忘るべからず」と「初志貫徹」

という思いを持ち続けてほしいと願う。

 

そして、いつも最後を意識してほしい。

 

「今日のこの試合が最後になるだろう」

「今日のこの練習が最後になるだろう」

「今日この仲間と会うのが最後になるだろう」

「今日親と会うのが最後となるだろう」

「今日のこのご飯が生きているうちに食べられる最後の食事となるだろう」

 

そう意識したときに、その時間も人も物もとても大切で愛おしく感じるはず。

感謝の気持ちが生ずるはず。

 

限りある人生の中で、いつまでも「志」を見失わずに、最後に笑っていられるように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人こそ資本

 

「海賊とよばれた男」のモデルとされた、出光佐三氏の言葉である。

出光佐三とは、出光興産株式会社を創業者である。どんな人物かの詳細は、上記の映画や出光氏に関する著書に譲る。

氏は学生時代、恩師から「士魂商才」という考え方を教わる。

「清廉潔白で責任感の強い武士の魂をもって商人として機敏に才を発揮すること」だそうだ。

その教えに従い「消費者のため(庶民のため)」をとことん追求し、金儲けを目的としない商売を行おうとしたのだ。

カルテル(販売協定)を結ぶメジャーに真向から勝負を挑み、世界を敵にまわし孤立状態に陥いるが、どんな苦境の中でも信念を貫き続け、出光は「本当に世の中のためになることをしている」と、その生き様に共感して助けてくれる人が少しずつ増えていったという。

「正しいことを続けていれば、世の中に必ず評価してもらえる」と出光氏は語っている。

サッカーコーチ、または選手としても、そんな風でいれたら素敵だなと思う。

「士魂球才」と言ったところか。

 

日本が明治維新をなしとげ、文明開化や富国強兵をうたっていた時代、黄金が万能とされ、金さえあれば良いという様な風潮の中、出光氏は恩師の教えを受けながら、「社会は人間が作ったもので、金が中心じゃない、人間が中心だ」と主張し続けた。それが、出光の「人こそ資本」という考え方につながっているのだそうだ。また氏の父親からの「ぜいたくをせず、人のため、国のために尽くせ」「自分に薄くして人に厚くせよ」という教えも出光興産のベースになっているという。

 

さて、アベーリャスでは

「サッカー選手である前に、まず人間を育てる」

とチームの方針にうたっている。

設立当初、うちに試合で勝った相手チームの子どもの保護者に

「あのチームってサッカーじゃなくて人間性を教えてるんでしょ、ふふふ(笑)」

と揶揄されたこともある。

まだ人も集まらないし、経験もない子ども達ばかりだったから試合には勝てないことが多かったのは事実。

でも信念に基づいて指導してきた。

 

今年でジュニア(小学生のチャレンジコース)は8年目。

2017年度の6年生は小さな大会だけど4回の優勝を経験。

勝ち負けよりも、コーチが何も言わなくても、アップからミーティング、選手交代まで自分達だけでできるようになっていることが嬉しい。

ジュニアユースのカテゴリーもできて4年目だが、中学生達も同様に少しづつ良い習慣が身についてきている。

 

小さなことを大切にして、いかに人間力を高め、自立した集団になっていくか。

そうなっていくためには手間と時間がかかる。

チームは生き物だから、いつも順調にはいかない。

前進、後退、を繰り返しながら少しづつ成長していく。

ちょっと油断すれば、ゼロどころかマイナスにまで落ち込んでいく可能性もある。

 

対外的にもチームとして、クラブとして信頼されるようになるまでには、長い年月がかかる。

でもその信用を失うのはあっという間。

何を大切にするか、どんな考え方をしているか、そのクラブに関わる「人の心」によってカラーが決まる。

「誰が関わるか」でも大きく変わる。

 

まさに「人こそ資本」である。

 

よく、ゴールデンエイジと言うが、これは技術に限ったことではないと思う。

どんな考え方をするか。

どんな習慣を身につけるか。

9歳~12歳まではそういう面でのゴールデンエイジでもある。

そしてこの時期に「人として」の土台を作った後は、やはり一貫指導の下で同じことを大切にしていくことが重要だと実感している。

 

