JR西日本山陽本線大門駅

(広島県福山市大門町)

 駅舎は大きく変わったという印象は無くて、変わったのは駅前の電話ボックス、そして写真中央に見えるタクシー会社の営業所の社名くらいか•••?


 駅前の小さな丘の上に私が通っていた小学校があった。

 私はその小学校に5年生修了まで在校し、その年の春休みの昭和50年(1975年)3月に東京に引っ越した。この丘の上にあった小学校は福山市立大津野小学校といって古い木造校舎だったが、私が転校した直後の新学期から近くに移転して鉄筋コンクリートのありふれた校舎に生まれ変わった。新校舎に足を踏み入れることはなく転校したわけだ。

 駅前から笠岡方面に歩くとすぐに左へ折れる道がある。

 左に折れるとこの画像の奥が左へカーブしている先が急な細い坂道となっており、学校の裏門へと続いていた。私が住んでいた地域の通学路はこの裏門からの出入りとなっていたので、いつもその急な坂道を往復していた。


 通学路は駅前から線路に沿った道と並行するこの細い道だった。このあたりは駅からすぐだから当時から民家が並んでいた。

 いくらも歩かないうちに駅前からの道路に合流する。そして大門駅構内が終わるあたりで踏切となるのだが

、この踏切を渡って学校まで通ってきていた。


 踏切にさしかかるところで警報器が鳴りはじめたのでスマホで動画を撮影した。

 神奈川県川崎市幸区にあるJR貨物新鶴見機関区に所属するEF210-361号機が牽引する福山エクスプレスが通過していった。福山通運のコンテナが連なる編成は壮観だった。


 次回は通学路だった道を辿って住んでいたところまでを歩きます。