母ちゃんを引率してJR西日本氷見線•氷見駅を見学した後は道の駅•雨晴にやってきました。
駐車場に車を止めてデッキへ上がるとなかなかの絶景です。
前日の雨と強風とは打って変わって青空が気持ちよく広がります。
「父ちゃん、水平線の彼方に見えるのは男鹿半島かえ?懐かしいよう♪あそこへ行ったのはもう何年前だったかえ?」
「違います
能登半島です❗️」
慌てて母ちゃんの口を塞いだものの、時すでに遅く•••周囲からは失笑が漏れ聞こえてきました。
雨晴海岸は日本海では珍しく遠浅となっており、男岩や女岩を入れて海の向こうに雪を輝かせて連なる立山連峰を望む景色を撮影した写真は数多く紹介されています。
紹介されていますが•••![]()
明け方に家を出て燃料代だけで走れる道路を黙々と走ってきたというのに春らしい空で遠くは霞んでしまって立山連峰が見えません![]()
「父ちゃん、立山連峰はどこに見えるんだえ?」
「むむぅ•••」
「ここは本当に雨晴海岸なのかえ?」
「そ、そうだよ•••」
「今回はここまで来るのはあまり気乗りしなかったが、父ちゃんが『雨晴海岸に行って日本海を隔てて輝く立山連峰を見せてあげよう』って言うから来たのに•••あれは嘘だったのかえ?」
大きな声で私を詰問するものだから再び周囲から失笑が•••。
「わかったわかった、おれが悪かった。売店でジュースを買ってあげるからもう少し小さな声で言っておくれ•••」
母ちゃんを宥めるために売店に入ってレモンスカッシュを注文してあげました。
越中(現代の富山県)の国守として赴任した大伴家持も万葉集を編纂するにあたって自身が詠んだ越中や能登(現代の石川県能登地方)を題材とした歌を選んでいます。
こちらは「奥の細道」松尾芭蕉の句碑。
道の駅と道路を隔てた海岸沿いを通る氷見線の踏切は義経岩踏切といいまして、むかしむかし源平の戦いにおいて平氏を滅亡させたものの、兄の頼朝が定めた軍紀から逸脱した行動が目立ち壇ノ浦の戦いにおいて幼い安徳天皇の命を助けられなかったことを咎められて頼朝の逆鱗に触れた源義経が頼朝の追手から逃れて奥州平泉の藤原秀衡を頼って日本海側を北上した時に雨宿りをしたと伝えられる義経岩が画像右側の木立の下にあります。岩の上には義経社という小さな祠が祀られています。
道の駅「雨晴」から下り列車を撮影しました。
この日に運転された氷見線のほとんどの列車に忍者ハットリくんラッピング車が充当されていたようでした。
次回に続きます。












