「父ちゃん、ちょっと来な❗️」


「なんだよう」


「『なんだよう』じゃないッ❗️いったい前の記事は何だえ?ムカムカ


「前の記事がどうかしたのか?」


「『母ちゃんのアンヨは短ちゃん』だの『背丈がたいそう小さい』だの『ペンギンみたいな風貌』だのと好き勝手言ってくれてるじゃないかムカムカ


(ドキッアセアセ


「いちいち余計なことをみなさんに広めるんじゃないッ❗️」


「そ、それは母ちゃんの愛くるしい一面をみなさまにもご理解いただこうかと•••」


「そんなことは誰も頼んじゃいないようッ❗️」

と、母ちゃん逆鱗ムキーに触れた記事の続きです。


 終点の修善寺駅に到着しました。


 乗車してきた3005編成にはGEO TRAINのマークが取り付けられていました。





 隣のホームにはJR東日本E257系NC33編成が停車していました。


修善寺駅舎です。


 修善寺温泉まで行って日帰り温泉を楽しむほどの時間は無かったので駅周辺を散策しました。


 狩野川を渡ります。

 母ちゃんが沼津市の出身という以外は静岡県にはトラックドライバー時代に仕事でよく来ていたくらいでそれほど縁がない私ですが、この辺りの地名は小学校低学年時代から歴史好きで子供向けに書かれた伝記をよく読んでいたからけっこう知っていたりしました。修善寺という地名は源頼家が暗殺された場所として小学校の2年生か3年生くらいのときに初めて知ったのだと思います。

 当時は父の転勤で広島県福山市に住んでいたから子供の私にとって静岡県は遠い未知の地でした。けれども小学2年生くらいで小学校中学年〜高学年向きの伝記などを好んで読んでいた私は地名や旧国名などは当時から吸収していました。

 挙兵した源頼朝と奥州平泉から駆けつけた弟の義経が初めて対面したと伝わる黄瀬川なども当時覚えた川の名前です。また、高学年になってから読んだ井上靖の自伝的小説「しろばんば」で湯ヶ島という地名を知ったように記憶しています。


「父ちゃんの回顧録なんかどうでもいいよう❗️」

 修善寺駅に戻ってくるとさきほどから止まっていたNC33編成(画像右)の隣にNC31編成がやってきて並んで停車していました。ともに元は房総特急用として白をベースに青と黄色に塗られていた編成で千葉県のJR東日本幕張車両センター(千マリに配置されていましたが、伊豆方面への特急「踊り子」への転用改造がJR東日本秋田総合車両センター(秋アキで行われて埼玉県のJR東日本大宮総合車両センター東大宮センター(宮オオへと転属した編成です。伊豆箱根鉄道へ乗り入れる編成はすべてモノクラス5両編成の元幕張所属車で秋田総合車両センターで「踊り子」転用改造工事を施されました。元は「さざなみ」「わかしお」「しおさい」などで活躍していた車両です。

 房総特急だった頃のE257系500番台です。大原にて。


 特急「踊り子」は昭和56年(1981年)10月ダイヤ改正でそれまで国鉄の東京駅と伊豆急行の伊豆急下田駅を結んでいた特急「あまぎ」と同区間及び東京駅と伊豆箱根鉄道の修善寺駅を結んでいた急行「伊豆」を統合してデビュー、当初は183系と新しくデビューして「伊豆」に先行投入されていた185系電車により運転されていましたが、のちに185系に統一されて最近まで他の特急車両より格落ち感のする185系による運転が続けられていました。

 どこか格落ち感かというと、ボンネット型スタイルで屋根より高い位置に運転台をモデルチェンジした非貫通型に至るまで維持し続けたスタイルを捨てて普通列車にも使える仕様としたほか、その前面スタイルは少し前に関西地区の新快速でデビューした117系風というところと、普通車の座席はリクライニング機能の無い転換クロスシートというグレードの低さでした。

 カラーリングこそそれまでの赤とクリーム色の国鉄特急型電車の殻を破った白い車体にグリーンのストライプという斬新なデザインとなって話題を呼びましたが、そろそろ陳腐化し始めていた当時の国鉄特急型車両よりも新型電車なのに見劣りした車両でした。 

 国鉄分割民営化以後、座席こそリクライニング機能の付いたものに交換されたものの、それすら時代に追いついていけないほど安っぽいリフレッシュでした。


 ただLED化されることなくロール式イラストマークが維持されていた点はファン心理としては喜ばしかったですがこれもこの車両の引退により見られなくなりました。


 中央本線時代のE257系基本番台。中野にて。


 185系の老朽化により新たに「踊り子」用車両として白羽の矢が立ったのが中央本線の特急「あずさ」「かいじ」で活躍していたE257系。中央本線の特急列車が新型のE353系に統一されたことに伴った中央本線での活躍の場を失ったE257系は車内のリフレッシュ改造や機器の交換などの改造を長野総合車両センターや秋田総合車両センター、一部の編成はJ-TREC(総合車両製作所)横浜にて受け、カラーデザインもそれまでの「武田菱」をイメージしたものから伊豆の海を連想させるものに変更されてJR東日本松本車両センター(長モトから大宮総合車両センター東大宮センターへ転属しました。

E353系


 まあそんな説明をしたところで母ちゃんが聞く耳を持つわけがなく、修善寺駅前のお土産屋さんの2階にある喫茶店でアイスコーヒーを飲んで休憩しました。




 次回に続きます。