「父ちゃん、今回のクイズの正解はどこだえ?」
「母ちゃん、『どこだえ?』って自分で出題したんだろう❗」
「母ちゃんにはわからないから父ちゃんが正解発表をするんだよう❗」
「なんだい、そりゃ…」
「というわけで、今回の母ちゃんクイズの正解はJR東日本上越線の土樽駅でした」
川端康成の小説「雪国」の有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の書き出しはこの土樽を描写したものだと伝えられています。
おそらく当時の土樽は駅に昇格する前の信号場だったと思われますが、ローカル列車しか停車しないこの小さな駅としては広い構内を持つ駅でした。
その名残を感じるのは上下線の旧ホームが離れていて現在のホームはその内側に設置されていることでしょうか…。

土樽駅を出て少し歩いて振り返るとなんとなく昔の土樽駅を彷彿とさせるような光景です。

駅から坂道を下って関越自動車道の高架下をくぐって目の前の橋の上から眺める上越線。
その向こうに見えるトンネルは関越自動車道の関越トンネルです。
出題したときの画像に駅に到着する直前の高速道路が見える車窓を貼り付けましたが、東京方面から車で関越トンネルを抜けるとすぐに上越線を跨いで進行方向左側に土樽駅が見えるのですが、冬だと深い積雪の中に埋もれるように佇むこの小さな駅に旅情を感じます。よくに夜だと暗闇の中に浮かぶホームの照明がたまらなくいいのです。
上越線は関東側の群馬県から長いトンネルを抜けて新潟県側に入って最初の駅。
上越国境は谷川岳をはじめとする急峻な山岳地帯が立ちはだかり、ここを通る道は三国峠と清水峠だけでした。
どちらも狭隘で、江戸時代に佐渡で採掘された金を江戸に運搬するのに出雲崎で陸揚げされてから北国街道を迂回して善光寺(長野市)を通る遠回りがメインルートだったことをみてもいかに難所であったかが伺い知れます。そして、現代においても高速道路の関越自動車道以外に群馬県と新潟県を直接連絡する道路は三国峠を通る国道17号線だけです。
若いとき、駆け出しのトラックドライバーだった頃はまだ関越自動車道は前橋までしか開通していなくて、毎晩のように豪雪の三国峠を雪まみれになって往来していたものでした。
三国峠は国道として残っているわけですが、もっと険しかった清水峠は廃れてしまい、いつしか廃道となって現代は残されていません。
清水峠が交通路となるのはのちに上越線が建設されて清水トンネルが出来てから…。
戦後、新清水トンネルが貫通して上越線は複線化され、さらに大清水トンネル貫通により上越新幹線が開業、そして関越トンネルにより関越自動車道が通るようになりましたが、清水峠に一般道路はいまもって存在しません。

土樽駅から群馬県側に向かっては道路が途切れてしまいますが、反対の越後湯沢方面へ歩いていく道は二通りあって、ひとつは関越自動車道をくぐったところを左折して高速道路沿いに歩く道、もうひとつは橋を渡って魚野川を挟んで高速道路沿いの道と並行する道です。
こちら側の道は鬱蒼とした森が続きます。そしてアップダウンも多いので、対岸(高速道路や線路がある側)の方が視界が開けていることや平坦なので歩きやすいかもしれません。但し、暑い季節は木々が多い方が涼しいかもしれませんね。


単線区間のように見えますが、複線区間です。
こちらは高崎・東京方面への上り線です。画像奥へ向かうとトンネルに入って時計回り方向にループ線となって清水峠の勾配を上がっていきます。このループ線は松川ループと呼ばれています。
上越線の上り線は開通以来の線路で、清水峠の急峻な勾配を克服するために新潟県側にこの松川ループ、群馬県側に湯檜曽ループが設けられているのですが、湯檜曽ループは反時計回りでループにさしかかる手前で進行方向右側の眼下ににループを通過したあとに通る線路の先に湯檜曽駅を眺めてからトンネルに入ってループとなるのに対し、松川ループはトンネル内部でループとなっているため列車に乗車しているとループを通過しているという実感がありません。
戦後の複線化に伴って敷設された下り線はループとなっておらず、湯檜曽駅手前から直線でけんせつされた新清水トンネルで新潟県側に入って、それを抜けたところに土樽駅があります。
そして下り線は土樽駅から上り線の松川ループを迂回するように回り込んで越後中里駅へと向かうのですが、このあたりの上下線の位置関係は面白く、関越自動車道を大型トラックのように運転席が高い車から見ると、あらゆる方向から線路が高速道路に向かってくるような錯覚を楽しめます。乗用車だとちょっと無理かな…。

「次回の母ちゃんクイズは父ちゃんがちょっと忙しいため、2~3日ほどお休みさせていただく予定ですよう❗」