2015年2月18日•••東京•上野駅新幹線地下ホームに東京駅を出発してきた長野新幹線(当時の呼称であり正確には北陸新幹線)の下り朝一番列車「あさま」が到着。
北陸新幹線(高崎〜長野〜金沢〜大阪)間のうち「長野新幹線」として1997年10月1日に部分開業していた高崎〜長野間だったが、2015年3月14日に長野〜金沢間の延伸開業まで1ヶ月を切っていたこの日に休暇を利用して新幹線開業により姿を消す思い出の「乗り得列車」に惜別の乗車をするためだけに早朝自宅を出て上野駅に向かった。
E2系は新幹線長野開業に合わせてJR東日本が導入した車両。山形新幹線や秋田新幹線との併結機能を付加した1000番台が東北新幹線や上越新幹線に導入されてJR東日本の新幹線車両のスタンダード形式となったが、北陸新幹線では金沢までの延伸開業前から一部の「あさま」に先行導入されていたE7系が急速に増備されて、金沢開業後はそれほど時間をかけずにE2系は北陸新幹線から姿を消してE7系やJR西日本所有のW7系に統一された。
朝一番の「あさま」に乗車すると長野駅から信越本線の下り普通列車「妙高1号」に乗り継ぐことができた。信越国境にある親戚宅へ向かうには便利な列車だった。
この普通列車は新幹線が長野まで開業した時に廃止された並行在来線の特急列車「あさま」に使用されていた189系特急型車両を使用していた。
普通列車でありながら「妙高」という列車名が付けられているのは、特急型車両を使用して指定席車両が設定されていたため指定席乗車券発売に対応するためでもあったようだ。
この189系という車両は信越本線に介在した国鉄〜JR線で全国一の急勾配区間(最大で66.7‰=パーミル•••1000mの水平区間に対して66.7mの高低差となる勾配)である碓氷峠(横川〜軽井沢間)に対応するため、この区間専用で列車の補機として連結されるEF63形電気機関車との協調運転機能を備えた車両。
1975年にデビューして上野〜長野•直江津間を結ぶ信越本線の特急「あさま」や共通運用で中央本線の特急「あずさ」の一部列車で活躍していた。
新幹線開業により「あさま」は廃止され、189系は多くの車両が登場以来住み慣れた長野を離れて松本や幕張へと移って「あずさ」や房総方面の特急列車に使用されたが、長野に残った一部の車両がグリーン車などを抜いて編成を短い6両モノクラス編成に組み直して長野以北への利用者に対して新幹線接続列車として便宜的に設定された「妙高」に使用されていた。
ちなみに「妙高」という列車はもともと急行列車として上野〜妙高高原•直江津間を結ぶ急行列車として信越本線を長く走っていた列車で、私も少年時代にはよくお世話になった列車だったが、国鉄時代末期に全国規模で実施された増収策の一環として急行列車の特急格上げにより上野〜長野間で運転されていた急行「信州」とともに特急「あさま」に統合されて晩年は夜行列車1往復に数を減らしていた。その夜行「妙高」も最終的に上野〜金沢間の夜行急行「能登」と統合されて姿を消していた。
長野を発車すると次は北長野。
新幹線接続列車として普通列車とはいえ特急型車両を使用して指定席車両も連結されていた「妙高」は当初は5往復ほど長野〜直江津間で運転されていたと記憶しているが、189系の老朽化による廃車とともにその数を減らして北陸新幹線金沢延伸に伴う廃止前には3往復のみが運転されていた。
最後に乗車したのはこの日、2015年2月18日となった。
朝一番の新幹線「あさま」から長野駅で乗り継ぐ「妙高1号」は長野駅では通勤時間帯となることからかなりの乗車率で、隣の北長野駅で大半の乗客が下車する。
その後は三才、豊野と通勤•通学客が下車していき、車内は空席が目立つようになる。
長野県は青森県に次いでりんごの生産が盛んで、善光寺平(長野盆地)にはりんご畑をはじめぶどうや桃など果樹園が広がるが、あたり一面雪景色だった。
豊野駅を出ると飯山線の線路が分かれて信越本線は北へ向かう。飯山線は千曲川に沿って新潟県の越後川口駅までを結ぶローカル線で、紅葉の時期に乗車することが私のお薦めだ。
