「父ちゃん、今週の『母ちゃんクイズ』の出題をうっかり忘れるところだったよう❗️」


「先週もお休みしてるからこのままずっとお休みしててもいいんじゃないか?」


「そんなわけにはいかないよう❗️『母ちゃんクイズ』を楽しみにしている読者の方々のために休んでるわけにはいかないんだよう♪」


「それで•••今回のお題は?」


「前回記事の検閲時に申しつけておいた『能生騒動』をクイズの問題にしよう♪」


「どういうふうに?」


「今回のクイズは『2択問題』としよう。『能生騒動』について父ちゃんに2つの異なる説明文をアップしてもらう。ひとつは正真正銘の説明だ。もうひとつは全くのデタラメだが、もちろん真(まこと)しやかに説明しなくてはクイズにならない。わかったかえ?」


「面倒な注文だなぁ•••」


「それではみなさん、これから父ちゃんに『能生騒動』について2つの異なる説明をさせるのでどちらが正しいかを番号でお答えいただきたい❗️解答期限は明日9月16日土曜日の20時とする❗️」


①番

 昭和40年代後半•••NHKの「新日本紀行」という番組で放映された『愛国から幸福へ』という番組で北海道の広尾線というローカル線に実在していた愛国駅〜幸福駅への切符が大人気となった。

 これにあやかるかのように全国各地の縁起が良い漢字が使われている駅の切符を収集することが大ブームとなった。能生駅(能力が生まれると、こじつけられたのであろうも例外ではなく、この小さな駅の入場券を買い求めようと、連日のように多くの観光客が駅の窓口に長蛇の列を作ってしまい、地元の住民が切符を買い求めようとしても順番待ちのため切符を買うことができず列車に乗れなくなってしまったという事例が続発した。また、能生駅の入場券を身につけて駅前から海岸へ出て弁天岩厳島神社に詣でるとずば抜けた能力を身につけることができるとして連日のように多くの参拝客が訪れたために駅前から海沿いの国道8号線までを結ぶ県道は観光客で溢れかえって車の通行もままならない事態となってしまった。



 業を煮やした地元能生町(当時は西頸城郡能生町)の住民たちは能生駅のみならず当時の北陸本線を管轄していた国鉄金沢鉄道管理局まで押しかけて職員に詰め寄ったり、駅付近では旅行客と地元住民の小競り合いもあったりして一触即発状態にまで陥っていた。

 やがてブームも下火となり、能生の町には静かな時間が戻ってきたが、ネット通販で何でも手に入れることができる現代では考えられないことが起きていたのであった。



②番

 まだ新幹線も無かった時代、庶民にとってマイカーを持つなんてことはまだ考えられず、高速道路もまだ無かった。航空機など高嶺の花であり、庶民にとって長距離移動は鉄道が主流だった•••というより鉄道一択だった。

 しかも当時は特別急行列車(特急)東海道〜山陽本線しか走っておらず、国鉄は全国に特急列車網を拡充させる施策を採った。

 その第一弾として上野〜青森間常磐線•東北本線経由特急「はつかり」が昭和33年(1958年)に登場、それから遅れること3年•••昭和36年(1961年)には北陸本線•信越本線•羽越本線という日本海縦貫線初の特急列車となる特急「白鳥」大阪〜青森•上野間に颯爽と登場した。

「白鳥」青森行•上野行大阪〜直江津間を併結して走り、直江津駅で「青森白鳥」と「信越白鳥」を分割、青森行はそのまま日本海沿いに北上し、上野行きは信越本線で列島を横断して長野経由で上野駅へ向かった。逆も直江津駅で併結して大阪駅へと向かっていたのでる。



 その「白鳥」のデビュー初日•昭和36年10月1日に能生騒動は起きた。

 当時の北陸本線•能生駅は現在とは違ってもっと海岸線に近い駅で、北陸本線も単線であった。

 当然、行き違い設備のある駅や信号場において上下列車のすれ違いが行われるのだが、時刻表のうえでは通過扱いの駅であってもこの行き違いのために運転停車といって客扱いをしない(当然ドアが開かない)停車をして対向列車の到着または通過を先着した列車は待つことになる。

 特急「白鳥」の場合、能生駅において上下の「白鳥」がすれ違うダイヤが設定され、上り(大阪行)が先着し、下り(青森•上野行)の通過を待つというものであった。

 しかし、何故か通過扱いであるはずの「準急列車さえ停まらない」能生駅に掲出されたダイヤ改正後の駅時刻表には上り「白鳥」が停車するように時刻が表示され、一部の市販時刻表にも停車駅として時刻が記載されたため小さな漁村に過ぎなかった能生町では大騒ぎ❗️

 急遽「ミス能生」が選出され、地元婦人会が浴衣姿で特急列車をお出迎え。対向列車との行き違いのために運転停車した運転士に花束贈呈という歓迎式典を行った。

 しかし、列車のドアは開かず下りの「白鳥」が通過するとドアを開けずそのまま走り去っていったのである。

 お祭り騒ぎとなっていた町民たちは走り去る列車を呆然と見送ったのであった。


「今回は出題も遅れたけど2択だから締切時間が短いのは勘弁しておくれよう❗️いただいた解答コメントの公表は明晩の正解発表後とさせていただきますよう」