積み重ねたことは、必ず目に見える形で現れる。違いが生ずる。

試合にただ勝てば良い、サッカーがうまければあとは好き勝手でも良い、自分さえ良ければ、とやってきたチームや選手や保護者には、必ずどこかでひずみが出る。

1年や2年では気付けないことかもしれない。

でも9年、10年と継続した後、それに気付いたのでは遅すぎる。

長くやってきた今だから、自信をもって言えることでもある。

そして一時期ではなく、キッズ~中学3年生まで、長い場合は10年以上携わることになる選手もいるから、責任も大きい。

 

 

キッズ、小学生、中学生、社会人のトップチーム、そしてお父さんチーム、OB、更にその保護者や家族の皆さん、情熱あるスタッフ達、

アベーリャスには、お金では価値を量れない素晴らしい資本がたくさんある。

まだクラブとして大きな実績がなくても、人数が多くなくても、資金がなくても、大きく整ったグラウンドがなくても、他のチームに誇れる素晴らしい財産を備えている。

 

アベーリャスに関わってくれている「人こそ資本」!

 

という考え方をクラブ内で共有していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選挙が終わり、与党でも野党でも「謙虚」という言葉が飛び交っている。謙虚さを持ち続けていれば成功できた、謙虚さを忘れていたから失敗した、と後の結果で気づかされることが多い。

 謙虚という言葉はポルトガル語にも存在する。みんなから好かれていたり、大成している選手を、ブラジル人はよく、「Pessoa humilde」(ペッソア ウミウジ・・・謙虚な人)と表現する。

 人は物事が順調にいっているときほど、謙虚さを忘れがちになる。「いろいろな人のおかげで」という、それまでに受けた様々な恩を忘れて、自分だけの力でここまでになったと思っている人を見かけることがある。

 

サッカーチームで、今、力がついてきて中心選手であったとしても、自分だけの力でうまくなってきたわけではない。

自分1人では練習も試合もできないし、チームメイトや対戦相手がいたからこそ、成長できる機会を得ることができたはずだ。

自分よりもずっと前に、そのチームの創設期に頑張ってくれた先輩達がいたから、今、自分もそこでプレーができる。

まだ自分が力不足だったときにも、温かく接しながらいっしょにプレーしてくれた1つ上の学年、2つ上の学年の仲間のおかげで今の自分がある。

 

小中学生でも、周りの大人がその様な「物の見方や考え方」を日々伝えていけば、気付けることだと思う。

まず子どもの一番身近にいる親がそこに気付けないと、子どもは勘違いしてしまう。

 

『素直な心に花が咲く』(池田繁美著)という本に、「謙虚さがなくなる兆候」として以下のことが書かれている。カッコ内の言葉はサッカーあるいはサッカーチームに結び付けて私が勝手に加筆したものである。

 

◇時間(練習)に遅れだす。

◇約束を自分のほうから破りだす。

◇挨拶が雑になる。

◇他人(他の選手)の批判や会社(チーム)の批判をしだす。

◇すぐに怒り出す(他人とのトラブルを起こしまくる)。

◇他人の話を上調子で聞きだす。

◇仕事(サッカー)に自信が出てきて、勉強(練習)しなくなる。

◇物事の対応が緩慢になる。

◇理論派になりだす。屁理屈を言う。

◇打算的になりだす。損得勘定がしみつく。

◇自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。(自分もしくは自分の子がうまいと思い、他の選手をバカにする)

◇目下の人(下の学年の選手)に対して、ぞんざいになる。

◇言い訳が多くなる。

◇「ありがとうございます」という言葉が少なくなる。感謝の気持ちがなくなる。

 

アベーリャスでサッカーを続ける選手達には、今、自分がサッカーできることは、学年やサッカーの上手い下手を問わず、多くの人たちの支えがある「おかげ様」という感謝の気持ちを忘れず、どんな相手からも学ぶことがあるという素直で謙虚な態度を持ち続けられる選手であってほしい。