令和6年(2024年)3月29日06時00分、私を乗せた東海道•山陽新幹線の東京駅発下り一番列車「のぞみ1号」(列車番号1A)は雨降る東京駅を定刻に発車した。
編成はJR東海大阪交番検査車両所所属N700S系J14編成。
深夜勤務を終えて会社から地下鉄で大手町駅経由で東京駅に直行してみどりの窓口の指定席券売機で空席状況を確認して唯一窓側通路側ともに空席となっていた9号車4番A席(窓側席)を購入。
(下に見えるもう1枚の切符は後ほど•••)
改札口を入って中央通路にある駅弁屋「祭」の前まで来たのは5時25分•••開店まであと5分だから待って朝食を調達する。
夜中は雨が強くて休憩時間に夜食を買いにコンビニまで行くのも億劫で食べていなかったから空腹で乗車してすぐに弁当を開いた。
私にとってお初の弁当だ。
私が好きな富山の源の「ぶりかま」が隣に並んでいたが、初めてのこちらにしてみた。「ぶりかま」や新発田の三新軒「えび千両ちらし」が私の定番だが、これも加わりそうだ。
ホームに上がると既に乗車できたから発車時刻前に食べ終えてしまった。
早朝の列車だが、東京駅発車時点でかなりの乗車率で品川•新横浜と停車してほぼ満席となったが、私の隣は誰も来なかったから少なくとも次の停車駅である名古屋までは気楽に過ごせる。
外国人グループ旅行客が目立つから京都駅や新大阪駅でかなり旅客の入れ替わりがありそうだ。
名古屋でも私の隣には誰も来なかった(結果的には私が下車するまで誰も来なかったからゆったりと過ごせた)。
岐阜県の大垣市付近を走行中の車窓。鈴鹿山脈方面の雲海が幻想的だったからスマホで撮影してみたが、高速走行の新幹線の車窓からの撮影ではうまく表現できない。
京都に到着。雨は止んだようだ。
予想通り京都では多くの外国人旅行客が下車していったが入れ替わりに多くの外国人旅行客が乗り込んできた。
新大阪で多くの乗客が下車して車内には空席が目立つようになった。
後続の「さくら547号」鹿児島中央行となる九州新幹線直通の列車が隣に入線してきた。編成はJR九州熊本総合車両所所属のN700系8000番台R11編成。この車両を見ると西日本エリアにやってきたと実感する。
新大阪駅を発車した。
網干総合車両所宮原支所を眼下に眺め列車はJR西日本エリアの山陽新幹線へと入った。
トラックドライバーだった頃に東京から関西に来るとよく通っていた阪神高速11号池田線を跨ぐ。管理職になって10年以上が経過してほとんどトラックのハンドルを握ることはないが、加島付近の渋滞は車窓から見ると相変わらずのようだった。
新大阪に到着する前の近畿自動車道と中環なども懐かしい風景だった。モノレールが開通する前にはよく通っていた時期がある。
列車が西へ進むにつれ天気は急速に回復してきたからもう空模様の心配はしなくていい。
福山に到着。この福山駅で下車する。
広島県福山市は広島県の東端に位置する都市で、人口は100万人都市の広島市に次ぐ第2位の約46万3千300人である。昔は軍港があり、造船所もあった呉市の方が人口は多くて広島県第2の都市だったようだが、福山に日本鋼管福山製鉄所(→NKK→JFEスチール西日本)ができてから逆転した。現在の呉は福山の半分以下の約21万人で第3位である。福山市の西隣には観光で有名な尾道市がある。
岡山寄りの隣の駅は新倉敷。山陽新幹線と在来線が接続する駅だが、新幹線開業前の駅名は玉島という美しい駅名だった。観光地として名高い倉敷に新を付けて駅名とする無機質な響きは新幹線らしいといえばそれまでだが•••。
上り線には500系ハローキティ編成が停車していた。
かつて我が国最高速度300km/hで山陽区間を走り、フランスのTGVをも上回る表定速度を誇ったこの形式も「のぞみ」の新型車両導入などで東海道から撤退、やがて短編成化されて現在では山陽区間限定の「こだま」専用として余生を送る。このハローキティ編成やエヴァンゲリオン編成などと弄り回されて改造されてしまい、あの精悍なオリジナルカラーを失った編成もあるが、東京まで「のぞみ」として来ていた頃には人気の車両だった。私も大阪などに所用で往復する時にはあえて500系が充当される列車を選ぶことも多かった。
ただ、航空機のような丸く絞った車体ゆえに窓側席は足元が窮屈だった記憶が残る。
写真を撮っていたりしたら途中で追い越してきた新横浜始発の「ひかり」が到着、多くの団体客が下車してきたので急いで改札口へと向かった。