母ちゃんのこんな気まぐれ命令で始まった今回の母ちゃんアンケート•••。

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「父ちゃん、今回の『母ちゃんアンケート』は今まで父ちゃんがスマホで撮り溜めたままになっている下手くそな写真の中から『夕方の景色』に特化してみなさんに好きな写真を選んでいただこう♪」


「また『母ちゃんアンケート』かよ•••ショボーン


「何だ•••不満なのかえ?」


「いい加減に自分でブログを開設して好きなようにやればいいじゃないか•••」


「そこまでする気はないんだよう•••父ちゃんのブログをたまに借りてやる程度で満足だよう❗️」


「たまにじゃないだろう•••毎週のようにおれのブログを使って『母ちゃんアンケート』だの『母ちゃんクイズ』だのやってるじゃないか❗️」


「ブログネタが枯渇気味の父ちゃんに協力してるんだよう❗️」


「別に困ってないよ。マイペースでのんびり備忘録としてやってるんだから•••」


「つべこべ言ってないで早く写真を見せな❗️」


「まったく•••ところで夕方で同じ時間でも季節によって明るかったり日が暮れて暗くなってるけど定義はどうするんだ?」


「ふむ•••ならば15時から20時の間に撮影した写真ということにしよう」


「なるほど❗️東日本と西日本では日没時間もかなり違うからな•••」


「というわけで、今回は前述の通り父ちゃんが撮り溜めた写真の中から夕方の風景をご覧いただいてみなさんに好きな写真を選んでいただきますよう♪1回戦第5日目は以下の4点から2点選んでコメントでご回答くださいよう❗️締切は6月25日(火)8時00分としますよう。なお、コメント承認と返信は結果発表後とさせていただきますのでご了承ください」



①番

松代城趾

(長野県長野市松代町松代)

 長野市南部•••菅平高原から志賀高原へと連なる山並みを背に千曲川と犀川が合流する川中島古戦場から近い松代(まつしろ)城は戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が5度にわたる合戦「川中島の戦い」を繰り広げた時に武田方の軍師として有名な山本勘助が縄張を行って築かれた海津城がルーツであると伝わる城。

 江戸時代になって二代将軍•徳川秀忠の時代に同じ信州の上田から真田信之が転封により松代へ移ってきて明治維新まで続く松代藩の初代藩主となります。

 太平洋戦争の折には大本営を松代へ移す計画が立てられ地下壕なども掘られましたが、現代においては真田氏による治政が行われていた松代藩時代の武家屋敷が残るなど古い城下町の面影を色濃く残す静かな町となっています。

 私は(特に秋ですが•••)この松代から須坂市、小布施町にかけての夕景が好きで、紅葉に色づく菅平や志賀高原の山並みを背に千曲川流域の開けたところから北の方角を眺めると日没直後の北信五岳の山々がシルエットとなって望めます。



②番

青海川駅•••初夏

(新潟県柏崎市青海川)

 5月ともなると日没時間も遅くなり、日本海に沈む夕日もまだこの位置にあります。

「日本海にいちばん近い駅」として名高いJR東日本信越本線青海川駅を俯瞰する場所からの撮影です。

 駅の跨線橋の下あたりに「越乃Shu*Kura」が停車しています。青海川駅はローカル列車しか停車しない小さな無人駅ですが、この観光快速列車は午前中の下り列車と午後の上り列車は停車して乗客はホームに出て日本海を眺めたり写真撮影をして楽しむことができます。特に上り列車は夕方に停車するので時期を選んで旅行計画を立てて、天候が味方してくれれば日本海に沈む夕日をホームから眺めることができることでしょう。



③番

二本木駅

(新潟県上越市中郷区板橋)

 現在もスイッチバックが残る駅として有名なえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン二本木駅

 秋の日は釣瓶落としと言いますが、初秋のこの日はまさにそれを実感させるかのように暗闇に包まれていきました。




④番

入換作業

(東京都荒川区南千住)

 夕方•••隅田川貨物駅への線路を渡る跨線橋を歩いていたら、これからどこかへ向かうのであろうコンテナをたくさん積んだ編成が入換作業中でした。

 その脇をEH500形電気機関車がやはり入換作業のため往ったり来たりしていて、これからがこの貨物駅が慌ただしくなる時間なのだろうかと思わせるシーンでした。

 まだ闇が降りる前の時間帯ですが、機関車側面に当たっている構内の照明の光に夕景を感じていただけたら•••。

 


「ご回答お待ちしてますよう♪」