今回の俳諧録は

(とりあえず出かけてみるか•••)

という気儘な気分でスタートしました(まあ私の場合はほとんどそうなんですが•••)。


 今回のスタートはえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン妙高高原駅

 私の記事でこの路線を取り上げることは珍しくはありませんが、このところ沿線から撮った列車の走行シーンの比率がやたらと高くて乗車したのは今年は3月末に「日本三大夜桜」のひとつに数えられる新潟県上越市「高田城観桜会」を愛でに行った時と先月•9月9日に「朝から夕まで455」という観光急行列車に乗車しただけでした。

 第3セクター化されたとはいえ、幼少期からさんざんお世話になっている旧信越本線•••新潟県内のトキ鉄のみならず長野県内のしなの鉄道を含めてもっと乗車して拙ブログにおいても微力ながら

(魅力を発信せねば•••)

と、妙高高原駅へとやってきたのです。


 信越本線はかつて群馬県の高崎駅から長野県を通って長野駅を経由して本州を横断して日本海側の直江津駅までの区間が「信越山線」、直江津駅から新潟県内の日本海沿岸部の都市を結ぶとともに関西〜北陸〜東北を結ぶ「日本海縦貫線」の一部として重要な役割を結んでいた新潟駅までの区間を「信越海線」などと鉄道ファンは呼んでいました。


 しなの鉄道えちごトキめき鉄道に移管されたのは「信越山線」の方であり、「信越海線」の方は並行する新幹線が無いことからそのままJR東日本の路線となっています。


 妙高高原駅は長野県から新潟県に入ってすぐのところにあります。駅のすぐ南側を流れる関川が県境となっており、まさにギリギリ新潟県•••。


 北陸新幹線が長野駅まで「長野新幹線」として開業するまでは東京の上野駅から特急列車や急行列車が直通していましたし、全ての列車が停車する駅でもあったこと、多くのスキー場や温泉が控えていることもあってかなりの賑わいを見せていました。

 駅前は閑散としていますが•••。

 特急列車や急行列車の中には妙高高原始発の列車もあったので、スキーシーズンや夏の避暑に訪れる人々で指定席券が取れなかったときには妙高高原始発の列車の自由席での座席を確保するために発車時刻の2時間も3時間も前から長蛇の列を作っていましたが、そのくらい並んでも座れずに上野駅まで通勤ラッシュ並みの混雑の中を立ちっぱなしということも珍しくはありませんでした(私も少年時代の春休みに親戚宅に来てスキーをした帰りに経験したことがあります)。まあ現在と違って高速道路で全線開通していたのは東名高速と名神高速だけ、航空機は庶民には高嶺の花だったものですから長距離移動は鉄道が主体という時代でしたから全国的に見られた光景です。

 前の画像の奥•••駅舎を回り込んだところに繁忙期の臨時改札口があったところです。以前はラッチもあったと記憶しています。繁忙期には自由席の乗客はこちらからビームに入場し、跨線橋を渡って2番線に停車している始発列車に乗車しました。

 駅舎内です。


 ホームに入って1番線。しなの鉄道の列車は2番線、えちごトキめき鉄道の列車は多くが3番線から発車するので乗客は跨線橋を渡らなくてはなりません。もちろんエレベーターもエスカレーターも無いので高齢者や身体が不自由な方、妊婦さんや幼い子供連れで荷物が多い人は大変です。かといって第3セクター鉄道の体力からするとこれを求めるのも酷であることは否めません。


 妙高はねうまラインの魅力はやはり天気に恵まれた時の沿線風景。

 特に早春から初夏にかけて残雪を輝かせる関山駅付近から二本木駅付近にかけての妙高山をはじめとする妙高山系の山々の美しさといったら見飽きることがないほどです。


 車窓の美しさは長野県側のしなの鉄道北しなの線古間駅付近から続いてきているのですが、新潟県側の妙高山も名を列ねる北信五岳(妙高山•黒姫山•飯縄山•戸隠山•斑尾山)はそれぞれが独立峰となって並んでいる珍しい形態であることや、線路が西へ向いたり北へ向いたりするたびに山の表情も変化するので眺めていて楽しい区間です。

 並行する上信越自動車道や国道18号線は山裾を通るのでトンネルがあったり手前の斜面に遮られたりして新潟県側ではこれらの山々をダイナミックに眺められるところが新潟県側では少ないのですが、前述の関山〜二本木付近では沿線に田圃が広がっているので車窓をキャンバスにして山の全容を楽しめます。


 次回に続きます。


最近撮った写真は

 

 

 

 

 

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