ふらっとやってきた東京駅八重洲中央口。

東京駅は東海道新幹線関連の施設以外はJR東日本の駅だから案内表示などは新幹線をはじめJR在来線のものは当然JR東日本仕様のものがメインとなっているが…。

東海道新幹線だけはJR東海の路線で、こちらの駅はJR東海管理で仕様もそちらになる。

言うまでもなく東海道新幹線は東京~名古屋~大阪という三大都市を結ぶわが国の大動脈であることは昭和39年(1964年)の開業以来半世紀以上を経た現在でも変わらないし、コロナ禍による人流抑制によりかなり利用客が減少していることは例外ではないとはいってもその地位は不動のものといっても過言ではない。
私は新幹線といえば長野の家との往来で北陸新幹線を利用することが圧倒的に多いし、他にも上越新幹線や東北新幹線を利用する機会が多い。
しかし、東海道新幹線が開業する前年に生まれた私にとって「新幹線」という単語からまず連想するのは東海道新幹線。父が転勤で岡山在任中に岡山市で生まれ(住んでいたのは現在の備前市伊部だということだが赤ん坊の時だから当然記憶にない)、物心ついたときには広島県福山市に引っ越していたから東京出身の両親と帰省するときは山陽本線の特急列車で新大阪(のちに岡山)まで出て新幹線に乗り継いでいた。それは父の転勤で東京に引っ越した昭和50年(1975年)3月の山陽新幹線博多開業直後まで続いていた。未だに「新幹線」といえば東海道新幹線、そして開業以来長く走り続けていた0系がイメージされるのはそんなことがあるのかもしれない。

0系新幹線
東海道新幹線には何年乗っていないだろう…東海地方や関西、そして西日本方面へ行く機会が訪れないまま過ぎている。夫婦で出かけるのも東北地方や北陸地方が多い。
私が少年時代を過ごした福山市に行って少年の私が走り回っていた道を辿ってみようか…なんて夫婦で話していた矢先に始まったコロナ禍と繰り返された緊急事態宣言。以来この計画は頓挫したままだ。
最後に東海道新幹線を利用したのは何年も前に業務上の研修で三重県の鈴鹿市に研修で出かけたとき以来だ。山陽新幹線に至っては7年か8年ほど前に仕事で岡山へ行ったとき以来利用していない。
話を東京駅に戻そう。
ここで高校時代の思い出が甦ってきた。
高校時代…そんなに自由になる金などもちろん持っていない。しかし、当時新幹線といえば東京~博多間の東海道・山陽新幹線だけ…多くの夜行でも寝台特急列車や寝台車も連結した急行列車が全国を網羅していたし、長距離を走る夜行普通列車も主要幹線では走っていた。中には普通列車ながら寝台車を連結した列車も存在していた。
このような長距離夜行鈍行列車には小さな駅にもすべて停車してゆく列車もあれば、有効時間帯ではなければ主要駅以外はたとえ通過する列車も存在していた。その中でも最も有名で利用客も多かったのが「大垣夜行」と呼ばれていた列車だった。
日中は東京~静岡間を走る急行「東海」の編成の間合い運用で静岡運転所の153系急行型電車で上下1往復が設定され、深夜に東京駅・大垣駅をそれぞれ出発した列車が翌朝大垣駅・東京駅にそれぞれ到着するこの列車は上下列車で停車駅は異なっていたものの、静岡県と愛知県の一部では主要駅以外は軒並み通過…下り列車だと熱海駅を出ると沼津・富士・静岡くらいしか停車せず、磐田駅あたりからはこまめに停車していたような記憶がある。ただ、静岡駅などではずいぶん長い時間停車していたように覚えているが…。

「大垣夜行」は国鉄分割民営化後もしばらく運転されていたが、のちに特急型車両への変遷もあって全席指定の「ムーンライトながら」に変化、多客期のみ運転の臨時列車化を経てして廃止されました。
「大垣夜行」を利用していた遠い高校時代の過去を辿りながら東海道新幹線を利用してちょっと出かけてみた。

続きは次回以降、何回かに分けてアップしてみたいと思います。
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