私のお気に入りフォト,風景部門

    国鉄~JR東日本時代を通じて信越本線の有名な撮影地だったこの場所は北陸新幹線長野~金沢延伸開業に伴い第三セクター化されてしなの鉄道北しなの線となってからも人気ある撮影地でした。
    私自身、若い頃には特急「あさま」「白山」といった定期列車をはじめ、ゴールデンウィークや夏休み期間の多客期にはるばる神戸から日本海回りで運転された特急「スーパー雷鳥・信越」などを当時持っていた安物のカメラでよくフイルム撮影したものでした。第三セクター化されてからも国鉄型車両である115系をスマホやデジカメで撮影したりしていたものですが、(悪い意味での)「撮り鉄」とトラブルでもあったものか、事故でもあったのか近年になって車両の乗り入れはできなくなり、しかも高いフェンスが張られて撮影できなくなってしまっています。
     黒姫山を背景にやってきたのは国鉄時代のオリジナルカラーに戻された183系1500番台(編成両端)+189系(中間4両)のJR東日本長野総合車両センター所属のN101編成による快速「妙高2号」です。
    この編成の両端に連結されたクハ183は1000番台として製造され、国鉄時代の新潟運転所(→上沼垂運転区→現・新潟車両センター)に配置されて上越線特急「とき」で活躍、上越新幹線開業に伴う特急列車全廃により幕張電車区(現・幕張車両センター)へ房総地区の特急列車用として転属するにあたって総武本線東京~錦糸町間のATC区間に対応するためにATC機器搭載改造により1500番台となり、その後は松本車両センターに転属して中央本線の特急列車に使用、最終的に長野総合車両センターで晩年を過ごした車両です。

    長野冬季五輪を目前に控えた平成9年(1997年)10月1日、北陸新幹線が「長野行新幹線」として長野駅まで暫定開業して前日の9月30日の最終列車を以て在来線特急の「あさま」「白山」「そよかぜ」は全廃となり、信越本線最大の難所であり輸送上のネックとなっていた碓氷峠が介在する横川~軽井沢間は廃止、平行在来線となる軽井沢~長野間のうち軽井沢~篠ノ井間がJR東日本から経営分離されて第三セクターしなの鉄道となってから長野以北への接続が図られて誕生したのが普通列車「妙高」でした。

    在来線特急廃止に伴って「あさま」で活躍して全車両が長野総合車両センターに所属していた189系は多くが松本車両センターや幕張車両センターに転属となって中央本線や房総地区の特急列車へと転用されましたが、長野に残った189系を使用した普通列車「妙高」は特急型車両を使用した乗り得普通列車でした。
    普通列車なのに列車名が付けられたのは指定席車両も連結していたため指定席券を発売する関係もあったと言われています。
    普通列車として設定された「妙高」ですが、早朝に直江津駅を出発する「妙高2号」だけは快速列車として設定され、新潟県内では主要駅のみ停車(長野県内は各駅に停車)していました。
    こちらは妙高山を背景にした「妙高4号」
    6両すべてが国鉄時代の長野運転所に新製配置されて以降、一生を長野で過ごした車両で組成されたN102編成です。
    結果的にこの編成が183系・189系シリーズで最後まで残った編成となりました。2年前に廃車されましたが、なぜか現在も解体されずに長野総合車両センターの廃車置場に留置されています。

    幼い頃からの思い出がたくさん詰まった信越本線と189系…そして「妙高」の列車名はかつて上野~妙高高原・直江津間を結んでいた急行列車に付けられていたもので、私も多くお世話になった列車名でありました。
   この画像を撮影した当時持っていたスマホはカメラ機能がイマイチで粗い画像ではありますが、風景としては思い入れの強い場所なので何度か過去記事にてアップしています。
    

 

 

 

 

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