先日、勤務先の同僚から頂いた豆菓子。

 自分の中にあった豆菓子の概念が吹っ飛んでしまうほど美味しかったので外装の裏のラベルを見たら

販売者:豆徳浅草店 東京都台東区浅草

製造者:徳永製菓株式会社 広島県福山市胡町

となっていました。


 母ちゃん

「父ちゃん、コレ美味しいよう♪」

と言うものですから

(浅草にあるんならちょいとお店を見てくるか)

と、稲荷町に少し遅めの朝ラーを食べに行ってから帰りに浅草に出ることにしました。


 美味しかったからラベルに書いてあった販売者の豆徳浅草店及び製造者の徳永製菓株式会社をネットで調べてみましたら、この豆徳というお店は本店が製造者の徳永製菓株式会社と同じ所在地で広島県福山市胡(えびす)町。



 物心ついた頃から小学5年生修了までの約10年ほどの少年時代を過ごした福山•••しかし、私が住んでいたのは最初が松浜町というところで、その後の多くの期間は大門町といって福山市でも東端にあたる岡山県境に近いところでしたから胡町とはかなり離れた場所でしたし、少年時代のことだからなおさらお店のことは知らなくて当然です。


 昨日は久しぶりに日曜日と自分の勤務の休日が重なったのでまず稲荷町の喜多方食堂へ。

 自宅からは地下鉄日比谷線で上野駅に来てそこから歩きます。というのは、上野駅までなら通勤定期で電車賃がかからないからというのが単純な理由です。日比谷線から銀座線に乗り換える時間や、距離的に数百メートルの上野〜稲荷町間を歩いた時の時間差はほとんど無いものですからいつも歩きます。


 あまりの暑さに身体が求めたのは塩ラーメン。こちらで食べるときは私は「玉ねぎトッピング」は必須です。


 この危険な蒸し暑さではなく、秋から春にかけてだったら雨さえ降っていなければ食後はそのまま浅草まで歩くところですが、ここは大事を取って少し上野方向へ戻って稲荷町の交差点のところにあるベローチェで食後のアイスコーヒーを飲みながら涼んでから銀座線の稲荷町駅で地下鉄に乗って浅草駅へ向かいました。


 もう観光公害(オーバーツーリズム)と成り果ててしまった浅草にはこのところすっかり行かなくなってしまいましたが、豆徳には行ってみたかったので我慢して人混みをかき分けるようにして異国情緒漂う(もちろん皮肉です)雷門の前を通ってオレンジ通りへ向かいました。

 オレンジ通りを右折して少し歩いた新仲見世と交差する角のところに豆徳浅草店はありました。

 先日の頂き物は店頭に並んでいましたが、他にどのようなものがあるのかと思って店内に入ると若くて美しい女性店員さんが魔性の微笑み

「よろしければご試食いかがですか?」

と、声を掛けてくれるものですから還暦過ぎて早くも1年半が経過したじぃじはそれだけで嬉しくなってしまって次から次からと出される豆菓子を試食してしまうハメに•••完全に陥落です。

 結果としてこんなに買ってしまいました。

 右側の大きな袋の詰め合わせはこの写真を撮る前に私が帰宅してシャワーを浴びてる間に母ちゃんが待ちきれなくて勝手に開けて食べちゃったので少し減っています。

「父ちゃん、美味しいね♪」


「また勝手に開けたのかガーン


 さて、豆徳の豆菓子を製造しているのは徳永製菓株式会社ということは前述の通りですが、ラベルに製造所の所在地(工場)が記載されていました。

 工場の場所をネットで調べてみたら、少年時代に私が遊び回っていたエリアではないですか❗️
 昨年の春、東京に引っ越してきてから行く機会に恵まれなかった大門町を半世紀ぶりに訪れて少年時代の足跡を辿ってみましたが、私がいつも通っていた通学路のすぐ近くに工場があるんですね。


 以下の3点の写真は私が小学生の時の通学路を昨春辿った時に撮った写真です。



 3枚目の写真は学校から帰宅する時に自宅へ向かう方角を撮ったものですが、工場はこの写真とは逆方向(撮影している私の背中側)にあるようです。

 あの時、少年時代に住んでいたところや近所を歩き回って大門駅へ戻る時に違う道を通ったからもしかしたら工場の前を通ったかもしれません。


 頂き物の豆菓子から思いがけず少年時代の追憶と昨春の福山訪問が結びつくことになりました。








 なんだかまた少年時代の足跡を辿りに行きたくなってきてしまいました。


 浅草からの帰りは久しぶりに浅草駅から東武スカイツリーライン経由で帰りました。仕事の時に事務所で履いている革靴がくたびれてきたのでスーツでも合うスポーツシューズを北千住の靴屋さんで買って帰りました。