年齢を重ねてくると数年前のことだって

「最近の出来事」

のように感じてしまいます。

 だからこの半年間なんてあっという間ですから、今年の上半期を振り返ってみました。


1月

 今年最初の徘徊は母ちゃんを引率してJR東海東海道新幹線東京駅ホームへ。

「こだま」に乗って静岡県の三島駅で下車して徒歩で三嶋大社へ行ってきました。


 お参りのあとは伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅近くの桜家さんで鰻重を満喫しました。

 帰りは駿豆線の列車で一旦修善寺駅へと向かいました。



修善寺にて。

修善寺駅。


 修善寺駅からはここへ乗り入れてきているJR東日本特急「踊り子」で東京に戻りました。



2月

 2月は私たち夫婦にとって今年上半期最大のイベントである山陰旅行へ。

 全国に残る唯一の夜行列車である特急「サンライズ瀬戸•サンライズ出雲」(東京〜岡山間併結)の「サンライズ出雲」で東京駅から島根県出雲市駅へと向かいます。往路は狭い「ソロ」しか切符は取れませんでしたが、人気列車だけに個室寝台を取れただけでも御の字です。

出雲市駅にて。

 東京駅から12時間ほどかけて終着の出雲市駅に到着です。

 予約しておいた駅レンタカーで午前中のうちに第1の目的である出雲大社へ。

 神無月(10月)にはここ出雲地方では全国から神様が集まって会議を行う神在月となるだけに出雲大社はもちろん、市内全体が落ち着いた厳かな雰囲気の出雲市。とても良いところでした。

 宿泊する出雲市西部の多岐町にある小田温泉へはくにびき海岸道路で向かいました。
 日本海側だからなのか、車を停めて車外に出ると私の準ホームグラウンドともいえる信越エリアの新潟県沿岸部と同じ匂いがしました。ほとんど縁が無かった土地なのに懐かしいような不思議な気分になりました。


 宿泊したはたご小田温泉はリゾートホテルのような「至れり尽くせり」の宿ではありません。この山陰旅行では私たち夫婦好みの旅館(古い和風の静かな旅館)を探していて母ちゃんがネットで見つけて予約したのですが、期待以上でした。

 なんとなく故郷の家に帰ってきたかのような雰囲気の部屋でしょう?

 部屋数も少ないから普段は満室になることが多いようですが、このときはなんと私たちだけでしたから貸切状態でした。


 元々は料亭だけあって、料理もとても満足できるものでした。画像はほんの一部で、カニなども出ました。朝食もとても美味しくて、全体的に優しい味といった表現が似合う料理でした。


出雲市駅にて。

 翌朝は来春にはいよいよ新型車両への置き換えが始まる国鉄特急型電車381系を使用した最後の特急列車である特急「やくも」で出雲市駅から鳥取県の米子駅まで向かいました。この乗車が国鉄特急型電車最終乗車になるかもしれません。

米子駅にて。

 スケジュールの都合で境線の鬼太郎列車に乗車することはできませんでしたが、米子駅ホームで車両をたくさん撮影しました。

米子駅前にて。



 米子駅からは初めて乗車するJR西日本の山陰地区向け特急型気動車187系特急「スーパーまつかぜ」で倉吉駅まで移動。

倉吉駅にて。



 倉吉駅からこれも予約しておいた駅レンタカーで鳥取県三朝(みささ)町の三朝温泉へ。

 昭和の香りが残る三朝温泉街。


 懐かしいスマートボールや射的に興じました。


 宿泊したのは木屋旅館


 三徳川に面した部屋は予約時に指定しました。

 こちらは貸切風呂です。

 他にも宿泊客はいましたが、大浴場でも通路でも誰とも出会うことはありませんでした。

 食事の部屋もそれぞれ別々の部屋だったのでまるで貸切のように快適でした。コロナ対策ということもあるのでしょうが、旅館の女将さんや従業員の方々の手間を想像すると頭が下がる思いです。



 翌日は土休日に運転される山陰本線の観光快速列車「あめつち」乗車を楽しみました。



 冬の山陰•••天候に恵まれなかったのは仕方ありませんが、とても満たされた旅でした。

 全国各地から神様が集まる10月•••このため全国的には神様が不在となるので「神無月」となるのですが、出雲地方だけは神様が集まるから「神在月」となります。この稲佐の浜に全国から集まる神様をお迎えして出雲大社へとお連れするそうです。


