「父ちゃん、今回の『母ちゃんテツ検定』の解答締切時間となったが、さっそくみなさんから頂いた解答コメントの答え合わせをしよう」
「かしこまりました。それでは答え合わせの前に前に改めて母ちゃんからの設問と第1•第2•第3ヒントをご覧ください。なお、問題文の中の『本日(10月2日)』という日付は出題時の日付ですのでご了承願います」
問題
「以下の写真は本日(10月2日)父ちゃんが東京駅で撮影したものである。この写真と説明を見て設問に答えよ」
「時刻は17時52分。場所はJR東日本東京駅(東北•上越•北陸新幹線ホーム20番線)である」
「到着した列車は北陸新幹線『はくたか568号』敦賀発東京行である」
「この列車の編成はJR東日本新潟新幹線車両センター所属のE7系F21編成である。上越新幹線•北陸新幹線の列車はJR東日本長野新幹線車両センターおよび新潟新幹線車両センター所属のE7系が上越•北陸新幹線の運用に入るが、JR西日本白山総合車両所所属のW7系については父ちゃんが確認する限りでは上越新幹線の運用に入ったのを見たことがない」
「それで•••?」
「ここからが本題だ❗️父ちゃんは前述の『はくたか568号』の折り返しとなる列車で長野駅まで乗車する。その列車の列車名と号数を解答せよ」
難易度★★☆☆☆
「いつもの通り、ノーヒント時点での正解から第3ヒントを出した時点での正解までそれぞれの称号を授与するので、頑張って答えていただきたい」
ノーヒントで正解•••検聖
第1ヒントで正解•••検豪
第2ヒントで正解•••名人
第3ヒントで正解•••初段
「解答締切は10月4日土曜日20時00分とする。いつものようにこの父ちゃんブログのコメント欄にて解答すること」
「か、母ちゃん
国家試験や学校の試験じゃないんだからそんな上から目線で出題するんじゃありませんっていつも言ってるだろう
」
「問題を出題するとなんだか偉くなった気分になるんだよう❗️」
「そのうちみなさんからお叱りのコメントがおれのコメント欄に届いたら困るのはおれなんだぞ❗️」
「あはは。そうなったら楽しいよう♪」
今回は母ちゃん命令により乗車中の新幹線の車内から母ちゃんからのLINEによる指示でリモートにて問題を作成しました。この問題が出題される頃には列車を降りて駅レンタカーに乗り換えて車を運転中だと思います。
第1ヒント
「この列車は上越新幹線と北陸新幹線の分岐駅であり両新幹線の主要駅のひとつでもある高崎駅には停まりません。東京駅を出て上野•大宮と停車して次に停車するのは•••?」
「熊谷かえ?」
「さて?そこはみなさまのご想像にお任せすることといたしましょう。ところで私が下車した長野駅の新幹線ホームは2面4線構造となっており、以下のように列車が発着します」
•11番線
長野駅止まり及び長野駅始発の「あさま」や一部の「はくたか」が後続の「かがやき」に抜かれるための待避として使用。この場合、相互の乗り継ぎができる。
•12番線
主に長野から先の金沢•敦賀方面へ直通する下りの「かがやき」「はくたか」が使用するが、長野駅止まりの「あさま」の一部列車も使用する。
•13番線
主に敦賀•金沢方面からの上りの「かがやき」「はくたか」が使用する。
•14番線
主に長野駅折り返しとなる「あさま」が使用するが、一部の「はくたか」が後続の「かがやき」に抜かれるための待避で使用。この場合も相互の乗り継ぎができる。
「ちなみに私が乗車した列車は11番線に到着しました。なお、北陸新幹線は(東京)〜高崎〜上越妙高間がJR東日本、上越妙高〜敦賀間がJR西日本の管轄ですが、上越妙高駅には『かがやき』は停車しないので、全列車が停車する長野駅で両社の乗務員交代が行われます。そのため、長野駅に停車する『かがやき』『はくたか』は長野駅でおよそ2分間停車しますが、『かがやき』に長野駅で抜かれる『はくたか』の一部列車は停車時間が長く、中には10分ほど停車する列車も存在します」
この写真は数年前の撮影なので今回の解答となる列車ではありません。あくまでもヒントとして使用する参考資料として貼り付けたものです。
第2ヒント
「北陸新幹線の列車名は『かがやき』『はくたか』『あさま』『つるぎ』の4つがあります。いずれもかつて在来線の特急列車として使われていた列車名でした。このうち『つるぎ』は富山〜敦賀間のシャトル列車なので今回東京から長野までの区間だけを乗車した私が乗車するわけないので除外、残る3つの列車名から考えてみてください」
「3択ということかえ?」
「そういうことになりますね。そして、解答となる列車名のルーツを辿るとこのこの列車名に行き着きます」
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「これで列車名は特定できたかえ?あとは時刻表をめくって問題文をよく読んで号数を割り出すだけだよう❗️」
「それでは最後のヒントです」
第3ヒント
「目がおかしくなりそうですが、多分読み取れるのではないでしょうか?」
正解発表
「今回はヒントの解説の前に正解発表です」
「正解は『はくたか573号』でしたよう♪」
ヒントの解説
