「父ちゃん。今回の『母ちゃんテツ検定』の解答締切時間となったが、さっそく答え合わせをすることとしよう♪」


「かしこまりました。今回は母ちゃんから以下の通り出題されていました」


問題

「以下の写真は父ちゃんが2015年の2月に撮影したものである。この写真はこの駅に停車中の列車内からの撮影であるが、何駅なのか駅名を答えよ。解答はいつものようにこの父ちゃんブログへのコメントにて解答すること。解答締切は8月16日土曜日20時00分とする」


「設問では画像を加工して隠しておいた駅名標を加工していない駅名標を併せて貼り付けましょう」







「問題を出題するとなんだか偉くなったような気分になってくるんだよう•••あはは♪」


「まったく•••」


「今回も見事正解されたみなさんには以下の通り称号を授与いたしますよう♪」


ノーヒントで正解•••検聖

第1ヒントで正解•••検豪

第2ヒントで正解•••名人

第3ヒントで正解•••初段


「それでは第1ヒントをお出ししましょう。以下の写真を参考にしてお考えください」


第1ヒント

「第1ヒントの写真は設問の写真を撮影した翌月に撮影したものです」

「こちらも以下の通り復元しましょう」



「国鉄〜JR時代には東京の上野駅からやってくる列車をメインに夏休み期間や年末年始のスキーシーズンなどには中京方面や関西方面からの臨時列車もやってきていました。上野駅からやってくる列車は信越本線、中京方面からの列車は中央本線•篠ノ井線を通って信越本線に入ってきていました。関西方面からの列車は東海道本線を通って名古屋から中央本線•篠ノ井線を通って信越本線に入る列車と、湖西線•北陸本線を通って信越本線を逆から(日本海側から)やってくる列車がありました。それでこのような案内板が設置されていました(現在はありません)。


「では第2ヒントだよう❗️」

第2ヒント

「第2ヒントでは解答となる駅がある町を少し巡ってみることにしましょう」


「この町は江戸時代の俳人•小林一茶の出身地であります。この土蔵は小林一茶が晩年を過ごし、終焉を迎えた土蔵です。この土蔵はこの町を南北に貫く国道(国道18号線)沿いにあります」


「駅に地域の方々や旅行者が認めた句が掲出されている駅は珍しくありませんが、この駅においてもその小林一茶の出身地であるためか、投句函が待合室に設置されています」


「春の早朝•••駅の遠景です」


「この町にある湖です。以前は水位が下がる早春の頃に毎年のように発掘調査が行われていました。こちらは野尻湖です。かつてナウマンゾウをはじめとする多くの化石の発掘調査が行われていました」


「それでは第3ヒントをお出ししますよう♪これが最終ヒントとなりますよう❗️」

第3ヒント


「こちらは2014年5月中旬撮影です。この写真の奥で線路は右方向へ弧を描いており、その先へ進むと解答となる駅へと至ります。ここはかつてこの路線の撮影名所として人気の撮影地でしたが、現在では(何かトラブルでもあったのか?)高いフェンスが張られてしまっています。もちろんこの国鉄特急型車両も既に過去のものとなっています」


「こちらは2016年5月中旬撮影です。解答となる駅の駅舎の夜景です。明治21年(1888年)開業で現在の駅舎は昭和7年(昭和2年説あり)築、その後改築が重ねられていますが、おおまかな姿は昔の姿を継承して現在に至ります」


「駅前通りの風景です。同じ日に駅を背にしての撮影です」


正解発表


「正解はヒント写真の解説でもお分かりの通りしなの鉄道北しなの線(旧国鉄〜JR東日本信越本線)黒姫駅でしたよう❗️」

 黒姫駅は官設鉄道(のちの国鉄信越本線)の柏原駅として明治21年(1888年)5月1日に開業しました。昭和43年(1968年)10月1日に現在の黒姫駅に改称、国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となり、北陸新幹線金沢開業時に並行在来線である信越本線が第三セクター化されてしなの鉄道に移管されて現在に至ります。

 信越本線時代には隣の新潟県側にある妙高高原駅とともに妙高•黒姫エリアのリゾート地の玄関口として優等列車が停車する駅として賑わっていました。


 称号授与式

検聖

(ノーヒントで正解)

竹馬士心さん


検豪

(第1ヒントで正解)

該当者なし


名人

(第2ヒントで正解)

しょこたんさん

ちばばさん

あららさん

つばめ晋さん


初段

(第3ヒントで正解)

該当者なし


「みなさん、ご参加ありがとうございました。次回の母ちゃんテツ検定をお楽しみに〜♪」