前回「久しぶりの二本木駅にて①」として から数回に分けてアップするつもりだったのが2週間も間が空いてしまいました。
    この記事に関してはもともとじっくり内容をまとめるつもりだったことや多忙だったこともあってなかなか再開することができませんでした。
    かなり間が空いてしまったけれど、この記事は再開したいといつも気にかけていました。
    今日は少し続きに取りかかりたいと思いますが、半月も経ってしまっているので前回の記事をリブログするかたちで再開します。よろしかったら前回記事からおさらいしてご覧になってください。
下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印
     二本木駅があるのは新潟県上越市中郷区板橋というところです。上越市中郷区はかつて新潟県中頸城郡中郷村でしたが周辺13市町村とともに平成17年(5015年)1月1日に上越市への編入合併により上越市中郷区となりました。
    二本木駅は旧中郷村の中心市街地に位置し、開業は明治44年(1911年)、官設鉄道として直江津~関山間が明治18年(1886年)に開業してから26年後の開業でした。
    両隣の駅は北が新井駅、南が関山駅でどちらも新潟県妙高市で中郷区は妙高市に挟まれたような位置となっています。交通の面では長野県方面と新潟県日本海沿岸部を結ぶ鉄道や道路で移動していると中郷区はまるで上越市の飛び地のような存在です。しかし地理的には飛び地になっているのではなく妙高山系の山岳地帯の西側で上越市名立区(旧西頸城郡名立町)と地続きではあります。
    とはいっても険しい山岳地帯ですから直接繋がる道路があるわけではなく、実質的には飛び地といった感じです。
    なぜ隣接する新井市と合併せず(新井市と合併するという方向も模索されていたようですが…)新井市を隔てたところにある上越市と合併したかというと当時の村長や村民の多くの意向だったようです。古くから新潟県南西部(上越地域)の行政や経済の中心である上越市への編入を選んだということでしょうか…。ちなみに新井市は妙高高原町、妙高村と合併して妙高市となっています。その結果、中郷区は妙高市に囲まれるような形となって実質的な飛び地となっているのです。

    前置きが長くなってしまいましたが、半月前の記事の続きへと入っていきましょう。
    前回の①で一旦引き込み線に入ってスイッチバックしてきた直江津発妙高高原行普通列車が発車、そのまま妙高高原めざして視界から去っていきます。
    前回でも触れた通り、二本木駅がある上越市中郷区は日本海沿岸部の頸城平野から長野県境の山岳地帯へと続く勾配の途中に位置するため南隣の関山駅同様スイッチバック式の駅として誕生しました。
    関山駅は国鉄時代末期に駅を移転して普通の駅になりましたが、二本木駅は駅西側にある日本曹達株式会社二本木工場への貨物輸送がある関係(現在ではトラック輸送に転換され鉄道貨物輸送は廃止)でスイッチバック駅のまま生き残り国鉄分割民営化を迎えてJR東日本信越本線の駅となり、さらに北陸新幹線長野~金沢間延伸開業に伴い信越本線長野~直江津間がJR東日本から経営分離され平成27年(2015年)3月14日にえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン二本木駅となりました。
    国鉄~JR東日本信越本線時代には優等列車など見向きもせずに通過していた小駅ですが、新潟県内に唯一残るスイッチバック駅であることや、駅舎も駅開業前年の明治43年(1910年)に建築された建物がそのまま残って使用されている(一部は修復されていますが…)ことや同じく駅開業以来残るレンガ造りのランプ小屋が残ることから駅施設のうち7件が登録有形文化財となっています。




    地域の象徴ともいえる妙高山を象ったラッピングは妙高はねうまラインのオリジナルデザイン。駅名標にも使用されているデザインです。



    妙高高原行が発車したあと直江津行が発車して一旦引き込み線に入ってスイッチバックして直江津をめざします。



    駅を発車した下り列車は後退して引き込み線に入っていきます。





    引き込み線で再び向きを変えて列車は直江津方面への本線へと入っていきます。



    折り返して勾配を下ってゆく列車…いかにこのあたりの勾配が急であるかがわかります。
    機関車が牽引する客車列車だった時代や貨物列車では勾配での列車の引き出しに機関車の力が不足するため駅を平坦な場所に設置してスイッチバックすることにより列車を駅に発着させていましたが、電化などにより旅客列車が気動車(ディーゼルカー)や電車化されるとスイッチバックする必要はなくなり全国の多くのスイッチバック方式は廃止されましたが、二本木駅では前述の日本曹達株式会社への貨物輸送が残っていたこともあって奇跡的に現在でもスイッチバックが残されることになりました。貨物輸送が廃止された現在ではこの駅を移転してスイッチバックを廃止させる必要は無さそうなものですが、新潟県に残る唯一のスイッチバック駅というだけでなく、全国的に見ても少なくなってきたこのような形態の運転は希少でもあり、現在では妙高はねうまラインの観光列車もわざわざこの駅に停車するダイヤが設定されて乗客誘致の目玉になっています。
    次回は二本木駅でのひとときをアップします。