このシリーズの初回でアップした時以来の秋田旅行です。
この時は夫婦で休みが合わず、当初はひとり旅で冬の五能線を楽しむつもりでした。
びゅうプラザで窓口の方と相談しながらプランを練っていると母ちゃんからメールが•••。
「父ちゃん、粘り強い交渉の結果休めるようになったよう♪」
(なんと•••)
まさか鉄旅主体の旅行に付き合わせるわけにもいかず組み立てつつあった計画を白紙に戻して練り直した行程は秋田県大仙市の強首(こわくび)温泉に一泊し、翌日はこのシリーズ①でも触れた男鹿温泉の雄山閣に泊まることにしました。
朝早い新幹線で秋田駅に昼前に到着、予約しておいた駅レンタカーに乗り換えて最初に向かったのは当時アメブロで親しくやり取りさせていただいていた秋田市のブロガーさんに教えていただいたレストランRECETTE (ルセット)。
事前に秋田市内でどこか贅沢なランチタイムを楽しめるレストランがないか尋ねたら教えていただいたのでした。
食後はレストランとは道路を隔てた向かい側にある秋田市民俗芸能伝承館「ねぶり流し館」や隣接する旧金子家住宅、旧秋田銀行本店本館などを見学しました。
午後からは雪の降り方も激しくなってきました。
秋田市内からは車を運転して大仙市の強首温泉•樅峰苑へ向かいました。
昔の豪農の屋敷だったという旅館です。
そのため宿泊客用の部屋数は多くありません。この時は前日までは連休で満室だったとのことでしたが、宿泊した日の宿泊客は私たち夫婦のみ。貸切状態でした。
翌朝は雪晴れでした。
あちらこちらドライブしました。
八郎潟付近から眺める寒風山。
入道崎は海に面しているためかほとんど雪はありませんでした。
前回の秋田旅行でも宿泊した男鹿温泉•雄山閣。
最終日は秋田駅近くの市民市場で買い物です。
この時期(2月)の秋田とは思えないほどのいいお天気でした。
借りていたレンタカーを返却して秋田新幹線「こまち」で東京へ戻ります。
秋田総合車両センターの脇を通過していると引退した583系が留置されていました。
高度経済成長期にあった昭和40年代初頭•••新幹線は東海道新幹線が開通したばかりで高速道路も東名•名神高速道路くらいしかなく、航空機移動も現在のように格安航空会社や格安路線も無い庶民にとっては高嶺の花だった時代でした。長距離移動は鉄道が主体で、増大する需要に対して列車の増発や車両の増備が続けられましたが、車両基地のキャパシティが追いつかない状況となり、「昼は座席車•夜は寝台車」として昼も夜も働く車両581系特急型電車が開発されて関西〜九州を結ぶ寝台特急「月光」、昼間は特急「みどり」としてデビューしました。
581系は直流/交流60Hz両用でしたが、東北地区にもこれと同じ車両を走らせるため交流50Hz区間も走行可能な583系が開発され、当時の国鉄盛岡鉄道管理局青森運転所に配置されて日中は上野〜青森間の特急「はつかり」、夜は寝台特急「はくつる」「ゆうづる」などで長く活躍しました。
東北新幹線の開業や時代の変遷とともに移動手段も航空機や高速バスなど多様化していったことに伴う夜行列車の衰退、車両の老朽化(昼も夜も走り続ける過酷なロングラン運用をこなしていたため車両の傷み方も激しかった)などで戦線離脱、最後まで残った編成が秋田総合車両センターに転属して臨時列車やイベント列車として最後の活躍をしていたのが引退してまもなくの姿です。
この旅行の帰路•••福島県内を走行中に宮城県を中心に東北地方でやや強い地震が発生、送電がストップして列車が緊急停止するという事態が発生。
10分ほど停車しましたが、やがて復旧して運転が再開されましたが、埼玉県の大宮駅に到着する時点で遅延は約5分でした。
この遅延のおかげ(?)で大宮駅手前の上越新幹線と並行する区間では北陸新幹線の「あさま」と大宮駅到着まで並走するシーンに遭遇できました。
東京〜大宮間での東北新幹線系統と上越•北陸新幹線の列車の運転間隔は4分。都心の山手線並みの過密ダイヤであるため、ダイヤが乱れた時にはこのようなシーンが展開されることがあります。私はこの時と数年後に北陸新幹線に乗車中に経験したことがあります。
レアといえばレアなシーンなのでどちらの列車の車内でも並走する列車を撮ろうとスマホやデジカメを取り出して写真を撮っている人が多かったです。
この旅行以後、しばらく東北方面への旅行は途絶えていましたが、一昨年、昨年と続けて北東北の旅をすることになります。その模様はこのシリーズを続けてゆく中でアップするつもりです。