 稲佐の浜からさらに進んで日御碕(ひのみさき)

の絶景を楽しみました。かなり強い風でしたが、天気が回復して晴れてくれたのは何よりでした。


 夜の出雲市駅。

 駅レンタカーを返却して、駅の反対側にある駅前温泉「らんぷの湯」でゆったり入浴して列車の発車時刻までを過ごしました。

 この旅行は往復とも「サンライズ出雲」。復路は往路の「ソロ」より少し広いシングルが取れたのでいくらかゆったりと過ごせました。

 屋根に向かって湾曲している車窓となっている2階個室でしたので、部屋の照明を消して寝台に仰向けになって星空を眺めていました。伯備線を走行している時の星空がとでも美しかったことに山陰を離れる寂しさが一層増すように感じました。



 山陰から帰った翌週はひとりで大阪見物に行ってきました。

 このときは知人と会って飲み歩いただけといってもいいほどなので写真も少なく、観光もしていないので記事にしていませんでした。

 まあいろんなお店に案内されました。楽しい夜を過ごさせてもらいました。

 トラックドライバーだった頃には年中来ていた大阪だったし、大阪で泊まりがあるときは街まで遊びに行った記憶はあるけれど、それもかなり昔のことですから本当に久しぶりの大阪見物でした。



3月

 上半期後半は忙しくなってくる時期なのでまとまった休みを取ることも取りづらいこと、私の家がある長野県での用事も多くなることからお決まりの信越エリアの写真が多くなります。

新潟県柏崎市
 列車の通過時刻と日本海に沈む夕日が合致する時期に訪れることができた•••のですが、列車がやってきた時に肝心の夕日が海上の霞に隠れてしまって結果は以下の画像の通りとなってしまいました。 

 ちょうど上りの貨物列車が通過していき、下りの特急「しらゆき」がやってきてすれ違う絶妙のタイミングだっただけに残念。画像の色もまるで別の日に撮影したみたいに白っぽくなってしまいました。


高田城址公園(新潟県上越市)

 列車の撮影と日本海に沈む夕日のタイミングは、あと少しというところで残念な結果となってしまいましたが、高田城址公園の桜は例年より早く満開を迎えていたのでこちらのタイミングはバッチリでした。

 日本三大夜桜に数えられる高田城址公園の観桜会は美しかったです。

 人工的に植樹された木々よりも自然の山の中で点々と花を付けている山桜を好む私ですが、これはこれで美しいと思います。


4月

雨晴海岸(富山県高岡市)にて。

 こちらは母ちゃんを引率して富山県高岡市の雨晴海岸をドライブで訪れた時のもの。

 JR西日本氷見線をゆく忍者ハットリくん列車。背景の木立は義経社です。義経社の前から浜辺へ降りる階段を下ると兄の源頼朝の怒りを買った義経主従が奥州の権力者である藤原秀衡を頼って落ち延びる途中で雨宿りをしたと伝えられる岩の下に空いた大きな空間があります。


 画像の奥に立山連峰が見える構図を期待しましたが、この日は遠くが霞んでしまって見ることはできませんでした。

 それでも雨晴海岸を訪れる前に氷見市の氷見漁港にある魚市場食堂でごはんを食べたりして楽しめましたし、天候にも恵まれて楽しいひとときを過ごすことができました。

 雨晴海岸を訪れる前に一旦通り過ぎて氷見市の魚市場食堂。



 店主さん自らセリで仕入れた魚を調理してくれる料理が美味しかったです。

 ただ、鷺を見て母ちゃんが市場中に響き渡るかのように大きな声で

「父ちゃん父ちゃん、こんなところにフラミンゴがいるよう❗️」

 慌てて母ちゃんの口を塞いで

(ち、違います。あれはたぶんアオサギです)

と、諭したものの時すでに遅く、人影が見えない市場の奥の方からゲラゲラと笑い声が•••アセアセ


 長野へ戻る途中の黒部市内では富山地方鉄道の踏切でタイミングよく引っ掛かったのでサイドブレーキを引いてレンジをPに入れてスマホを構えたら、元京阪電車の特急「テレビカー」で活躍していた車両がやってきて撮影することができました。

 京阪間を国鉄(⇨JR)の新快速や阪急京都線の特急としのぎを削ったこの車両、遠く離れた北陸の地で余生を過ごしています。



 翌日は信越国境をゆく旧国鉄〜JR東日本信越本線のうち北陸新幹線開業時に第3セクター化されたしなの鉄道北しなの線(長野県側)とえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン(新潟県側)の撮影に出かけてきました。

