平成26年(2014年)5月
JR東日本信越本線として最後の初夏を迎えたスナップです。
初夏…というより遅い春と表現した方が正しいかもしれません。
当時のこのあたりを走る車両は定期列車ではJR東日本長野支社・長野総合車両センター所属の189系と115系がほとんどで、115系はほとんどが信州色と呼ばれる長野地域色でした。
新潟地域色は妙高高原以北で運転されていましたが、数えるほどでした。

まだ残雪を多く抱いた妙高山を背景に列車が走ってゆく姿が好きで、以前は里の雪が消える頃になると特急「あさま」の189系や特急「白山」の489系などをよく撮影したものでした。

私が父の転勤で広島県に住んでいた小学生時代…たしか3年生の時の夏休みだと思いましたが、長野県信濃町の親戚のところへ遊びに来ていてここから妙高サンシャインランドという遊園地に連れていってもらったことを覚えています。不思議なことにこの遊園地…全国各地の遊園地やテーマパークがの多くが閉鎖されつつあるいまでも残っています(現在は冬期休業中)。
現在このあたりを走る路線バスは「頸南バス」ですが、当時(半世紀ほど前です
)サンシャインランドに行くときに関山駅から乗ったのは川中島自動車(現在のアルピコ交通)だったように微かに記憶しています。
川中島自動車はその名からもわかるように長野市から上田市あたりまでが主な営業路線でしたが、新潟県側の妙高高原でも走っていました。新潟県側の川中島バスは長野県側には野尻湖のあたりまでしか来ていなかったように記憶していますが…信濃町や牟礼村(現在の飯綱町)あたりは長野電鉄バスばかりだったような…。
現在では旧川中島自動車のアルピコ交通バスもこのあたりは走っていません。
あのときのバスはまだ女性車掌が首からバッグを下げて切符を売っていたこと、キャブオーバータイプ初期の古いバスで、エンジンはフロントに置かれてエンジンルームが車内の運転席横にありました。
このエンジンルームのカバーは鉄板剥き出しで、目玉焼きが出来そうなほどに熱かったことも覚えています。
国鉄時代に急行型電車から改造されて北陸本線のローカル列車として活躍していた413系がまさかえちごトキめき鉄道に譲渡されて旧信越本線である妙高はねうまラインを走るとは…。国鉄~JR時代にはありえなかったことです。
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