令和2年(2020年)9月1日撮影

  日本海に沈む夕日を背景に写真を撮ろうと思ってやってきたこの日•••晴天に恵まれましたが、日没近くなって海上には雲が湧き出して思い描いた写真は撮れませんでした。

 しかし、最近は絵に描いたような日没写真もいいけれど夕日と雲が描く一期一会の風景に魅力を感じるようになってきました。晩夏の虫の音とそれを掻き消すように通過してゆく貨物列車の動画が今になってお気に入りの動画になりました。

 かつてJR東日本に所属して上野駅〜札幌駅を結んでいた寝台特急「カシオぺア」牽引機として上野〜青森間で活躍していた当時の銀色塗装のままカシオぺアのフィルムを剥がしたうえでJR貨物富山機関区に移籍したEF510形500番台が牽引する貨物列車がやってきました。



令和2年(2020年)9月2日撮影
 こちらは冒頭の動画を撮影した次の日に再挑戦しにやってきた時の動画です。
 この日は新製時から富山に配属された赤色塗装の基本番台がやってきました。
 この日も雲が海上に出てきたものの、列車が通過する時には水平線と雲の間にバッチリと夕日が姿を見せてくれました。
 


注意次の動画は台車と線路の摩擦音が大きいので苦手な方はスルーしてください。

令和3年(2021年)4月7日撮影
 こちらは直江津駅構内に停車していた下り貨物列車が北へ向かって動き出しました。
 直江津駅は国鉄時代は金沢鉄道管理局と新潟鉄道管理局との境界駅、JRとなってからは線路を管理する旅客会社ではJR東日本とJR西日本の境界駅でした(国鉄時代は新潟鉄道管理局、民営化後はJR東日本新潟支社が管理)していましたが、北陸新幹線金沢開業に伴い信越本線の妙高高原〜直江津間と北陸本線の直江津〜市振間が第3セクター•えちごトキめき鉄道に移管されましたが、国鉄時代以来の鉄道における要衝であり、管理組織の境界駅でもあった直江津駅は乗務員交代が行われる駅でもあります。



令和5年(2023年)2月17日
 こちらは未明の米原駅。寝台特急「サンライズ出雲」の車中からの撮影です。
 米原駅は国鉄時代は金沢鉄道管理局•名古屋鉄道管理局•大阪鉄道管理局の境界であり、JRとなってからはJR西日本が管理しています。このため、前述の直江津駅と同様、ここで乗務員交代が行われています。乗車していた「サンライズ出雲」も扱いは通過駅である米原駅に運転停車(客扱いを行わない業務上のみの停車)してJR東海とJR西日本の乗務員交代が行われます。
 やってきた貨物列車はいったん米原駅構内の彦根方に停車していました。日本海縦貫線を走破してきた列車は名古屋方面へ向かうにはここで逆編成となるため機関車の付け替えが行われるのでしょうか?
 夜行旅客列車はほぼ姿を消してしまい、この「サンライズ瀬戸•出雲」のみが唯一残る夜行列車なので乗車中に深夜の駅でこのような光景を見られることはなかなかないこととなってしまいました。



令和5年(2023年)3月30日撮影
 この場所での日本海に沈む夕日との組み合わせは角度的に困難な部分があります。
 立ち位置を移せば夕日も列車ももっと中央に近づけられるのでしょうが、それだと列車が黒く潰れてしまいそうな気がしてギリギリの構図で撮影してみました。
 この時刻のこの場所での撮影は、ダイヤが乱れていなければ上りの貨物列車と下りの特急列車のすれ違いシーンが展開するので明るい画像は撮れませんが、日没時間と列車の通過時刻が合う時期にはやってきてしまうことが多いです。



令和6年(2024年)3月29日撮影

 こちらは私にしては珍しい場所での撮影です。場所は広島県福山市のJR西日本山陽本線大門駅近くの踏切です。

 ここを訪れたのは父の転勤で10年ほどを過ごしていた幼少期から小学5年生修了時までの時間を半世紀ぶりに訪れてみたくなったからでした。

 その時の模様は既にアップしていますが、私が福山から東京に引っ越したのは山陽新幹線が博多まで全通した直後の昭和50年3月•••それまでは通学路にあるこの踏切を毎日渡っていました。

 新幹線開業前の優等列車が多く行き交っていた黄金時代を目の当たりにしていたから私の鉄道好きが育まれたのかもしれません。

 長編成を組んで食堂車やビュッフェを組み込んだ多くの特急•急行列車が当たり前に通っていた興奮といったら•••。

 登下校時に踏切で眺めていた特急「つばめ」「はと」「しおじ」「日向」「なは」「みどり」•••あの頃の通学路を辿って2.6km離れている住んでいたところへ向かう時にちょうど警報器が鳴ったのでスマホを構えたら福山通運の専用列車「福山エクスプレス」が通過していきました。

 ひとつの物流企業のコンテナがずらりと積み込まれた長編成の貨物列車が通過してゆくさまは壮観であり、かつて長編成を組んだ優等列車が目の前を通過していたあの頃を思い起こさせるには十分なものでした。

 あの頃はコンテナ特急貨物列車はもちろん、多くの有蓋貨車や無蓋貨車、チップ車などを連ねた貨物列車が当たり前に行き交っていましたが、いまでは貨物列車も多くがコンテナ車やタンク車などで趣味的な興味が薄れてしまっていることは否めません。しかし、首都圏を発着する一部の路線の特急列車や近郊列車を除けば長編成で走る旅客列車が昔ばなしになった現在、堂々たる編成に新たな魅力を感じています。



令和5年(2023年)5月24日撮影

 日本海縦貫線をゆく元「北斗星」牽引機の青色塗装のEF510形が牽く下りの貨物列車がやってきました。

 この直前に上りの特急「しらゆき」を撮った直後にやってきた列車です。前述の元「カシオぺア」牽引機同様に田端から富山へ移って貨物列車牽引機として活躍を続けています。


令和5年(2023年)10月12日撮影

 こちらは基本番台(一般形)のEF510形が牽く下り貨物列車。笠島駅を通過してゆくシーンを撮影しました。

 JR東日本信越本線柿崎〜鯨波間では日本海の海岸線に沿って走る列車を撮影できる有名な撮影地がいくつかありますが、最近の私がハマり気味なのがこの笠島駅を列車が通過する風景です。曲線部分に設置された駅を通過する長編成の貨物列車は鉄道の風景写真の魅力を引き立ててくれます。

令和5年(2023年)9月7日撮影
 こちらは笠島駅前から急な坂道を上がって俯瞰する場所からの撮影です。日本海に沈む夕日を取り入れて撮ってみました。


令和5年(2023年)10月4日撮影
 ひとつまえの笠島駅での夕景を撮影した時と同じ列車です。米山駅付近での撮影ですが、ひと月の間で同じ時刻ですっかり日没は早くなりました。すれ違う列車は上越妙高から新潟へ向かう特急「しらゆき7号」です。


令和6年(2024年)5月16日撮影

 今回最後の動画は冒頭の動画と同じ元カシオぺア牽引機が牽く貨物列車が米山駅をゆっくりと通過してゆく光景です。私が撮った貨物列車の写真や動画では直近のものです。


 今回はいくつかの貨物列車の動画を並べてみました。
 11点もの動画を貼り付けたので全てをご覧いただけたかどうかわかりませんが、お気に召された動画はあったでしょうか?