「父ちゃん、ここへ来なッ❗️」
いつものように畳の上でゴロゴロしながらスマホで私の記事を検閲していた母ちゃんの大音声が雷(いかづち)の如く響き渡りました。
「なんだよう•••」
恐る恐る母ちゃんの元へ伺いますと
「この『10月5日の徘徊録(その16)』ってのはなんだえ?ダラダラとブログのアップ数稼ぎなぞせずに要点をまとめて手短かにするように申し渡したはずだが•••」
「いいじゃないか•••おれのブログなんだから自由にさせてくれよ」
「だいたい直江津駅から柏崎駅まで意味も無く下りの特急『しらゆき5号』に乗ってすぐにまた上りの特急『しらゆき6号』で戻ってくるなんて粋狂なことをしでかして、しかもただ車窓を流れる景色を動画で貼り付けてるだけの意味のない記事をアップするなんておつむが壊れてるんじゃないのかえ?」
「むむぅ、言わせておけば•••」
「辛うじてビス1本で留まってたおつむの歪みが酷くなってきたようだが、最後のビスさえ外れかかってるんじゃないのかえ?」
「ずいぶんな言い様じゃないかッ❗️」
「いいかえ?もう一度しかと申しつけるよ。このシリーズは次回(その17)で完結させるように❗️これ以上ダラダラと続けたらタダじゃ済まないと、その歪んだおつむに叩き込んでおきなッ」
というわけで、母ちゃんの逆鱗に触れてしまったのでこのシリーズは今回が最終回となります。
まだまだ続けるつもりでいたので動画や画像がたくさん残っているから一気に片付けますのでかなり長くなりますが、私のひとり旅にもう少しお付き合いください。
それでは前回記事からの続きとなります。
通過したのは上下浜駅。柏崎〜鯨波〜青海川〜笠島〜米山〜柿崎〜上下浜〜潟町〜土底浜〜犀潟〜黒井〜直江津と、米山駅と黒井駅を除けば沿岸部の路線らしい駅名が多いのもこの区間の特徴です。
日本海に面した鵜の浜温泉への下車駅である潟町駅を通過しました。
現在ここを走る優等列車は特急「しらゆき」のみなのでこの駅に停車する優等列車はありませんが、かつては一部のローカル急行列車が停車していたこともありました。観光列車「越乃Shu*Kura」はこの駅にも停車します。この列車は快速列車なので分類上は普通列車•••しかし、観光列車なので車両は古いけれど大幅な改造を施された全車指定席、停車駅も少なくてグレードでは「しらゆき」以上といってもいいでしょう。
土底浜駅を通過しました。
強風のためとはいえ海岸線を徐行しているときはまるで観光列車、そして規制区間以外では本来の特急列車の走り•••「一粒で2度美味しい」列車の旅となりました。
上下線が離れて暫くすると頭上を高架線がオーバークロスして地平に下りてきます。こちらは第3セクター「北越急行(ほくほく線)」です。上越線の六日町駅から魚沼丘陵を貫いて信越本線の犀潟駅を短絡する高規格路線です。
平成27年(2015年)の北陸新幹線金沢延伸開業までは上越新幹線越後湯沢駅で新幹線と接続してほくほく線内を特急「はくたか」が首都圏と北陸地方の各都市を最高速度160km/hで飛ばして結んでいました(一部列車)。
犀潟駅には停車しないものの、ここから信越本線に乗り入れてふたつ先の直江津駅には全列車停車して新潟県上越市地域や北陸地方の各都市へ向かっていたわけです。
この特急•••JR東日本の路線での運転区間は信越本線の直江津〜犀潟間と上越線の六日町〜越後湯沢間のみで、直江津以東の大部分の区間は北越急行でしたが、直江津〜越後湯沢間はJR東日本が乗務を担当し、直江津以西の北陸本線区間はJR西日本が乗務を担当していました。
犀潟駅の駅舎については往路の記事で触れたので割愛します。
さて、前述した北陸新幹線金沢延伸前の首都圏対北陸地方のアクセスは六日町〜犀潟間をショートカットする北越急行開業により特急「はくたか」が数多く設定されて大幅な時間短縮を実現したわけですが、それ以前は長岡駅経由で信越•北陸本線の特急「かがやき」「北越」などがその役目を務めていました。「かがやき」は停車駅を大胆に絞って長岡〜金沢間の途中停車駅は直江津•富山•高岡のみという速達列車でしたが、北越急行ルートの開業によりその役目を終えて廃止されました。
