う 昭和62年(1987年)4月1日の国鉄分割民営化から36年が経過して国鉄型電車をほぼ日常的に見られるところもかなり少なくなってきました。
近年撮影した動画や画像の中からいくつか抜粋して貼り付けてみようと思います。
しなの鉄道北しなの線古間〜牟礼
JR西日本山陽本線
岡山
私の行動範囲では容易に出かけて国鉄型電車を撮影できるのは長野県のしなの鉄道くらいで、あとは接続するえちごトキめき鉄道がJR西日本から購入した455系+413系で運転される土休日の臨時列車といったところ•••。
今年は2月に夫婦で山陰を旅行したので思いがけずJR西日本伯備線などで活躍を続けている115系を撮影することができましたが、基本的には関東甲信越が日常の行動範囲。
山陰旅行の際には1泊目の出雲市から鳥取県三朝町への移動のときに短時間とはいえ出雲市駅から米子駅まで特急「やくも」で最後の国鉄特急型電車である381系に乗車することができましたが、こちらも来春には新型車両の導入がアナウンスされているので、そちらへの置き換えが始まれば瞬く間に姿を消すこととなるでしょう。
首都圏ではJR世代の車両でさえ既に第二世代どころか第三世代への置き換えが進行しており、国鉄時代の車両はほぼ見ることができなくなりました。
北関東の高崎地区や甲信地方のJR線では首都圏を追われた211系に耐寒耐雪強化工事を施した車両が地域間を結ぶローカル列車で頑張っていますが、こちらは国鉄時代末期に製造が始まった系列で国鉄分割民営化以降も製造が続けられたこともあって「個人的」には純然たる国鉄型車両とは言い難い•••。
形式は別でも東北や信州•北関東、静岡地区、岡山地区や四国の電化区間の一部で見られるこの顔も紛れもなく国鉄型に入るのだけれど、この顔以前の顔とはどうしても一線を引いてしまうのです。
国鉄時代に姿を消した旧型電車はもはや鉄道博物館などで静態保存されているものしか見られないのは仕方ないにしても、昭和の高度成長期時代に生まれた通称「東海形」(東海道本線の準急「東海」でに導入され、のちに国鉄新性能急行型電車や近郊型電車の顔の基本となった153系)のの顔を継承する車両たちは今ならまだ見られる地域があります。
そして今年中であれば伯備線で最後の活躍を続ける国鉄特急型電車も車体のカラーこそ国鉄オリジナルカラーではないものの(国鉄オリジナルカラーに復刻された編成が列車限定で運転されています)特急「やくも」で見ることができます。
国鉄特急型電車の始祖であるボンネットタイプの車両は姿を消して久しいですが、非貫通タイプと呼ばれる顔は今年ならまだ見ることができる•••。
JR西日本山陰本線
出雲市
JR西日本山陰本線
出雲市
私が鉄道好きになったのは父の転勤の関係で少年時代を過ごした広島県で通学路の途中に山陽本線の踏切があったからかもしれません。
小学校に入学した時点では新幹線はまだ東海道新幹線だけ。2年生を修了するときに山陽新幹線が岡山駅まで開業しましたが、新幹線と山陽•九州を接続する多くの特急•急行列車を毎日のように眺めて過ごしていたということも影響が大きかったのでしょう。
山陽新幹線が博多まで開業した昭和50年(1975年)3月•••山陽本線からは一夜にして夜行列車を除く昼行特急•急行列車が飛び去ってしまったのと時を同じくして父の転勤で東京に引っ越した私は東北•上越新幹線が開業するまでの上野駅の興奮を目の当たりにすることになります。夏休みや冬休みなどに長野県の親戚宅に行くときに信越本線の列車に乗車するために上野駅へやってくるとひっきりなしに到着しては折り返し発車してゆく東北•上信越•北陸方面への列車•••あの雰囲気は現在の上野駅地下新幹線コンコースでひっきりなしに流れる発車案内で私の世代以上の方であれば脳裏に甦ってくるかもしれません。
しなの鉄道の115系も新型車両への置き換えが進行中で近い将来には姿を消すことでしょう。えちごトキめき鉄道においては北陸新幹線開業により信越本線を引き継いで開業した当初からJR世代の車両で運転されており、国鉄型車両を見られるのは土休日に運転される前述の臨時列車のみです。
これらの列車たちをどこまで記録できるかわかりませんが、あの形と音を少しでも多く記録できるといいと思います。
最後に•••「撮り鉄」という言葉がとても悪い印象に聞こえてしまう昨今、伯備線の「やくも」を撮影するために勝手に木を切ってしまったり立ち入り禁止場所や民家の庭先に侵入したりと、かなり問題になっているようです。また「撮り鉄」どうしのトラブルも多いようですが、楽しいはずの趣味に汚名を着せないように心掛けたいものです。