昭和という言葉で想起されるものはなに?

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 激動の時代だったと言える昭和…。
 戦後の高度経済成長期の昭和38年生まれの私にとってもちろん戦前や戦時中、そして一面の焼け野原からの復興へ向けての時代というのは書物や記録映像などでしか知らないわけです。

「モーレツ社員」だとか土曜日の「半ドン」なんて言葉は死語となって久しいし、週休二日制が当たり前の現在の若い人はこの言葉すら知らないでしょうね…。
 現代の労働基準法では間違いなく「アウト!」となるようなブラックなことがまかり通っていた…というより美徳でさえあった当時の我が国でしたが、平成から現在の令和にかけて昭和の貯金を取り崩してその場しのぎを繰り返していることは間違いないでしょう。

 現在では考えられませんが、昭和の時代のオフィスといえばタバコのけむりがたちこめていたし、学校の職員室もそうでした。駅のホームの柱にだって灰皿が備え付けられていました。


 画像はすべて平成以降のものですが…。
 高度経済成長期からイメージされるのは私よりひとつ年下(?)の東海道新幹線。
夢の超特急ひかり号」0系新幹線
 その「ひかり号」もすっかり影が薄くなって現在の東海道新幹線の主役は「のぞみ号」。
 

 国鉄色の車両の並びに「あの頃」を懐かしむときがあります。

 まだまだ旧型客車による急行列車がたくさん走っていた昭和40年代にデビューした12系客車は冷房も付いていて小学生だった私は羨望のまなざしで眺めていたものです。
 国鉄で最も急勾配だった信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠。通称「横軽」なんて呼ばれていたこの区間を通過できる車両は台枠や連結器などを強化した車両で形式番号の前に「・」マークが付けられていました。

 14系座席客車も12系客車とほぼ同じ時期にデビューしました。私の記憶では主に臨時特急列車に使用されていました。
 国鉄の「JNR」マークが付いた灰皿。
 大都市の通勤型電車はもちろん禁煙でしたが、それ以外はみんな灰皿付きでした。
 東京の普通列車だと東海道本線では「東京~平塚間禁煙」とか東北本線では「上野~小山間禁煙」、高崎線では「上野~熊谷間禁煙」、常磐線では「上野~土浦間禁煙」なんてステッカーが車内に貼られていました。
 昭和末期には新幹線や特急・急行列車などの優等列車では禁煙車が設定され、現在ではすべて禁煙となるなんて当時誰が予想したことでしょう。

 昭和の時代に動力近代化により国鉄から消滅した蒸気機関車…昭和の終わりを待たずに山口線でまさかの復活…それが全国に波及するとは思いもしませんでした。画像は信越本線横川駅で「SL碓氷号」を撮影したものです。

 国鉄の特急列車のイラストマークが登場したのはたしか昭和53年(1978年)だったかと…。
 昔の機関車牽引時代には機関車の前面に誇らしげに取り付けられていたヘッドマークも電車特急や気動車特急では白地に文字だけの味気ないものでしたが、このイラストマーク導入は大好評でした。

 さて、なんだか国鉄回想録みたいな記事になってしまいましたが、当時の政治家は与野党問わず存在感を感じられる人が多かったけど、いまは薄っぺらな人ばかりですね。