今回母ちゃんから出された命令は
「何年も前に撮影した廃駅の画像を準備せよ❗」
でした。
 そして出された母ちゃんクイズ
「以下の画像の廃駅は何駅かを当ててみせよ❗」
というものでありましたが、みなさんすぐに当ててしまいましたね。



「正解は長野電鉄屋代線の松代駅だよう🎵」
でございました。

 長野電鉄は長野県北部を走る地方私鉄で、県都・長野市の玄関口である長野駅と志賀高原の麓にある湯田中・渋温泉郷への入口となる湯田中駅を結ぶ路線です。
 かつてこの路線と接続する屋代線や千曲川に沿って野沢温泉などへアクセスする河東線もありましたが、いずれも既に廃止されています。
 また、国鉄信越本線を通って東京の上野駅から急行「志賀」が屋代駅から長野電鉄に乗り入れて湯田中駅まで直通するという列車も存在しました。

 松代駅は長野市の南部に位置し、江戸時代には松代藩の城下町であり、藩祖は真田信之(真田昌幸の嫡男、有名な真田幸村の兄)で、明治維新を迎えるまで真田氏により治められていました。

 また、太平洋戦争末期には悪化する戦況から大本営を松代に移転する計画が立てられ、実際に地下壕も掘られたりしていました。
 松代城址。松代城はその昔は「海津城」といって甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が五度にわたってにらみあった「川中島の戦い」において、武田方の軍師として有名な山本勘助の縄張により築かれたと伝えられています。
 なお、山本勘助についてはな謎が多く、実在したかどうか疑わしいとの説もあります。

 真田家の重臣・樋口家の住宅跡。
 松代は長野市街地から千曲川を挟んで離れていることもあって、閑静な街並みです。秋田県の角館や山口県の萩などとともに古い武家屋敷が残る落ち着いたところです。

 松代駅の外観です。
 屋代線が廃止となり、線路も撤去されてしまいましたが、以前訪問したときには路線バスの待合室として使われていました。古い木造駅舎でしたから現在はどうなっていることか…。

 作家の池波正太郎は「真田太平記」など真田氏を題材とした多くの作品を遺していますが、その取材のために信州へ足繁く通ったとされています。