第1ヒントではこの列車は「高崎駅には停まりません。東京•上野•大宮と停車して次に停車するのは•••?」」と述べましたが、次の停車駅は軽井沢駅です。北陸新幹線で東京〜金沢•敦賀へ直通するのは通過(速達)タイプの「かがやき」と「はくたか」の2列車です。「かがやき」は全ての列車が高崎駅を通過(定期列車では大宮〜金沢間の停車駅は長野と富山のみ)しますが、「はくたか」はほとんどの列車が高崎駅に停車しますが、この列車は通過するので自由席利用で急きょ乗車するときは気をつけないと軽井沢駅まで連れていかれてしまいます。「かがやき」は全車指定席なので慌てて飛び乗らない限りはその心配はありませんが•••(但し、確かめもせず飛び乗ったら長野まで連れていかれてしまいますが•••)。
「はくたか573号」は東北•上越•北陸新幹線の全ての列車が停車する大宮駅を出ると熊谷•本庄早稲田•高崎•安中榛名の4駅を通過、そして軽井沢から終点の金沢までの各駅に停車します。
この列車•••東京駅を18:04発で長野駅に19:40着なのですが、20分後に東京駅を発車して4分後に長野駅に到着する通過タイプの「かがやき515号」を先行させるため長野駅で10分間も停車します。そのため、主に長野駅折り返しの「あさま」が使用する11番線に到着して「かがやき」を待避するというわけです。
「はくたか」の列車名の起源はかつて大阪〜上野•青森間を日本海回りで結んでいた特急「白鳥」に遡ります。
昭和36年(1961年)10月1日の国鉄ダイヤ改正により日本海縦貫線初の特急列車として登場したこの列車は大阪〜直江津間で青森編成と上野編成を併結して走り、直江津〜青森間と直江津〜上野間はそれぞれ独立した編成で走っていました。混乱を避けるため国鉄内部では青森編成を「日本海白鳥」、上野編成を「信越白鳥」と呼んで区別していたそうですが、まだ新幹線も無かった時代で在来線の特急列車も希少でしたから乗車率が高く(まだ特急列車は庶民には贅沢な列車で自由席など無かった時代のことです)、昭和40年(1965年)10月1日のダイヤ改正で「信越白鳥」を独立させて上野〜金沢間の運転となって特急「はくたか」が登場しました。運転経路は上野から信越本線•長野経由で金沢までを結びました。当時は80系気動車での運転でした。
信越本線直江津〜長岡間や北陸本線の電化完成により昭和44年(1969年)10月1日ダイヤ改正にて485系電車化され、運転経路を上越線•長岡経由とされました(これは信越本線•横川〜軽井沢間に介在する66.7‰という急勾配の碓氷峠をEF63形電気機関車と協調運転可能な特急型電車の開発が途上にあったためです。ここを通過する電車はこの機能が無いと最大8両編成までしか組めず、輸送力で問題があったためです。のちに485系にこの機能を付加した489系が登場しましたが、「はくたか」が戻ることはなく、それまで長野経由で急行列車として走っていた「白山」が特急列車に格上げされて長野経由で上野〜金沢間を結びました)。
昭和57年(1982年)11月15日、上越新幹線開業に伴い「はくたか」は上野〜長岡間が廃止され、長岡〜金沢間が北陸都市間を結ぶ特急「北越」に統合されて列車名が消滅してお蔵入りとなります。
なお、国鉄からJRに移行してから長岡駅で上越新幹線と接続する「北越」より停車駅を大幅に絞った速達タイプ(長岡〜金沢間の停車駅は直江津•富山•高岡のみ)の特急「かがやき」が設定されました。
特急「はくたか」が再び翔いたのは平成9年(1997年)3月22日、北越急行ほくほく線開業により越後湯沢駅で上越新幹線に接続して直江津駅までを長岡経由より大幅に短縮、さらに単線ながら高規格路線である北越急行線内では最高130km/h運転で首都圏〜北陸の到達時分を大きく短縮した特急列車の列車名として復活しました。そして「かがやき」を廃止に追い込みます。
そして北陸新幹線金沢開業により新幹線の列車名として現在に至っています。
それにしても、長岡〜金沢間の速達列車で「はくたか」は採用されず「かがやき」となり、北越急行経由の特急として長い眠りから覚めたときには一挙10往復が設定されて「かがやき」を駆逐したものの、北陸新幹線金沢開業時には通過タイプの列車名に「かがやき」が採用されて「はくたか」は停車タイプに甘んじることとなりました。
実は国鉄時代にも前述の485系電車化されて信越本線•長野経由から上越線•長岡経由となってからも1往復のままでした。碓氷峠でEF63形電気機関車と協調運転可能な489系が開発されて長野経由で運転を開始した特急「白山」がダイヤ改正のたびに増発されて3往復に成長したのに比べ、1往復増発されて2往復となったのは昭和54年(1979年)になってからでした。増発されるまで実に10年を要した長岡経由時代でした。碓氷峠での協調運転や単線区間も介在する長野経由の「白山」より遠回りでも全線複線で碓氷峠のような補機を必要とする区間も無かった「はくたか」は「白山」よりも上野〜金沢間の所要時分が20分ほど短かったのにもかかわらず順調に増発された「白山」を横目に長い間1往復で黙々と走り続け、列車名としてはずっと後輩の「かがやき」が通過タイプなのに対し、停車タイプである現在の新幹線時代•••常に2番手に甘んじる運命なのでしょうか?
「よし父ちゃん、ご苦労。でもこんな長い解説なんて誰も最後までちゃんと読まないよう❗️」
「さ、最後までお読み取りいただきありがとうございました
」