そして北陸新幹線金沢開業によりかつて「はくたか」に追われるように廃止された「かがやき」が途中停車駅を上野(一部通過)•大宮•長野•富山のみとした通過タイプの列車として返り咲き、「はくたか」は停車駅が多い列車として「かがやき」より下位の列車として甘んじることになったのは皮肉な結果ともいえます。特急列車としての歴史は「はくたか」の方が圧倒的に長いのですが•••。
旅客駅としては小さな駅ですが、JR貨物の貨物駅があるので広い構内を持つ黒井駅を通過します。
JR貨物富山機関区EF510形RED THUNDER が休んでいました。
そういえば前回(その16)での記事において最初の動画で米山駅を通過した後ですれ違った貨物列車の牽引は青い車体のEF510形500番台だったことに触れるのを忘れていました。いずれにしても旅客列車の寝台特急列車の廃止などにより、以前はJR東日本やJR西日本といった旅客会社の長岡や敦賀といった機関区に所属する機関車が見られなくなり、青森から大阪までの日本海縦貫線の電気機関車は富山機関区のEF510形の独壇場といった感じです。
直江津駅に到着します。
列車はここからえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインへと乗り入れて終点の上越妙高駅へと向かいます。乗り入れるといっても、元はこちらも信越本線だった路線で、北陸新幹線金沢開業時に並行在来線と位置付けられたためJR東日本から経営分離されて第3セクター化された路線ですから違和感は感じられません。
私は妙高はねうまラインの終点である妙高高原駅まで戻るのだから終点の上越妙高駅まで乗車を続けてもいいのですが、どちらにしてもこの列車の後にやってくるのは新井駅止まりで、妙高高原行までは時間が空くので直江津駅で時間を潰した方が楽しいので下車することに決めていました。
発車してゆく「しらゆき6号」を見送ります。
直江津駅は国鉄〜JR時代は信越本線と北陸本線のジャンクションとしての日本海縦貫線要衝でした。
また、国鉄時代には新潟鉄道管理局と金沢鉄道管理局との境界駅であり、JRとなってからはJR東日本とJR西日本の境界駅、そしてJR東日本新潟支社の直江津運輸区があって多くの列車で乗務員交代がこと直江津駅で行われていました。
そのような歴史があるので広い構内を持つ駅にはホームの長さなどに往時の面影が色濃く残されています。
駅構内は南側に張り出すような構造となっています。南側にはホームのない留置線や入れ替えのための線路も多く通っていて、東側には旧直江津運輸区があります。こちらは現在ではえちごトキめき鉄道の車両基地となっています。
3番線ホームで「しらゆき」から下車、同じホームの反対側の4番線には往路で妙高高原駅から乗車してきたET127系のV1編成が停車していて、向こう側の5番線には上越市中郷区のイメージキャラクター「さとまる」があしらわれた日本曹達株式会社のラッピング広告を纏ったV5編成が停車中です。
同じ形式の車両で全く同じ形なのに纏っているラッピングによりまるで別形式の車両みたいです。とくに国鉄新潟鉄道管理局管内を中心に信越本線や上越線を走り回っていた旧型電車の「新潟色」に復刻されたV1編成の変貌ぶりにはいつ出会っても感心させられます。ステンレス車体にラッピングされたフィルムで再現された旧型電車特有の凹凸やリベットの立体感は平面の車体にラッピングされたものとは思えないほどの再現力です。
ちなみにこちらは第3セクター化されてすぐの時の姿です。JR東日本新潟支社管内の新潟近郊で走っていたE127系13編成のうち10編成が譲渡されたのですが、当初はJRのロゴとオリジナルカラーそのままで走っていました。
