「父ちゃん、そろそろ昨日の『母ちゃんクイズ』の答え合わせの時間だよう❗」

「こんな早い時間にか…?」

「今回は以下の2枚の画像を見てどの鉄道会社の何駅かを当てていただくというものだったが、背景や天井がヒントとなったかもしれないよう。みなさんわかったかえ?」

「昨日は用事を済ませがてら上野駅の『みどりの窓口』に行ったのですが、その時に『北陸物産展』が催されていたので撮影したものを出題画像として貼り付けてみました

「正解は『JR東日本上野駅』でしたよう🎵」

 最近はみどりの窓口がどんどん閉鎖されて指定席券売機のみという駅が増えました。
 地元の北千住駅もとうとう窓口が廃止されてしまって上野駅まで行かなくてはならなくなりました。
 何でもかんでもネット決済やクレジットカードでキャッシュレスに移行しつつありますが、便利さと不便なところが実は背中合わせだったりするものです。

 北千住駅のみどりの窓口は以前はびゅうプラザも併設されていて母ちゃんを引率して旅行したときには何度もお世話になったものでした。職員の方が親身になって私たちの希望に沿った宿探しなどしてくれていつも感謝していたのですが、びゅうプラザそのものが廃止となってしまったのは残念でした。
 北千住駅でもみどりの窓口が営業しているときにはびゅうプラザがあったスペースを使って各地の物産展がたびたび行われていたので北千住駅で下車したときにはみどりの窓口の前を通るのが楽しみだったのですが、いまはそれもなくなってしまったようで残念なことです。

 なぜこのようなことを書いているのかというと、前述の「便利さと不便なところが背中合わせ」というところです。
 もちろんネット犯罪などが巧妙・悪質化しているところもそうですが、「人と人とのやり取りができない」人の増加が顕著になっているような気がするのです。
 何でもかんでもパソコンやスマホで片付くというのは結構なことなのかもしれませんが、人とのやり取りという部分について「退化」してしまっている人が多い気がします。
 自分の思いはたとえ理不尽なことでも押し通そうとしたり、人の話は聞かないクレーマーなどが増加しているのと無関係ではないと思います。
 職場で部下を諭すことがあるのですが、電話でのやり取りを聞いていると、協力会社の方とやり取りしているときの物言いが相手の琴線に触れるような高圧的な物言いをすることがあったりする。私は使いたくないし使わない言葉ですが、相手に対して「下請」だとか「庸車」という意識がどこかにあるのでしょう。
 しかし、人間の価値は大きな企業に勤めているからといって中小企業に勤めている人より高いわけではないし、むしろ中身やスキルの面では逆の場合が多い…。
 どんなに小さな会社であっても経営者は一国一城の主人(あるじ)であり、真の意味においてのキャリアやスキルはサラリーマン化した大きな企業の管理職などの比ではない…が、自分の方が上位にあると勘違いしている者のなんと多いことか…。

 ネット通販が蔓延って対面販売が衰退し、人と人とが目を合わせてやり取りをする機会がどんどん減っている世の中は危険な方向に向かっているようなキナ臭さを感じます。