どんな旅をしてみたい?


 私の記事を日頃から読んでくださっている方々には改めてここに述べなくてもお分かりになっていることと思いますが•••。

「羨ましい❗️」

と思われるか

「意味わかんねぇ•••ガーン

と思われるか•••?

それぞれでしょうね。


 休みの日に早く起きすぎて朝一番の「かがやき」でいきなり金沢へ行ってみたり•••。


 朝ラー食べて散歩がてら上野駅まで歩いたらそのままみどりの窓口に行ってなぜか「つばさ」の指定席券を購入して冬の山寺へ行ってみたり•••。




 かと思えば突然大阪見物に出かけたりする。

 自分でもどこか

(ぶっ壊れている•••)

とは思うのですが、もはや修理不能です。


 そして先日アップしたように深夜勤務を終えてそのまま東京駅に直行して朝一番の「のぞみ」で少年時代を過ごした広島県福山市に半世紀ぶりの日帰り旅•••。どうせ行くなら宿泊して鞆の浦や近隣の尾道や倉敷、あるいは笠岡から島々を巡ったりすれば良さそうなものですが、ただ少年時代の足跡を辿っただけ•••。


 よくコメントで「旅慣れている」とか「旅が上手な方•••」などと頂くことがありますが、果たしてそうなのかどうかは甚だ疑問です。

 まあ本人が満足しているのだからいいのでしょうと、まるで他人事のような自己評価•••。



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 未だに捨てずに家にある古い(2007年1月10日発行と書いてあります)全日本道路地図(東京地図出版発行)を開いてみました。

 もちろん地図のデータとしてはずいぶん古いものとなるのですが、これが私の「徘徊僻」にはずいぶん役立ってくれているのです。

 時刻表の路線図もずいぶん役立ってくれました。



 最新の技術は人間の手により生み出され続けたわけですが、反面「人間は退化のスピードに拍車をかけている」危惧を感じます。そして「がんじがらめに管理されている」ことも•••危険なことです。

 デジタル機器は確かに便利です。しかし•••例えばカーナビなんかそうなんですが、

「地図を読めない人」

のために作っている感が強い•••。

 北半球に位置する我が国の地図は北を上にして作図されていますが、地図を読めない(あるいは方向音痴の人)に共通するのは、車の助手席で地図帳を開かせると、右折したり左折したりするたびに地図帳を右へ左へ回転させること•••カーナビも同じように車がカーブを過ぎる毎に目まぐるしく画面が変わって常に進行方向が画面上方向に向くように画面が目まぐるしく変わります。人間の方向感覚をずいぶん退化させてしまっているのではないだろうかと感じます。


 鉄道で旅をする時も同じで、ピンポイントで乗り継ぎなどを調べるにはパソコンやスマホが便利ではあるのですが、アナログの時刻表で調べる方が賢い選択をすることが結構あるのです。

 鉄砲玉のように思考回路が働く前に足が勝手に動き出してしまう私のような人間には乗り換えの検索をスマホで簡単に調べられることは便利ではあるのですが、それはあくまで表面的なこと。

 その礎となっているのがアナログの時刻表であったりするのです。これを開いて机上の空想旅をすることはいわば「鍛錬」のようなもので、スマホひとつポケットに入れただけで(もちろん財布も持ち歩きますが•••)どこへでも行けてしまうのです。IT機器の情報はあくまでも補助なのです。