JR西日本山陽本線大門駅(広島県福山市)の駅前の丘の上にあった小学校に通学していた少年時代を回想しつつ、当時歩いていた通学路を辿る。









 踏切で福山レールエクスプレスを見送って踏切を渡る。

 踏切から大門駅方向を見る。

 東京を出て新幹線では雨の車窓が続いていたが、山陽区間に入ると雨は上がって岡山付近からは晴れ間も出てきたし、福山に着く頃には青空が広がってよかった。

 こちらは笠岡方向。


 踏切を渡るとすぐに国道2号線が視界に入る。この歩道橋を渡るのだがその前に•••。

 この踏切の脇の草が生えている際あたりに毎朝子供たちの見守りをしてくれていた(警察か市から委託されていたものか警察の駐在さんのような制服を着てヘルメットを被っていた)おじさんがいたのだが、この人は確か国道を渡って少し入ったところにあった自転車屋さんだった。


 この踏切は私が鉄道好きになった原点ともいえる場所かもしれない。

 毎朝、この踏切を渡る時に決まって踏切が閉まって列車が通過してゆくのだが、その列車は西鹿児島(現•鹿児島中央)から京都へ向かう581系寝台特急「きりしま」。他に153系急行「山陽1号」岡山発下関行(小郡〜下関間快速)や80系普通列車がやってくる•••そして下校時にも数多くの優等列車を眺めていた。


 国道2号線を歩道橋で渡り、この写真の左へ入る道へと進んでゆくのが当時の通学路だ。


 この道の左側にはこの地域で唯一の駄菓子屋さんがあったが、さすがに今はその跡形もない。前述した自転車屋さんはこの先の十字路の右角にあった。



 突き当たりを右折して用水路に沿って歩く。



 右側の児童公園は敷地が三角形だったので私たちは「三角公園」と呼んでいた。


 次回に続きます。