「父ちゃん、今回の『母ちゃんアンケート•水鏡』2回戦第2日目のアンケート結果の集計はまとまったかえ?」


「みなさんからのご回答の結果は以下の通りとなりました」

①晩秋の鏡池

(長野県長野市)

2票

 鏡池の画像が夏の画像とともに晩秋の画像も1回戦を勝ち抜いてきました。どちらか片方だけが勝ち残ると予想していたのですが、見事に2点とも勝ち残りました。

 もう少し早い時期に訪れることができたらもう少し紅葉も鮮やかだったと思います。


②高田城址公園「観桜会」

(新潟県上越市)

2票

 濃紺の空と濠•••ライトアップされた桜花の淡い輝きは人工的に演出された要素は大きいですが、それでも華やいで見えたことは否めません。

 日本三大夜桜に数えられているのは青森県の弘前公園、東京都の上野恩賜公園、そしてこの高田城址公園なのですが、とくに高田と弘前が美しく感じられるのは(あくまでも個人の感想です)、どちらも雪国ということもあるのかもしれません。



③新緑を駆ける

(新潟県上越市)

0票

 日本海の港町直江津と信越国境の妙高高原とを結ぶ妙高はねうまライン。

 直江津へ向かう下り列車が軽快に勾配を駆け下りてきたところを横から撮った画像です。

 新緑と田植えが終わった田圃、妙高山をイラストした緑のラッピング•••緑一色の世界を映す水鏡に緑色が好きな私は眺めているだけで心が落ち着きます。


④蔵のまちと鯉幟

(栃木県栃木市)

0票

 栃木県栃木市は私が好きな街のひとつです。

 巴波(うずま)川が市内を流れ、水運により発展した商都でもありました。

 巴波川に沿って展開する蔵の写真は定番です。

 江戸時代は上州•倉賀野(現在の群馬県高崎市倉賀野町)で中山道から分かれて日光東照宮へ続く例幣使道が通っていました。一説には京の朝廷から東照宮へ遣わされた例幣使は徳川将軍家の影響が強い東海道を憚って中山道を経由して日光との間を往復していたとも伝えられていますが、真偽のほどはわかりません。東海道を使うよりも中山道を通った方が距離も近いということもあったのではないかと思っています。

 また、現代においても例幣使道に沿って桐生•足利•佐野•栃木•••と北関東の中核都市が続いていますが、これらの町には近江商人が移り住んできたこともあって商都として栄えたとも伝わります。都に近い近江国(滋賀県)から移ってきたこともあって朝廷との繋がりも強かったかもしれないので頷ける説でもあります。


「2回戦第2日目は①番と②番の画像が勝ち残りました。ご回答ありがとうございました」


「鏡池は第1日目で夏の画像が惜しくも敗退しましたが、晩秋の画像が勝ち残りました。高田城址公園の観桜会はやはり人気があったようですね」


「というわけで第3日目もご回答を受付中ですのでよろしくお願いいたしますよう❗️」