豊野駅を発車した列車は北信濃の山あいへと入って千曲川の支流である鳥居川に沿って日本海側の直江津駅をめざす。
信越国境の山間部に入ることで積雪はみるみる深くなってゆく。この地方では善光寺平から信越国境に向かって「一里一尺」と例えられるほどに雪が増えてゆく。
かなり前のことになるが、新潟県在住の方のブログで
「長野は山国だから新潟より雪が多いと思っていたが、周囲の山は雪深いけれど長野市内はさほどの積雪ではなくて驚いた」
といった趣旨の一文を見かけたことがあるが、長野の市街地は盆地で日本海からの北西の季節風は信越国境の山岳地帯や高原にぶつかって多くの雪を降らせた後に善光寺平に入ってくるので、市内の積雪はそれほど多くはない。
豊野駅の次は牟礼駅。列車は既に長野市から飯綱町に入っている。
以前は上水内(かみみのち)郡牟礼村だったが、平成の合併で隣の三水(さみず)村と合併して飯綱町(いいづなまち)となり、町の玄関口であるとともに飯綱東高原の玄関口ともなっている。
このあたりから急激に積雪量が増える。
牟礼駅から次の古間駅の間で列車は飯綱町から信濃町(しなのまち)に入る。積雪は深くなる一方である。
信越本線は群馬県の高崎駅から長野駅を経由して本州を横断して新潟県の直江津駅から日本海側に出て新潟駅に至る路線だ。
長野駅まで新幹線が開業した際に並行在来線となる軽井沢〜篠ノ井間が第3セクター•しなの鉄道に転換され、碓氷峠区間の横川駅と軽井沢駅の間は廃止された。そしてこの鉄旅から1ヶ月も経たないうちに長野〜妙高高原間がしなの鉄道、妙高高原〜直江津間がえちごトキめき鉄道として第3セクターに転換される。
古間駅は深い雪に覆われていた。この写真から眺める車窓の向こうにはかつて使用されていたホームが残るが、その痕跡さえわからないほどの積雪だった。
かつて特急列車として活躍していた車両の普通列車「妙高」の車内•••首都圏のロングシートばかりの車両で通勤する者からすれば、簡易リクライニングシートで大型背面テーブルの車両で通勤•通学できるのは車両面だけで見れば羨ましい限りだが、現実とすれば混雑時に客室とデッキが仕切られ、扉も車両の端にしかないのは利用者とすれば不便であったかもしれない。
長野県内最後の駅である黒姫駅。
この路線の積雪はこの黒姫駅から隣の新潟県に入ったところにある妙高高原駅にかけてがピークで、直江津方面からやってくる「特雪列車」(除雪のための臨時列車)がこの黒姫駅で折り返していた。
長野•新潟県境を流れる関川を渡ってすぐのところにあるのが妙高高原駅。
窓の外は相変わらず雪が激しく降っていた。
夏は避暑地として、冬から春にかけてはスキー、そして妙高山麓に広がる妙高高原温泉郷の玄関口としてシーズン中は臨時改札口が設けられるほど賑わっていたこの駅も高速道路の開通や新幹線の開業により上野駅からの直通列車が無くなったことでずいぶん寂しくなった。
いかにも信越国境の冬景色といった車窓風景。
妙高高原からは関山、二本木と頚城平野に向けて勾配を下ってゆく。
二本木駅は全国でも数少なくなった現役のスイッチバック駅だ。 長野方面からやってきた下り列車は直進して二本木駅に到着する。そして後退して発車して渡り線を通って本線を横切るようにして到着前に進行方向右側に見えた板張りの雪囲いのあるスイッチバック線に入り、再び前進して本線へ入って直江津方面へと進む。直江津方面からやってくる上り列車は逆で、先に本線からそのままスイッチバック線に入り、後退して二本木駅に到着する。そして再び前進して駅を発車してそのまま本線に入って長野方面へ向かう。
乗車している189系は特急「あさま」として走っていた頃には二本木駅には見向きもせず渡り線を通ってスイッチバックしないでそのまま通過していたのだが、特急列車としての任を解かれてからは丁寧にスイッチバックして二本木駅に停車するようになった。
二本木駅の次は新井駅。