やがて沿線の象徴である妙高山の姿をラッピングしたトキ鉄オリジナルラッピングへと変更されましたが、その後は多くのラッピング広告を纏った編成が現れて目を楽しませてくれています。
直江津駅で一旦外に出て車両基地方向を線路越しに眺めます。
先月の上旬に乗車した観光急行「朝から夕まで455」の編成が車両基地内で移動してきたのでスマホを構えました。
何をしているのかと思ったらどうやら洗浄線に入って洗車されるようです。
行先表示は「上野」になっていました。
国鉄時代にはロール式の行先表示器は取り付けておらずサボを使用していたクハ455ですが、それでも「上野」表示を見るとかつて上野駅に出入りしていた東北本線や常磐線系統の急行「まつしま」「もりおか」「いわて」「ざおう」「ばんだい」「ときわ」「つくばね」といった往年の急行列車の姿が脳裏に蘇ってきます。グリーン車やビュッフェを連結した堂々たる編成は当時の長距離急行列車の標準的なスタイルでした。
国鉄時代末期に全国的に行われた急行列車の廃止(→特急格上げ)により余剰となった急行型車両は短編成化されて(もちろんグリーン車やビュッフェは外されて)ローカル列車への転用が図られ、老朽化した車体を近郊用に新製した車体に載せ替えて東北•北陸•九州地区で余生を送っていたものの、これも昔話となり、現在では北陸地区で走っていた車両があいの風とやま鉄道にわずかに残るのみ•••そのような状況においてトキ鉄がわざわざ古い車両を購入して国鉄急行色に復刻して走らせていることことにはファンとして喜ばしいことです。部品の確保など保守面においても大変だろうに•••。
駅構内に戻って妙高高原行に乗車します。
往路と同じV1編成でした。
それにしても私はこの編成によほど縁があるのか乗車する時も沿線で撮影していても本当によく出会う編成です。ここまでよく出会うと
(またコレか•••)
を通り過ぎて親しみさえ湧いてきます。
車内はさすがに手を加えておらず他の車両と同じですが、東京メトロ銀座線のレトロ車両をイメージしたラッピング編成のように内部も旧型電車をイメージした内装にしてほしい•••と思うのはさすがに大変な経営状態にある地方の第3セクターには無理な注文でしょう。
車内は首都圏の京浜東北線を走っていた209系に準じた川崎重工タイプで扉の上部までFRPが回り込んでいる形状です。
妙高高原駅に到着です。
到着した3番線と同じホームの反対側、2番線にはしなの鉄道の115系。長野まで新幹線が開業した時にやはり信越本線から転換して発足した第3セクター鉄道ですが、当初はJR東日本長野支社で使用されていた115系や169系といった国鉄型車両を譲渡されてスタートしましたが、近年ではSR1系が新製されて勢力を広げているので、こちらの国鉄型車両もいよいよ終焉のときが現実味を帯びてきました。
JR東日本の旧長野色に復刻された編成•••このカラーは信州の高原地帯によく似合っていて好きでした。
この編成を撮影しようとしていたら幼い男の子を連れた若いミニスカート姿の女性がホームにいたので撮影をためらっていたら列車に乗り込んだのを見届けてから写真を撮りました。男の子のお母さんなのか、それとも親御さんの姉か妹で甥っ子を連れていたのかはわかりませんが、改札口を出るために跨線橋を渡って階段を降りる時に列車の方を見たらボックスシートに向かい合わせに座って楽しそうにしている姿がとても微笑ましくて心が温まるようでした。
そんなショットを撮影できたら•••というほどの画だったのですが、もし不快な気分を与えてしまったら申し訳ないので撮影はしていません。本当に微笑ましかったんですよ。
この好きなカラーもいつまで走ってくれるのでしょうか•••。
この日は妙高高原駅の近くの観光案内所に止めさせていただいていた車で新井まで戻ってとん汁ラーメンを夕食で食べて今回の徘徊旅の締めとなりました。
これで今回の徘徊録は完結です。
最後は母ちゃんの申し渡しにより完結させるために長くなりましたが、初回からこの旅にお付き合いいただいて読破された皆様に感謝申し上げます。