「そろそろ今回の正解発表だよう🎵」

「おっと…忘れてた❗」

「父ちゃん、さっさと解説しなさい❗」


 それでは正解発表の前に解説から始めましょう。

 出題では
「廃駅とはいっても正確には駅そのものが廃止となったのではなく現在は移転しています」
と述べましたが、まずここがポイントです。
 この動画で奥に見えるのが現在の駅のホームとなります。駅を発車して向かってくるのはえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの普通列車、妙高高原発直江津行です。
 動画では複線区間のように見えますが、実際は単線の路線です。
 列車は分岐器を渡って向かって左側の線路へ入っていきます。
 振り返って逆方向を見ると、線路は左右に分かれます。列車は右方向へ消えていきます。
 一見すると別々の方向へ路線が分かれる分岐駅のようにも見えますが、妙高はねうまラインの途中駅には分岐駅はありません。
 かつてこの駅はいまから36年前の昭和60年(1985年)10月までは左へ分かれてゆく線路の先に位置していました。
 それまではスイッチバック式の駅で、現在の駅があるあたりで列車はスイッチバックしてこの駅を発着していたのです。
 妙高はねうまライン国鉄~JR東日本信越本線が北陸新幹線の長野~金沢間延伸開業に伴い第三セクター化された路線です。
 信越本線は国鉄(日本国有鉄道)の前身である官営鉄道により直江津駅からこの駅までが明治19年8月15日(1886年)に開業したのが始まりで、その後明治22年(1889年)にこの駅から長野駅までが開業、そして軽井沢駅へと延伸していきました。
 その目的は当初政府が計画していた東京~京都間を中山道に沿ったルートで建設する資材を直江津港から運搬するものでした。
 当初明治政府は海運が発達し、江戸~京都間のメインルートとして開けていた東海道ルートではなく内陸部の振興を図るため中山道ルートでの鉄道建設をめざしていました。
 結果的には急峻な山岳地帯がネックとなって東海道ルートへと計画は変更されるのですが、この資材を運搬するための路線は東京と日本海側の北陸地方を結ぶ路線へと目的が変わり、現代の東北本線~高崎線を通って碓氷峠を越えて長野経由で日本海側に出る路線として建設されたわけです。
 そして直江津から新潟を結ぶ鉄道として建設された北越鉄道を官営化して高崎~長野~直江津~新潟を結ぶ信越本線となるわけです。
 東京~新潟間を結ぶルートはげんだいの上越線ルートの方が距離はずっと近いのですが、群馬・新潟県境に立ちはだかる谷川岳をはじめとする山岳地帯がネックとなり、清水トンネルが開通するまでは長野を経由するか福島県の郡山を経由して磐越西線を経由しなくてはなりませんでした。
「父ちゃん❗解説が長過ぎムカムカ

「す、すまん…アセアセ

「正解は関山駅でした」

 錆びた駅名標には「せきやま」の文字が読み取れます。そして雑草が生い茂る旧駅のホーム。
 私の記憶に残るのは小学3年生の時従兄妹たちと妙高高原駅から70系の普通列車でやってきて関山駅で下車、川中島自動車(現アルピコ交通)の路線バスで妙高サンシャインランドに遊びに行ったこと…。バスはキャブオーバーながらフロントにエンジンがある初期タイプで、乗降口は側面中間部のみの非ワンマンタイプ。首から黒いバッグを下げたバスガールさんも乗務するバスでした。
 あのタイプのバス…運転席の真横にエンジンルームがあって、カバーは鉄板剥き出しだったからとても熱くて、夏場の運転手さんはとても過酷な環境だったことでしょう。
 多分…ここが旧駅のメインストリートかな?

 カラーで見るとこんな感じです。でも、セピア色に加工した方が少年時代の自分と重なるからいい感じかなとも思います。

 かつての駅前付近に建つ民家の間からホームの跡を眺めます。

 現在の関山駅。喫茶店でもケーキ屋さんでもレストランでもありません。駅舎です。アスファルトが豪雪地帯らしい色です。新潟県では普通に見られる色です。融雪のために水を流すのでこんな色になってしまいます。
 信越自然郷は新潟県と長野県の県境一帯の高原や山岳エリア。
 歩道橋にも融雪パイプが設置されて水が流れるようになっています。