新井駅はかつての新井市の代表駅だったが、新井市が妙高高原駅がある(なかくびき)郡妙高高原町(みょうこうこうげんまち)、関山駅がある中頸城郡妙高村と合併して妙高市となったため妙高市の代表駅となっている。関山と新井の間の二本木駅は中頸城郡中郷村だったが、こちらは上越市と合併して上越市中郷区の駅となっている。
普通列車「妙高」は直江津行だが、この新井駅で下車。新井駅始発で写真左側の485系快速「くびき野3号」に乗り換えるためである。直江津駅までは「妙高1号」の後続列車となるので直江津で乗り換えてもいいのだが、寒いホームで待っているよりここで乗り換えてしまって暖かい車内で時間調整をした方が楽なのでここで「妙高」から下車した。
オリジナルの前面から改造により大胆に顔が変わった485系3000番台。通称「土崎顔」と呼ばれるのは、秋田総合車両センターにある旧国鉄土崎工場で改造を受け持ったからである。
こちらも「妙高」同様に特急型車両を使用した特別料金不要の快速列車。指定席車両と半室グリーン車が連結されており、そちらはもちろん指定席券やグリーン券が必要だが、自由席なら普通乗車券のみで乗車できた。
国鉄型の485系特急型電車を大きくリニューアル改造した車両で、内装も当時のJR新型特急型車両と比べて遜色ないもので、新潟を中心に走っていた北陸地区や東北地区の特急「北越」「いなほ」に使用されていた。
国鉄〜JRでは普通列車に分類される快速列車ながら特急型車両を使用し、停車駅も直江津〜新潟間で運転区間が重複する特急「北越」とほぼ同じで、同区間の途中停車駅は柿崎•柏崎•宮内•長岡•見附•東三条•加茂•新津のみ、「北越」が停車しないのは宮内駅のみという乗り得列車だった。
分類上は普通列車だから最高速度の設定は特急列車である「北越」より低く抑えられていたから所要時分は直江津〜新潟間で10分ほど多くかかったが、停車駅の少なさもあって広い新潟県内を移動するには貴重な列車だった。
俊足の快速「くびき野」だが、新井〜直江津間はこまめに停車した。
脇野田にて。
脇野田駅は優等列車は停車しない小さな駅だったが、北陸新幹線の駅が設置されることとなり、「上越妙高」という駅名に変わることになる。
北陸新幹線開業によりホームの位置が200mそど西に移転して新幹線の駅と同じ敷地となったが、新幹線開業前日までのわずか数ヶ月は脇野田駅を名乗っていた。写真は新しく移転したホームに取り付けられていた脇野田駅の駅名標。
新幹線開業に合わせて駅名標は上越妙高に付け替えられることになる。
移転前の脇野田駅(前年の5月撮影)。
かつての脇野田駅ホーム。移転後は奥に見える新駅舎の反対側にホームが設置され、現在は駅前広場となって面影は無くなってしまったいる。
脇野田駅を発車して開業が迫った北陸新幹線の高架が西へ離れてゆく。
高田駅あたりまでの雪景色は沿岸部の直江津駅まで来ると一変して積雪は無かった。
「くびき野3号」は北陸本線からやってくる北越急行経由の特急「はくたか」を先に通すため10分ほど直江津駅に停車した。
直江津駅の駅名標は既にJR東日本のものから承継する第3セクターえちごトキめき鉄道のものに付け替えられていた。
長岡駅で快速「くびき野3号」から下車して上越新幹線に乗り換えて東京に戻った。
長岡駅で乗車してきた「くびき野3号」を見送った。
国鉄特急型の音と前から2両目と4両目の車両が通り過ぎる時に聞こえるブロワーの音の組み合わせは今はもう昔話となってしまった。
この旅行から早いもので10年が経過しました。この時に乗車した車両は全て過去のもの•••E2系新幹線はまだ東北新幹線では活躍していますが、北陸新幹線や上越新幹線からは姿を消して久しく、年齢を重ねて歳月の経過がいっそう速くなってゆくような気がします。
来月は北陸新幹線金沢開業10周年。昨年には敦賀まで延伸した北陸新幹線•••残る大阪までのルート決定にはまだ紆余曲折もありそうで、年齢を考えると大阪までの全線開業は見られそうもありません。
最終的なルート決定は現実的なものとなり、新幹線のルートから外れる地域へのフォローや建設が無駄な投資となる結果にならないようにしてもらいたいものです。