おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出は?

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 父方の祖父は半世紀以上前…私が幼稚園の年長だったときに亡くなったので記憶は断片的にしか残っていない。
 父の転勤で広島県に住んでいた時だから、東京の祖父が私を実際に可愛がってくれた時間は短かったわけだが、父には厳格(だったらしい…)だった祖父の印象は慈愛に満ちたまなざしと微笑みはまだ覚えている。
 祖父が亡くなってから祖母は約20年間生きたが、父の転勤で東京に住むようになってからはとくに私を可愛がってくれた。
 祖父は学生時代に早大山岳部のキャプテンだったのだと祖母から聞かされていた。そのせいか祖母もスイスなど海外の山にも登るほどで、東京に来たばかりの私を一番最初に連れていってくれた奥多摩の御岳山(もちろんケーブルカーなんて使いません)のときは前日の夜に山の天気予報をしっかり確認しておくこと、登山用の地図の見方などを教えてくれたのだった。あとは神奈川県の大山にも連れていってくれた。
 中学生の時の夏休みに学校行事で八ヶ岳の縦走をしたのだが、
「どうせなら富士山に登ってみたいのに…」
祖母にこぼした私に
「富士山なんて高いだけで景色は良くないし歩いていても面白くない。それにゴミだらけで汚い(当時の富士山の登山道は悪評高かったのは事実です)から八ヶ岳の方がよほど楽しいよ」
と、諌めてくれたことを覚えている。
 私は結婚は早かったが、子供に恵まれるまで少し時間がかかってしまい、祖母が亡くなる前に
「とうとう曾孫の顔を見ることは叶わなかったわ」
と、哀しそうに呟いたことを覚えている。

 その翌年…母方の祖父が亡くなった。こちらも曾孫の顔を見せることは叶わなかった。
 この祖父に関しては過去にも私のブログ記事で何度か触れているから詳細は省くが、とにかく私を可愛がってくれた。あと少し頑張ってくれていたら曾孫の顔を見せることが出来たのに…。
 母方の祖母は曾孫を見ることが出来た。
 この祖母もとても私を可愛がってくれた。思い出深いこと…福井で長く育った祖母はカニを調理するのがとても上手で、私がカニ好きなのはそのあたりも要因にあるのかもしれない。
 また、「福井の女学校時代の友達から送ってくれたから」といっていつも私に「もみわかめ」をお裾分けしてくれた。この「もみわかめ」を熱々のごはんにふりかけて食べると美味しくて、亡き祖母をいつも思い出す。

 祖父母どころかいまでは両親も既に亡くなり、親の兄弟姉妹にも亡くなっている人がいる。もうそんな年齢なのに、結局私は彼らから受けた慈愛に対してほとんど報いていない…。
 気付いたときには遅い…遅すぎるのだ。

 ちなみに…私の妻に対しても早く亡くなった父方の祖父を除けば結婚したときは皆元気だったからとても可愛がってくれた。それについては本当に感謝の気持ちで一杯である。

 母方の祖父は長野駅善光寺口がまだ仏閣型の駅舎だった頃に亡くなった。
 幼少の頃、よく連れてきてもらった長野駅がこのような姿に変わっているのを知ったら何と言うだろうか…。