市振駅での2度目の折り返しです。

 国鉄時代•••市振駅は新潟県と富山県の県境近くの小駅に過ぎず、特急列車はもちろん急行列車も停車しない駅でしたが、こうして見るとこの車両が現役の急行型電車だった頃を彷彿とさせます。



 今回の旅の最終行程となる急行4号が市振駅を発車します。3駅先の糸魚川駅までは普通列車としての運転です。


 市振駅を発車するとすぐにトンネルに入ります。

 このシリーズの13回目で急行2号での同じ区間の車窓の動画をアップしましたが、そろそろ夕方にさしかかる時間帯の違った雰囲気の車窓の動画をお楽しみください(とはいえ殆どトンネルばかりですが•••)。

 

 トンネルに入って列車は速度を上げていきます。

 モーター音やブロワー音フェチである私は在来線の普通列車ではもちろん、特急列車に乗車する場合でもあえて「音がうるさい」動力車を選んで乗車するのですが、今回はこの観光列車の目玉である「ボックス席占有」を味わうために動力装置の無いクハ455-701に乗車することと指定席車両でのサービスを享受するためにモーター音があまり聞こえてこない車両に乗車しています。

 しかし、トンネル内であることや特急型車両ほどに防音に対する装備を施していないのでトンネル内では前寄りのクモハ413-6+モハ412-6の動力車ユニットからのモーター音が聞こえてきて満足できました。


 ちなみに鉄道に興味の無い方にとってはクハだのモハだのと言われてもわけがわからないという方も多いかと思いますが、諸説ある中で一般的に言われている説から説明しますと、

カタカナ部分の1文字目

「ク」は「っつく」で、制御装置(運転台)の付いた車両で、電車の両端に立つ車両。


「モ」は動力装置(ーター)が搭載されている車両。


「サ」は中間に「ぶらがる」で動力装置や制御装置を持たない付随車。


カタカナの2文字目以降

「ロ」はグリーン車。

「ハ」は普通車。

これは昔の等級制(1等車•2等車•3等車)だった時代からの名残とも言えますが、1等車(イ)2等車(ロ)3等車(ハ)と言えばいいでしょうか。

 現在でもJRの在来線車両には車体裾部に書かれている形式番号のアタマにモハとかサロとか表示されていますので

(この車両にはモーターが付いている)

などといったことがわかりますので、モーターの音が煩わしく感じる方は「モ」の文字が書かれていない車両の真ん中あたりに乗車されるのがいいかもしれません。首都圏の近郊列車であれば2階建てグリーン車のダブルデッカー部分がお勧めです。


 話が逸れてしまいましたが、「モーター音」フェチの私がワクワク感を覚える「騒音」ともいえるモーター音を響かせてトンネル内を疾走する列車の様子をもう少しお楽しみください。


 この動画の途中で一瞬トンネルを抜けて谷間を通過してすぐに再びトンネルに入ってゆく場面があらましたが、ここは国道の展望台に立って海に背を向けて谷間の奥を眺めると鬱蒼とした木々の向こうに鉄道の架線柱が見える場所だと思います。

 下の画像で黄色く囲ってあるところです。




 こちらは昨年の秋に国道の展望台から線路方向を見た画像です。

 白く囲ってあるあたりですが、拡大してもよくわかりません。


 トンネルを抜けてまもなく再び海岸線に出ます。オーバークロスするのは北陸自動車道です。海岸に迫り出す山塊をトンネルで抜けて海上に道路を建設せざるを得なかった厳しい地形•••計画段階でのルート選定と建設の苦労が偲ばれます。

 ちなみに北陸自動車道が最後に開通したのがこの区間を含む上越インターチェンジ(新潟県上越市)と朝日インターチェンジ(富山県下新川郡朝日町=しもにいかわぐんあさひまち)間で、この区間におけるトンネルの数は26にもなります。

 そのため日本海が見えるところが少なく、私がこの区間を高速道路で通ったのはトラックドライバー時代にトラックで通ったことがあるだけ•••プライベートの乗用車ではずっと海が見える国道8号線専門です。トラックに乗務していた時も若い頃にはまだこの区間は高速道路が開通していませんでしたからいつも国道を走っていました。



 市振〜親不知〜青海間は北アルプス(飛騨山脈)の北端が日本海に侵食された絶壁が連続する海岸線に沿っているためトンネルばかりとなってしまうのですが、以下の写真をご覧いただければお分かりになることでしょう。


 国道8号線の展望台から眺めた写真です。画像奥が市振方面です。

 昔はここに道らしい道は無く、旅人は波が引いた間隙を縫って海岸を走り、大波が来ると洞窟などに逃げ込んでここを抜けたといいます。それ故に「親は子を、子は親を顧みずに走り抜けた」ので「親不知•子不知」の地名の由来となったとか、壇ノ浦の戦いで滅亡したものの助命された平頼盛が都人の平氏に対する悪口雑言に耐えかねて所領のある越後国刈羽村(現代の新潟県長岡市)へ落ち延びた際、夫を慕って越後をめざした妻がここで愛児を波に攫われてしまった悲しみを「親しらず 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消えゆく」と詠んだとされる伝説が地名の由来となったとされるのでしょう。


 親不知駅に到着です。


 青海駅に到着しました。

 青海には観光目的で訪れたことはありませんが、ここは若き日の私にとって思い出深い町です。

 思い出深いといっても大した話ではないし、長くなってしまうから省きますが、我が国がバブル景気に浮かれていた頃の東京と地方の小さな町の違いを象徴するようなことを実感した話でした。機会があれば紹介したいと思います。


 糸魚川駅に到着しました。

 ここから急行4号となって終点の直江津駅へ向かってこの日のラストスパートとなります。


 ちなみにおでこの「急行」表示はしーるとのことですが、まるでロール式の字幕のような奥行きを感じる工夫が施されています。

 北陸地区を走行する急行型電車や近郊型電車は冬期にはトンネル出入口にぶら下がる氷柱によりおでこ部分の種別表示窓のガラスを破損させる事例が多かったため、当時の金沢鉄道管理局ではこれらの車両の窓を塞ぐ施策を国鉄時代末期から行っていました。この車両も表示窓を塞がれているのですが、それを感じさせない出来映えです。


 次回に続きます。









最近撮った写真は

 

 

 

 

 

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