 北しなの線では国鉄時代のオリジナルカラーに復刻された115系がやってきました。

 この日は祝日だったのでえちごトキめき鉄道ではJR西日本から購入した413系を使用した観光急行列車の運転日でした。こちらは国鉄の交直流両用急行形車両が纏っていた塗装に復刻されています。

 先頭に立つのは急行形のクハ455。内装こそローカル列車用に改造されていますが、外観は幕式表示器が側面の戸袋窓上に設置された以外は急行形車両の原形をとどめています。

 前面の貫通扉に取り付けられた愛称板は国鉄時代に北陸本線を走っていた電車急行の復刻。「立山」は大阪〜富山•宇奈月温泉•糸魚川間を結んでいた急行列車で、この沿線とは縁の無かった列車ですが、4月末から5月の連休期間中に特別に取り付けられていました。

 普段は土休日に運転されるこの観光急行ですが、私が知る限りでは「妙高」「赤倉」を表示していることが多く、両列車とも国鉄時代からJR時代初期にかけてここを走っていた急行列車でしたが、使用されていた車両が違うので違和感を覚えずにはいられませんでしたが、違う路線を走っていたとはいえ現役時代に使われていた「立山」が掲出されていると似合っている気がします。

 妙高山を背景に気持ちよさそうに駆け抜けていきました。改造前の急行形電車だった時代を含めると新製されてから既に60年もの年月が経過した車両ですが、軽やかなジョイント音を刻みながら軽快に通過してゆく姿は同世代の私からすれば嬉しく感じるものです。

 北しなの線妙高はねうまライン•••国鉄時代の姿を懐かしく思い出させてくれるシーンに出会えた日でした。


 翌日は母ちゃんを引率して新潟県十日町市へ名物のへぎそばを食べにドライブしました。

 猛暑が続く毎日ですが、へぎそばの画像を眺めていると、あのツルッとした喉ごしが懐かしく思い出されて魚沼地域に飛んで行きたくなってきます。




 さらに翌日は母ちゃんを引率して長野県飯綱町のサンクゼールレストランでランチタイム。



 斑尾山から延びる丘陵の南斜面の上に建つレストランの大きな窓からは遠くに善光寺平の小布施の町が眺められ、その向こうに連なる菅平から志賀高原へと続く山並みを楽しみながら頂く料理•••ゆったりとした時間が流れます。



5月

新潟県柏崎市


 私のお気に入りの場所のひとつである日本海の海岸線に沿って通るJR東日本信越本線を俯瞰できるところです。新潟から上越妙高へ向かう特急「しらゆき4号」を後追いで撮影しました。

 入れ替わりにやってきた下り貨物列車の先頭に立つのはかつて東京の上野と札幌を結んでいた寝台特急「北斗星」を牽引していたEF510形500番台電気機関車でした。

 北海道新幹線開業に伴う北海道直通寝台特急列車廃止によりこれを牽引していた余剰となった機関車がJR東日本からJR貨物に売却譲渡されて富山機関区へ移っていった機関車のうちの1両です。

 富山に新製配置された赤い車体の基本番台や同じく田端から富山に移った「カシオぺア」牽引機の銀色車体の機関車とともに青森〜関西の日本海縦貫線のロングランをこなしています。


 雪国の春から初夏の訪れは遅いですが、5月下旬になって信越国境の田圃にもいよいよ水が引き入れられました。

 この季節になると水鏡を狙って出かけてしまいます。じっとしていられません(笑)。




6月

 妙高高原から車で山を上がっていって笹ヶ峰の先のダム湖「乙見湖」から眺める焼山

 新潟県には活火山として指定されている山は少なく、この焼山と妙高山だけです。そのうち現在も活発な活動を続けているのは焼山だけです。

 時期的に観光客の姿は少なくて、野鳥が囀る恋の歌を聴きながら心地よい時間を過ごしました。

 


 苗が伸びてきていよいよ水鏡の季節ともお別れです。梅雨の晴れ間•••爽やかな信越国境の風を受けてJR東日本長野支社の115系が纏っていた旧長野地域色に復刻されたしなの鉄道の115系が黒姫山を横目に駆け抜けていきました。


 今年前半に撮影した写真のうちからいくつか抜粋して貼り付けてみました。


最近撮った写真は

 


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