今回は古間駅から牟礼駅までの車窓です。

 古間駅を出てまもなく戸草トンネルへと入っていきます。
 このトンネルの脇には国鉄信越本線が開業以来非電化時代に使われていた旧戸草隧道が美しく残されています。動画は進行方向左側の車窓なのでわかりませんが、右側に並行しています。

 今年の秋に撮影した旧戸草隧道。
 生活道路なのでくるまの通行もあるので、撮影に行かれる方はお気をつけて…古間駅から徒歩でそれほど遠くないので楽に行くことができます。
 黒姫駅付近が分水嶺となっていて、黒姫駅より北側を流れる池尻川は関川に合流してそのまま日本海へ、この先で並行して流れる鳥居川は千曲川に合流して新潟県に入ると信濃川と名を変えて魚沼丘陵を抜けて新潟県の平野部を通って新潟市で日本海へと注ぎます。
 戸草トンネルを抜けると次は大廻トンネル。こちらも電化時に新しいトンネルが掘られて線路が付け替えられているのですが、こちらは反対側(撮影している側)に旧大廻隧道が残されています。

 列車は鳥居川を渡ってこの川に沿って善光寺平へと勾配を下っていきます。そして長野県の信濃町から飯綱町へと入っていきます。
 大廻トンネルから牟礼駅手前の飯綱町小玉地区までは深い山あいを通るので四季折々の色に染まってしまうかのような車窓です。付近に道路もありません。

 小玉地区に入ると人家も目に付くようになり国道18号線を再びくぐります。
 動画では深い雪に覆われて説明のしようがないのですが、国道をくぐってまもなくのところに「武州加州道中堺碑」が残っています。
「武州加州道中堺碑」は武蔵国にある江戸と加賀国にある金沢との中間地点であるこの地に加賀百万石の藩主・前田家が設置したもので、北陸道~北国街道~中山道を通って江戸へ参勤交代の道中でこの地において領国の金沢と江戸の藩邸に早飛脚を出して旅の無事を知らせたと伝わります。

 列車は旧北国街道に沿って牟礼駅に到着します。

 今回の徘徊旅の様子はまだまだ続くので年内にまとめ上げるのは無理でした。
 今年の記事はこの記事にて打ち止めとなりそうです(これから勤務なので…)。
 今年も拙ブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。
 みなさまにとって令和4年(2022年)が幸多き1年となりますように…☆