小学校の修学旅行

 小学校の修学旅行の思い出はありません。なぜなら行けなかったから…。


 現在ではどうなのか知りませんが、私が小学生だった50年ほど前 、当時住んでいた広島県の小学校の修学旅行は6年生が行っていました。

 まだ山陽新幹線が博多まで開通する前のこと…通学路から見える山陽本線の小さな駅に停車している修学旅行専用列車を下級生だった私は毎年羨望のまなざしで眺めながら通学路を歩いていたものです。


 さいたま市の鉄道博物館のエントランス部分で展示されている修学旅行用電車のモックアップ。
 修学旅行用電車はこの色に塗られていました。

 ボックスシートにあるこのテーブルは跳ね上げ式だったんじゃないかな?回送電車で走っているときに踏切で見かけたときに、窓越しに跳ね上げられた状態のテーブルが見えていた記憶があります。
 このモックアップを見学するとわかるのですが、通常はボックスシートの場合は2人掛けシートの向かい合わせで4人掛けとなっているわけですが、片側の列は3人掛けシートの向かい合わせで6人掛けで使っていたそうです。新幹線のように車幅が広い車両ならともかく、在来線車両でそのような設計だったのですから驚きです。現代の子供の体格では無理でしょうね。

 当時住んでいた町を通る山陽本線の普通列車は80系電車全盛時代…急行列車だって旧型客車で走る列車が多く残っていたことを思えば、新性能の急行型電車のような形をした修学旅行用電車が快速すら停まらない小さな駅で6年生を待っている様子を眺めてはその時が来るのを楽しみにしていました。

 そして山陽新幹線が博多まで全線開業した昭和50年(1975年)の3月…5年生を修了した私は父の転勤で東京に引っ越したのです。
 あの当時、私が通っていた小学校の修学旅行は京都・奈良でした。

 さて、東京の学校に転校して迎えた6年生になってグラスにも馴染んできた頃、クラスメートに
「東京の学校は修学旅行はどこ行くん?」
と、尋ねたところ
「プッ」
と、クラスメートたちは吹き出しました。
「どしたん?」
 広島訛りや方言が珍しいようで、私が何か喋るとよく笑われていたからまた言葉のことで笑われたのかと思ったら
「林間学校なら5年生のときに行っちゃったよ」
と教えられました。
 当時は東京の小学校では「修学旅行」ではなくて「林間学校」だったようですが、行先は日光だったようです。

 まあ私にすれば「修学旅行」でも「林間学校」でもどちらでもよかったのですが、あれほど6年生になったら行ける修学旅行が東京では5年生で済ませてしまっているとは…。ショックでした。
 私なりに思ったのは、東京では当時でも中学受験をする子供が多かったので林間学校を5年生のうちに済ませていたものか…。
 これが逆に5年生まで東京の小学校に通って6年生から広島県の学校に転校していたら両方に行くことができたのに…きっとそういう子もいるんだろうなと思うと切なかったですね。

 

 

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