「父ちゃん、20時になったから昨日の『母ちゃんクイズ』の答え合わせとしよう❗」

「今回のクイズは『この天狗さんの名前を当てよ❗』という問題でしたよう🎵」
「ヒントはか日本八天狗』に名を連ねる天狗さんのうちのひとりということでした」
①愛宕山太郎坊
②鞍馬山僧正坊
③比良山次郎坊
④飯綱三郎
⑤白峰相模坊
⑥相模大山伯耆坊
⑦大峯前鬼坊
⑧彦山豊前坊
「以上が『日本八天狗』に数えられています」
「画像は長野県北部を通るしなの鉄道北しなの線牟礼駅に立っていた天狗の父子の像です。牟礼駅といえば飯綱東高原への下車駅。国鉄~JR東日本信越本線時代には一部のローカル急行列車以外は停車しない駅でしたが、単線区間のために上下列車のすれ違いのために特急列車でも客扱いを行わない運転停車をして対向列車の到着を待つという光景が見られたものでした。その時に車窓から眺められたちょっとコミカルな天狗像に(いよいよ北信濃へやってきた)という気分になったものでした」
「フムフム…」
「と、ここまで説明すれば正解は4番の『飯綱三郎天狗』であることがおわかりいただけたことと思います」
「残念なことに、この飯綱三郎天狗像は老朽化によりまず上りホームの像が撤去され、下りホームに残っていたものも数年前に撤去されてしまって現在では見ることはできません。何らかの理由で飯綱三郎の母ちゃん天狗の逆鱗に触れて風雪にも耐えながら牟礼駅のホームに立たされ続けていたのが母ちゃん天狗の怒りがようやく解けたのか…飯縄(飯綱)山の自宅に帰参することが赦されたようです」
「牟礼駅は千曲川流域に広がる善光寺平(長野盆地)から旧北国街道に沿って敷設された信越本線(現しなの鉄道北しなの線)が山岳地帯へと入っていって千曲川の支流である鳥居川に沿って急勾配が続くところに位置しています。善光寺平ではそれほど深くない積雪が『一里一尺』と言い伝えられるほどに信越国境に向かって急激に積雪が深くなる地域です。牟礼駅がある飯綱町は旧牟礼村と三水村が合併して生まれた町です」

「我が国には12万5000もの天狗が伝わっているそうですが、その中でもとくに能力の高い天狗が前述の『日本八天狗』に選ばれているそうです。なお、飯綱三郎天狗の容姿は本来はこのような鼻が長い天狗ではなく、鳥の嘴のような口を持った烏天狗のような姿をしていたそうです。全国が大飢饉に見舞われたときには全国を飛び回って飯縄山の『食べられる砂=天狗の麦飯』を配って庶民を飢餓から救ったと言い伝えられています。飯縄(飯綱)山の由来は飯砂から来ているとも伝えられているそうです」
「なるほど❗」

「下り線ホームの飯綱三郎天狗父子が立っていた場所には現在飯綱町特産のリンゴをモチーフとした新たなモニュメントが設置されています」

駅から徒歩だと少し遠いのですが、駅前通りを線路沿いに古間駅方向へ突き当たりまで歩き、右折して線路をくぐって郵便局や町役場がある交差点を左折すると旧北国街道です。
これをしばらく歩くと左手が開けて線路と踏切が見えるところがあります。北しなの線と国道18号線が交差する少し手前になるのですが、この辺りは飯綱町の小玉地区。

踏切の名称は「お宮前踏切」…文字通り踏切の向こうには「小玉神社」があります。踏切に書かれているキロ程は信越本線時代の高崎駅起点の数字でしょうか…?

飯綱町周辺の地図…この小玉地区から古間駅手前までの区間は国道と線路は離れてしまい、徒歩であれば旧北国街道を歩くことはできますが鉄道の撮影に適したようなところはありません。

「お宮前踏切」と旧北国街道を隔てたところには「武州加州道中堺碑」が現存します。
江戸時代、北陸諸藩の大名は参勤交代で北陸道~北国街道~中山道という行路で江戸と領国の間を往復したのですが、加賀(石川県)・金沢百万石の大守である前田家では金沢と江戸の中間地点であるこの小玉に道中堺碑を設置し、ここへ到達すると金沢と江戸にそれぞれ早飛脚を送って旅の無事を知らせたそうです。
なお、前田家の参勤交代の様子や北国街道の信越国境あたりの資料については長野・新潟県境を流れる関川のところに「道の歴史館・関川関所」という施設があって家族連れで見学するのにはいい場所なので、小学生の子供さんを連れての家族旅行であれば夏休みの自由研究などにはオススメです。

空から見てみたい景色はどこ?
▼本日限定!ブログスタンプ

天狗さんのポツンと一軒家(母ちゃん談)












