妙高あっての野尻湖である❗
    登山家であり随筆家であった深田久弥はその著書「日本百名山」の中で述べています。
    それはあながち間違いとは言いきれないほど妙高山の姿は美しく、リアス式のような複雑な線を描く湖岸とその形状から別名「芙蓉湖」と形容される野尻湖を引き立てていることは間違いありません。

    野尻湖を囲むように鎮座する妙高山・黒姫山・斑尾山のうち最も秀麗であると思います。
    北信五岳(戸隠山・飯縄山・黒姫山・斑尾山・妙高山)のひとつに数えられ、新潟県側に位置しながら長野県側の北信濃の風景を引き立てます。
   新潟県側では頸城(くびき)三山(妙高山・火打山・焼山)に数えられています。


    信越国境を挟んで並ぶ黒姫山は「信濃富士」、妙高山は「越後富士」と称されますが、その姿は対照的です。

    同じ立ち位置からの撮影です。
    2,000m級の山(妙高山2,454m、黒姫山2,053m)がそれぞれ独立峰として並ぶ姿はそれだけでも美しさを感じますが、私が愛してやまないのはその美しさよりも幼少の頃からこの風景に慣れ親しんできたせいかもしれません。
    私を愛してくれた今は亡き祖父母や親戚たちとの幼き日々の思い出が詰まっているからでしょうか。
    いもり池から眺める妙高山。
    残念ながらこの池には水草が多くて戸隠の鏡池ほどの規模もないので水鏡の画像としては個人的には物足りないものばかりですが、幼少の頃にはよく連れてきてもらった場所でもあります。
    夏は避暑地、冬はウインタースポーツが盛んだったこの高原もスキー人口の減少、北陸新幹線が長野駅から飯山駅へ迂回して建設されたこと、上信越自動車道は通っていますが、ここを通過してしまう車が多いからなのか昔のような賑わいは見られなくなってしまいました(個人的には越後湯沢みたいにされなくてよかったとは思いますが…)。

    鉄道の撮影地としては少し厳しいかもしれませんが、お気に入りの場所での撮影です。
    夏は厚い雲に覆われることが多くて全容を見せてくれるのは早朝のうちだけということも多く、冬は名だたる豪雪地帯ですから雪晴れの日でも予測しておかなくてはなかなか美しい雪山風景を眺めることはできません。
    妙高山の美しい姿を眺めるなら残雪を輝かせる春から初夏にかけてでしょうか…。

    雪国に春の女神が訪れるのは遅く、そのぶん長い間にわたって深い雪に覆われた季節を耐えてきた人々や動物たちへのご褒美に木々を一度に花を開かせ、土の匂いとともに生命の息吹きを与えてくれるのです。
    初夏…棚田に張られた水鏡が妙高山を映します。

    私が中学生か高校生の頃まで走っていた国鉄の新潟地区のローカル列車が纏っていた塗装を復刻したえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインET127系が妙高山をバックに通り過ぎていきました。
    妙高はねうまラインの車両はJR東日本から購入したE127系をET127系として走らせていますが、土休日には臨時列車としてJR西日本から購入した国鉄急行型電車をルーツとする413系もやってきます。国鉄時代からJR東日本時代を通じてここをこのカラーの列車が走っていたことはありませんが、最近ではこの風景にも馴染んできました。
    妙高山麓の勾配を軽快に駆けてゆくET127系。

    妙高はねうまラインの車窓から…窓枠がまるで額縁のようです。


    かつて東京の上野駅からやってきていた国鉄急行型電車169系による急行「妙高」にはよくお世話になったものでした(軽井沢にて)。
    長野駅まで新幹線が開業してからは一時消滅していた「妙高」の列車名が普通列車として復活。普通列車とはいえそれまで信越本線の特急「あさま」で活躍していた189系特急型電車を使用し、指定席車両も連結していました(黒姫にて)。

    北陸新幹線が金沢まで開業して「妙高」の列車名はは再びお蔵入りしてしまいました。普通列車として走っていた「妙高」ですが、早朝の上り「妙高2号」だけは快速として新潟県内は主要駅のみ停車、長野県内は各駅に停車していました。この列車は前面のイラストマークにも快速の文字が入っていました(長野にて)。