列車にとって到達時分のネックとなるのが曲線と勾配。
その「時間との戦い」のためにあらゆる技術の研究と発展が継続されてきているわけで、その現場の苦労と努力をよそに我々愛好家にとって格好の被写体として魅力的であるのです。

今回は過去記事でアップしてきたいくつもの動画の中から曲線を通過する列車を取り上げてみたいと思いまが、そのほとんどが多くの愛好家にとって定番の場所…目新しさはありませんが、かつて動画を撮影するとすれば大きなビデオカメラを構える必要もなく(もっと昔なら無音の8ミリフィルムカメラ)、小さなスマホで手軽に動画を撮影できて音声まで記録できるのですから個人的に楽しむには十分です。
新潟県柏崎市のJR東日本信越本線青海川~鯨波間をゆく特急「しらゆき3号」が曲線を回りこんできました。
この場所は古くから鉄道写真の定番として雑誌などで写真が紹介されていますが、信越本線の直江津駅と上越線の越後湯沢駅を短絡する北越急行(犀潟~六日町)の開業やその後の北陸新幹線金沢開業により旅客列車は新潟県内の都市間を連絡する列車ばかりとなってしまいました。
特急列車は12両編成が当たり前だった時代…国鉄時代末期には急行列車格上げによる特急列車増発のために編成をばらして短編成化して外された車両同士で新たな編成を組成して必要な本数を確保して国鉄分割民営化に至るわけですが、JRになってもここを通る特急列車の多くは9両編成…現在の4両モノクラス「しらゆき」と比べれば風格がありました。

E2系新幹線みたいなカラーリングではなくて、かつてここを走っていた485系新潟色に変更してくれないかな…なんて願うのは私だけでしょうか?
夕暮れの日本海をバックに同じ場所で貨物列車を撮影しました。牽引するのはJR東日本田端運転所に配置されて上野~札幌間の豪華寝台特急列車「カシオペア」牽引機として客車に合わせた銀色塗装を纏う通称「銀カマ」(「カマ」とは愛好家の中で機関車を指す言葉ですが、語源としては蒸気機関車の石炭を燃やす火釜から来ているのでしょう)のEF510型電気機関車の500番台。
500番台は同じく上野~札幌間を結んでいた寝台特急列車「北斗星」用に青色塗装に塗られていたものもありましたが、北海道新幹線開業に伴い両列車とも廃止、田端運転所からJR貨物に売却されて富山機関区配置となって関西地区と北陸・東北・北海道地区を結ぶ貨物列車の先頭に立っています。
寝台特急牽引機時代のカラフルなラッピングこそ剥がされていますが、他の一般機の赤色塗装に変更されることなく銀色や青色塗装のままで活躍を続けているので、遠くからでも機関車の出自がわかります。
曲線を通過する列車の被写体としての魅力は何といっても長編成であること。
国鉄時代には主要幹線であればローカル列車といえどもある程度長いの編成を組んでいましたが、現在ここを通る普通列車の多くはE129系の2両編成か4両編成ですから曲線を通過する列車の魅力は貨物列車で表現するしかなくなりました。

同じ場所を夕方上りの特急「しらゆき8号」が通過したあとを前述の上り貨物列車が通過、そして下りの特急「しらゆき7号」がやってきます。短い時間で3本の列車が楽しめるのですが、土休日や多客期にはその少し前に観光列車「越乃Shu米Kura」の上り列車も通過するという(もっと言えばその前にE129系の快速列車直江津行)も通過するというゴールデンタイム(?)…時期を選べば日本海に沈む夕日を背景に撮影できます。
この日は残念ながら雲がかかってしまい、悔しかったので翌日再びやってきましたが、そのときは青海川駅を俯瞰できる場所で撮影しました。

こちらは前面展望。JR東日本篠ノ井線に乗り入れて長野までやってくるJR東海383系特急「ワイドビューしなの11号」の長野方先頭パノラマグリーン車で撮影しました。
この車両の前面展望を楽しむなら下り列車の進行方向右側1号車1C席です。進行方向左側の1Aと1B席は運転士の背後、そして運転席側なので計器類に視界を遮られます。また、右側でも窓側の1D席は前面ガラスのピラーが鬱陶しいので通路側の1C席がオススメとなります。
上の画像は地滑り地帯から線路を守るために新し移転された区間のうち第三白坂トンネルを抜けるシーンです。
トンネルは直線的なのですが、こちらは出口手前に存在するトンネル内の急勾配ぶりがわかる動画となっています。

こちらは同じ列車でスイッチバック駅の姨捨駅を通過するシーンです。
姨捨駅はスイッチバックして動画左上へと分岐したところに位置しています。
平野部が少なく、山岳地帯が多い複雑な地形が国土のほとんどを占める我が国の鉄道は急勾配や半径が小さい曲線が多く存在するため到達時分の短縮にとって大きなネックになっていることは冒頭でも触れました。
それを克服するために国鉄は曲線を高速走行するのに有利な連接台車方式や振子式の試作車両を製造して東北地方や信越地方で試験走行を重ね、振子式を採用することとして非電化路線だった中央本線の塩尻以西及び篠ノ井線電化に合わせて初の振子式量産車両となる381系特急型電車を特急「しなの」に導入しました。
381系はその後電化されて急な曲線が多い紀勢本線の特急「くろしお」や伯備線の特急「やくも」にも導入されましたが、現在では「しなの」「くろしお」では新型車両に置き換えられて久しく、伯備線の「やくも」での活躍もそろそろカウントダウンが始まりそうなほど老朽化が進んでいます。
381系の後継としてデビューした383系もデビューから既に30年近く経ち、近い将来新型車両への置き換え発表があっても不思議ではありません。
もし、そのようなことがあっても連続する山あいの曲線を高速走行で通過する前面展望の楽しさは格別であり、パノラマ型グリーン車はぜひとも継承してほしいものです。

こちらは二十数年前まではこんな画像を撮影することはできなかった場所です。
国道18号線の妙高野尻バイパスが完成し、長野・新潟県境の峠の谷間を飛び越えるように建設された信越大橋の歩道からの俯瞰です。
北陸新幹線金沢開業により第三セクターしなの鉄道北しなの線となった旧信越本線。
国鉄時代に長い編成を組んでいた特急「あさま」「白山」が走っている頃にこの橋があったなら…きっと通いづめだったかもしれません。
やはり曲線を通過して、回りこんでくる列車の魅力は長編成…。

こちらも北しなの線ですが、黒姫山を背景に曲線を回りこんでくる列車を撮影できた人気の撮影地でしたが、マナーが悪い「マニア」がトラブルを起こしたのか、それとも事故でも起きたのか自動車の乗り入れができなくなり、撮影もできないように大きなフェンスが取り付けられてしまったことは残念です。こちらも国鉄時代から人気の撮影地でした。

こちらは日本三名園のひとつ、水戸市の偕楽園脇の曲線を跨線橋の上から撮影しました。
梅が見頃だったので偕楽園を散策したついでに撮影してみたものです。
この奥のもうひとつの跨線橋からこちら側を写す定番の撮影地は「密」だったのでやめて、こちらの跨線橋からの撮影にしました。
首都圏のこちらは常磐線の普通列車も特急列車も10両編成以上の列車が多く、短いのは水戸線から直通でやってくる5両編成くらいなもの…。

E657系特急「ときわ」。
651系やE653系時代には最大14両編成なんてのもありましたが、それは併結によるもの…。
たとえ10両編成でも1本の編成の方が「編成美」という点では勝っているように思えます。

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